blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

ナメてはいけない

2017-12-07 19:58:29 | 日記
今に始まったことではないが、我がチームの長は会議や打ち合わせから帰ってくるといつも機嫌が悪い。
会議などに参加する立場ではない私は中身までは分からない。
言うには、我がチームが何かと標的になることがイヤということらしい。

組織の中にいて、何となく部署やチーム間の序列のようなものは感じるが、決して高いレベルの中でそうなっているわけではない。
しかし大変残念なことだが、◯◯部門の言うことは聞いても××部門の言うことは聞かないなどと平気で口にする部署が存在する。
社内の某ベテラン氏が図らずも「勘違いエリート」という名言を吐いたように、規模こそそれなりにあるとはいえ、お世辞にも知名度では全国区とはいえない企業、さらにその中のたかが一事業所の中で、部署の格上も格下もあったものではない。
知識階級が労働者階級を見下ろすような構図がわずか100人程度の事業所で確認できてしまうのは何とも寂しい。

さて、何かと標的になってしまう我がチーム、周りにそうさせてしまう要素はないかといえばそうでもない。
ひとりひとり、一つ一つのことを詳しく書いていると夜が明けてしまうのでやめておくが、確実にこれのせいだろうと思えることは一つある。
毎朝あるラジオ体操に、我がチームの人間だけがなぜか参加しないのである。

我が事業所の事務方は始業5分前からラジオ体操をやっていて、人によって真剣味は違うかもしれないがパッと見では全員がしっかりとやっている。
我がチームで毎日朝礼に出ているのは全体の半分の人数しかいない(残りの人間で朝一番の入荷等に対応するため)が、ラジオ体操の音楽も終わろうかと言う段になってようやくオロオロとチームの部屋から出て朝礼の場に向かう。
朝礼そのものにさえ間に合えばそれでいいと思っているのかもしれないが、毎朝しっかり体操をやっている側からすると、体操の終わり頃に中年のオヤジどもがドヤドヤと朝礼の場に入ってくる光景を毎日見せられていることになる。

私は普段は朝礼に出ない側だが、数ヶ月に一度はメールで連絡が来て挨拶の発声練習などをお願いされる。
そういう時は、心の準備もしたいので早めに朝礼の場に行く。
早く行けば当然ラジオ体操には間に合うから、体操もしっかりやる。
そんな日でも我がチームの「常時参加組」は朝礼開始ギリギリになって入ってくる。
高校を出たばかり、あるいは出て数年の若い社員もいるというのに、示しが付かないとはまさにこういう態度だと思うし、「恥を知れ」とも言いたくなる。

彼らは特にそれでうるさく言われないから「許されている」と勘違いしているのかもしれないが、5分早く移動してラジオ体操に間に合うことがそんなに難しいものなのか。
宴会を拒む自由はあっても、ラジオ体操は仕事の一環であって拒む自由は本来はない。
ラジオ体操に間に合うという至って簡単なことすらマトモに実行できない人間たちだと思われれば、あらゆる場面で軽く扱われても仕方がないとは思う。
何かのはずみでまた悪者にされるようなことがあったとしても、それは文字通りの「日頃の行いが悪い」と言うやつであり、自業自得そのものである。

組織としての一定の制約には何かしら理由があるので、あからさまにバカにしていいものはない。
そんな中で、毎日「たかがラジオ体操」などと思って参加しないナメた人間が周囲にいる事実を、偉大なる反面教師として大いに活用させてもらおうと思う。

ダメじゃん!

2017-12-07 07:34:00 | 日記
私が一昨年の秋に当地に赴任した直後、一緒に作業をしていたある男性から私が結婚しているのかどうか聞かれた。
ウソをつくわけにもいかないので「していない」と答えたら、即刻「ダメじゃん!」という反応があった。
確かにこの時点で年齢としては45、不思議に思うのは無理もないが、ダメと言われる筋合いはない。

地域のつながりが薄れ、お節介なおじちゃんやおばちゃんがいなくなり、お見合い結婚なるものがほぼ絶滅した今、恋愛や結婚は完全なる自由競争の時代である。
現状その競争に敗れているからヒトリであることは認めなくてはならないが、だからと言って「ダメじゃん!」で一蹴されては気分が悪い。

もう付き合いも2年以上になったので分かることだが、その男性にとっては自分が経験していることを他人が「していない」となるとみんな「ダメ」で切って捨ててしまう。
ハワイに行ったことがないと言ってもそうだし、ビットコインに関心がないと言ってもそうである。

そこまでで終わるならまだマシだが、どうしても他人に何かをやらせようとしつこく食らいついてくるからたまらない。
私だったら、婚活バスツアーに行け行けと何度言われたことか。
私のようなタイプは婚活パーティーや合コンのような「短期決戦」には向かないと分かっているからなおさらである。
ああいう場はクルマのカタログを見るのと同じで、表面的なスペックに目が行くのは仕方がないことだからだ。

一方では私に対して「自由でいいですね」という人もいる。
確かに誰にも縛られず、入るお金は全部自分のために使えるから、自由と言われればその通りだ。
それならば聞きたい。
すでにダンナ様がいるというあなたは、独身時代に謳歌してきたであろう自由が相当に制約されることを分かってなぜ結婚を選んだのかと。

周りの友達がみんな結婚して行くから?
親がうるさかったから?
結婚している方が何かとお得だから?
ある程度のトシになって独身でいることが、それこそ「ダメ」だと思ったから?(←筆者はコレが最大の要因と思っているが)

結婚している人がひとりでいる人間の自由をうらやむだけというのは話としてややバランスを欠くように思うが、自慢やノロケに解釈されるのを嫌がってか、結婚している人は結婚していることでこんないい部分もあるんだよ、という話など滅多にしない。
「だまされた」などと言って逃げられるのが関の山だ。

ただ、いわゆる「つるむ」ことが嫌いな私でも分かることは、ひとりでいることで得られる自由だけでは人は本当に心豊かにはなれない。
たった一人の誰かを想い、その人のためなら今ある自由など、とまで思えたから、というのなら人が結婚していく理由としては納得できる。

そんなふうに好きな人がいたとして、しかしすぐには実現しないか実現する見込みがないのなら、いろいろな手段でもって自分を磨いて、今よりも少しはよいであろう未来を思い描いてそこに備えればよい。
今からでもこの自由競争の真っ只中に参入して遅すぎるということはないのである。