スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&意志作用の原因

2018-05-16 19:19:53 | 将棋
 磐梯熱海温泉で指された第11期マイナビ女子オープン五番勝負第三局。
 西山朋佳奨励会三段の先手で角道オープン三間飛車。加藤桃子女王が揺さぶるような序盤戦でしたが,相銀冠の持久戦に落ち着きました。
                                     
 先手が9八の飛車を回った局面。後手は攻め駒が停滞している感じで,ここでは先手の方がよいのかもしれません。
 このまま☗5五角と出られてはかなわないので☖4四歩と先受けしましたが構わずに☗5五角。そこで☖5四歩と打ったのですがこれは大丈夫なのかなという印象を受けました。当然ですが先手は角を逃げずに☗4四歩と取り込み☖5五歩☗4三歩成☖同金と進め☗5五歩と手を戻しました。
 後手の駒得ですが玉の堅さと駒の働きは先手が上回っていて,ここは先手の方がいいと思います。後手は手番を生かして何か指したいところですが☖8八歩と打ったのは驚きでした。とても間に合うようには思えなかったからです。ここでこれくらいしか手がないのなら,先手の方がいいというより大差なのかもしれません。
 先手は☗3七金寄と陣形を引き締めつつ金取り。後手は☖4四歩と受けましたが☗4五歩☖同歩☗4四歩☖同金☗2三歩☖同王と歩を惜しみなく使って☗5六銀と攻めに厚みを加えました。
                                     
 第2図まで進むと角しか持っていない後手は受けに窮する形。ここでは先手が勝勢とみてよいのでしょう。
 西山三段が勝って2勝1敗。第四局は24日です。

 スピノザは『エチカ』で第二部公理三を援用するとき,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであるということに訴求します。僕もこの公理Axiomaをそう用いることがあります。ですが実際には個々の観念と個々の意志作用volitioとは同一のものである,いい換えればある観念は必ず何らかの意志作用を付随させているのであり,かつその意志作用がなくてはあることができないのですから,この公理の意味を厳密に規定するなら,観念は思惟の様態のうち第一のものであるけれど,それと同様に意志作用も思惟の様態のうちの第一のものであるということでなければならないと僕は考えています。
 第一部公理三から分かるように,個々の意志作用が発生するならそれを発生させる原因すなわち起成原因causa efficiensがあるのでなければなりません。そして意志作用というのは思惟の様態であり,かつ個別の意志作用は無限infinitumではあり得ないので,それは思惟の属性Cogitationis attributumの個物res singularisであることになります。これは個々の観念というのは個物である,他面からいえば個物の観念でなければならないということから明白であるといえるでしょう。ですから個物の観念に含まれる意志作用というのは,スピノザが第一部定理三二を証明するときにいっているように,第一部定理二八の様式で存在するようになる,すなわち発生するようになるのです。
 それでは直線の一端が固定しもう一端が運動することを肯定する意志作用,すなわち円の十全な観念idea adaequataを肯定する意志作用の起成原因というのは何なのでしょうか。あるいは第一部定理二八と第二部定理五により,どのような思惟の属性の個物であるのでしょうか。そして同時にこの問いは,円の十全な観念の起成原因を問うているのと同じです。意志作用と観念は同じものなのですから,円の十全な観念の起成原因を問うことと,円の十全な観念を肯定する意志作用の原因を問うことは,同じであると考えなければならないからです。
 すでに明らかにしたように,直線の本性essentiaのうちに,この運動motusは含まれていません。同様に,直線の特質proprietasのうちにもそれは含まれていません。ですから直線の十全な観念,あるいはその観念を肯定する意志作用は,その原因ではあり得ません。
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ゴールドカップレース&定義の意志作用

2018-05-15 18:51:20 | 競輪
 京王閣記念の決勝。並びは吉沢‐平原‐木暮‐神山‐高橋の関東,郡司に和田‐伏見の北日本で小川は単騎。
 郡司も取りにいきましたが内の平原がスタートを確保して吉沢の前受け。周回中に上昇した小川が6番手に入り7番手に郡司の周回に。残り3周のバックの入口から郡司が上昇していきましたがバックの出口で吉沢が突っ張ったため郡司は引いて元の隊列に戻って一列棒状。残り2周のバックから再び郡司がアタック。しかし打鐘から吉沢が全開で駆けていったので郡司はホームでは浮いてしまい脱落。3コーナー手前から小川がインを上昇する動きはあったものの大勢には影響なく,直線に入ってから踏み込んだ平原が突き抜けて優勝。マークの木暮が4分の3車身差で2着。1車身差の3着は木暮の外にいった神山と内にいった高橋で接戦となり,写真判定の結果,3着は神山でタイヤ差の4着が高橋。関東勢の上位独占でした。
                                     
