blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

「アカルイ」と「カルイ」は違う

2012-12-26 23:09:00 | 日記
今月からわが部署にやってきたT氏だが、当初危惧したとおり全く周囲になじんでこない。
本人は必死なのかアレコレとしゃべる機会も増えてはきた。
しかし、言うことがいちいちワザとらしいというのか見え透いた感じを受けるので、聞く立場の人間は私も含めて小バカにされたような気がして一様に腹が立ってしまう。
変わった人となるとわが部署では氏だけではないとしても、さしあたり覚えるべき仕事のほうにも今ひとつ意欲が見えず上達してこないので周囲のイライラは倍増する。

本人はずっと営業畑だったから、とりあえず話すことそのものは苦ではないようだ。
ただ、どうやっても他人の土俵には乗ってこないで自分の言いたいことだけを言っている感じなので、「だからどうなん?」とツッコミたくなるような場面が多い。
セールスともなればもちろん人間どうしのジカの付き合いとなり、時には丁々発止の駆け引きもあるだろうが、ああいうスタイルでそれなりの成績があがっていたとは営業不得手の私でも考えられない。
氏が撒き散らすミエミエのヨイショにだまされてしまう顧客がいたとすれば、そのレベルは知れていると言ってもいい。

氏のようにペラペラとしゃべる人が明るいと考えるのは実は早計で、氏は自身の心の内は押し隠してウソの自分を演じているようにしか見えない。
本心を明らかにしない人が明るい性格とはとても言えないし、他人に見えない部分にはむしろとてつもない暗さを抱えている可能性がある。
そんな生き方で50年以上を過ごしてきてしまっていたら、オイソレとは変わっていかないのではないかと思う。

言動に心がこもっていないから、50代という年齢にふさわしい落ち着きや貫禄は感じられない。
よくしゃべる人ではあるが、氏は「アカルイ」のではなく「カルイ」のである。
アカルイとカルイは一文字違うだけだが、その差は「行って帰ってくるほど」などというものではなく10往復でもまだ足りないくらいのものだ。
10代20代ならまだしも、50代の男性がただただ軽いとだけ見られてしまうことは悲劇そのものである。

ほぼ一回り年下の私からを含めて、すでに「実弾」を毎日のように食らうようになってきている氏の心中は当然おもしろくはないだろうが、表立ってそれを態度に出すことは氏にとっては恐怖そのものなのだろう。
自分を見下ろしバカにする人間にも懲りもせずに媚びていくから余計にバカにされることになる。
人間どうし、あるいは国どうしでも、媚びてばかりではいずれ恩を仇で返されるような目に必ず遭う。
多少の反感を買っても自らの意見をシッカリ持って筋を通すべきは通していくという生き方は、ウソで固めて媚びへつらう生き方の数万倍も楽しいものだ。
人生の折り返しをゆうに過ぎた氏自身がこのまま人生を終わるようなことがあれば、残るものはこの世への恨みだけだろう。
縁あって出会った仲間にはそんなことにはなってほしくはないものだが、こればかりは周囲は手助けはできないのである。