 優勝した埼玉の平原康多選手は1月の立川記念以来の優勝で記念競輪18勝目。京王閣記念は初優勝。このレースは関東勢が結束して競走するということに決まった時点で,よほどのことがない限り平原が優勝するだろうと予測できました。郡司に前を譲らず,吉沢が郡司に叩かせないという競走をしたので,実際にその予測通りのレースに。そもそも力量的に対抗し得るとすれば郡司以外になく,その郡司が早々に圏外となってしまったので,きわめて順当な結果に収まったというところでしょう。

 円の定義Definitioも球の定義も虚構を含んではいるのですが,それは純然たる虚偽falsitasであるというのとは違います。もっとも,スピノザはそれらが定義として成立していると認めているのですから,これは当然といえば当然でしょう。それらは虚偽であるどころか真理veritasなのです。
 これはいろいろな観点から説明できるのですが,ここではスピノザが第二部定理四九系でいっていることを中心に考えます。
 スピノザは意志voluntasというのを一般的概念notiones universalesであるとみなします。つまり個々の意志作用volitioの総体が意志といわれると解しています。一方,知性intellectusというのは観念ideaの集積のことです。ですから意志と知性が同一であるというのは,個々の意志作用と個別の観念とは同一のものであるといっているのと同じです。
 次に,スピノザが意志作用というのは,観念が観念である限りにおいて含んでいる肯定ないしは否定negatioのことです。つまり僕たちが普通に意志という語で解するような思惟の様態cogitandi modiではありません。個々の意志作用と個別の観念とが同一であるというのは,ある観念はこの意味において何らかの意志作用を必ず含んでいるということであり,このような意味での意志作用というのには,その意志作用が肯定ないしは否定している観念が必ずあるということです。したがってある観念はその観念に固有の意志作用がなければあることも考えるconcipereこともできないようなものであり,意志作用というのはそれが肯定する観念がなければあることも考えることもできないようなものであるということになります。
 これを円の定義が知性によって概念される場合についていえば,その観念を肯定する意志作用というのは,直線の一端が固定しもう一端が運動するということを肯定する思惟の様態のことであり,球の定義が知性によって概念される場合についていえば,直線部分を軸として半円が一回転することを肯定する意志作用です。各々の意志作用が円あるいは球の観念なしにはあることができないということは明白ですし,この定義によって円や球の概念が形成される場合には,各々の運動を肯定する意志作用がなければ円の観念も球の観念もあることはできないということも明白でしょう。
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叡王戦&虚構

2018-05-14 19:00:47 | 将棋
 12日に瑞巌寺で指された第3期叡王戦七番勝負第三局。高見泰地六段の選択で持ち時間は3時間。
 金井恒太六段の先手で横歩取りになった将棋は千日手に。先後を入れ替えての指し直しになりました。
 指し直し局は相矢倉模様の出だしから先手の高見六段が飛車先を伸ばしていく力戦調の相居飛車戦。後手が早繰り銀から棒銀の要領で銀を交換する将棋に。終盤まで接戦が続いていたのではないかと思われます。
                                     
 先手が6六の銀を上がった局面。後手はここで☖8八と☗同金と捨ててから☖5五角と取りました。
 これを☗同飛は☖4四角と打たれ,☗5三桂不成の王手金取りはあるもののその後の飛車の処置に苦労する可能性が残ります。なのですぐに☗5三桂不成として☖3一王と逃げたので☗6一桂成と金を取りました。
 ☖8八角成としたいですが☗5一飛成でこれは後手が負けそうです。なので☖4四角打と受けたのですが,これはまずかったのではないでしょうか。☗6六銀と打たれてしまい☖4五銀☗5五飛☖同角☗同銀で角を一枚損してしまうことになった上,打った銀も働きの鈍い駒になってしまいました。直接的な狙いには乏しいですが☖5四銀と受けておけば,すぐに負けるような将棋にはなっていなかったように思われます。
                                     
 第2図以下の先手の寄せ手順は最善ではなかったかもしれませんが,問題にはならずそのまま押し切っています。
 高見六段が3連勝。第四局は26日です。

 円の定義Definitioであれ球の定義であれ,与えられた条件の下に円あるいは球が発生すること自体を,スピノザは虚構とみなします。つまり円は一端が固定しもう一端が運動することによって形成される図形と定義されなければならず,球は半円が直線部分を軸にして一回転することによって形成される図形と定義されなければならないとスピノザはいうのですが,同時にこれらの定義には虚構が含まれているとスピノザはいっているのです。
 ここで虚構というのはふたつの観点から説明することができます。ひとつはそれを観念されたものideatumすなわち円や球と関連させた説明です。たとえば現実的に円が存在しているとして,その円は必ずしもスピノザが円の定義として説明していることを原因として発生するものではありません。別の起成原因causa efficiensを有する現実的に存在する円があり得るからです。したがってこの定義によって知性intellectusのうちに生じる円の観念ideaは,必ずしも現実的に存在するあの円やこの円といわれる円と一致するわけではありません。つまり第一部公理六により,その円の観念は現実的に存在する円の真の観念idea veraではないのです。よってこれは外来的特徴denominatio extrinsecaにおける虚構です。
 もうひとつは,直線は一端が固定しもう一端が運動するという本性essentiaを有していませんし,またそうした特質proprietas,本性から必然的にnecessario帰結する特質を有しているわけでもありません。同様に半円はそれ自体で直線部分を軸として一回転する運動をなす本性を有しているわけではありませんし,特質を有しているというわけでもありません。したがって仮に知性intellectusが直線を十全に認識するということがあっても,その観念から必然的に円の観念が発生するわけではありません。同様に知性が半円を十全に概念するconcipereということがあったとしても,その十全な観念idea adaequataから必然的に球の十全な観念が発生するというわけではありません。円や球の十全な観念が発生するためには,各々の定義に示された条件を思惟作用としてなすことが求められていて,これは虚構であるとスピノザはいうのです。つまりこれは直線や半円の十全な観念から円や球の十全な観念へと至る観点で,本来的特徴denominatio intrinsecaの観点における虚構であるといえます。
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ヴィクトリアマイル&よい定義

2018-05-13 18:49:36 | 中央競馬
 第13回ヴィクトリアマイル
 クインズミラーグロは立ち上がるような発馬でほかの馬より3馬身ほど遅れました。先手を奪ったのはカワキタエンカ。2番手にレーヌミノルとリエノテソーロ。4番手にレッドアヴァンセとアエロリット。6番手はレッツゴードンキとラビットラン。8番手がミスパンテールとジュールポレール。10番手にアドマイヤリードとソウルスターリング。12番手にエテルナミノル,リスグラシュー,デンコウアンジュの3頭。15番手以降にメイズオブオナー,ワントゥワン,デアレガーロの順で続き,クインズミラーグロだけが17頭から3馬身ほど開いての最後尾という隊列。前半の800mは46秒8の超スローペース。
 直線に入るところでカワキタエンカにリエノテソーロが並び,その外にアエロリットで最内に進路を取ったのがレーヌミノル。カワキタエンカとリエノテソーロはすぐに脱落。レーヌミノルもその後で一杯になり,先頭に立ったアエロリットの外にレッドアヴァンセ。さらに外からジュールポレールで大外からリスグラシューも伸びてきて4頭の争い。アエロリットはレッドアヴァンセに前に出られてからまた巻き返しましたが,3頭には及ばず。3頭の真中のジュールポレールが激しい争いを制して優勝。大外のリスグラシューがハナ差で2着。内のレッドアヴァンセがクビ差で3着。さらに内のアエロリットは半馬身差で4着。
 優勝したジュールポレールは重賞初制覇を大レースで達成。一昨年の10月から昨年の3月にかけて条件戦を3連勝してオープン入り。昨年もヴィクトリアマイルに挑戦して3着。9月に降級した準オープンを即卒業してまたオープンに。エリザベス女王杯はおそらく距離の影響で大敗。その後は休養して前哨戦の阪神牝馬ステークスを使ってここに向かっていました。明らかにここを狙ったローテーションで,昨年の成績から考えれば優勝しておかしくない1頭。着差からいっても,また雨の影響で力を出し切れなかった馬もいた筈で,これでトップに立ったとまではいえないでしょう。距離が伸びるのはおそらくマイナスで,牡馬相手に通用するかもやや微妙な面があるかと思います。父はディープインパクト。5つ上の半兄は2010年に東京スポーツ杯2歳ステークス,2011年に弥生賞,2012年に京王杯スプリングカップとマイルチャンピオンシップ,2014年に中京記念を勝ったサダムパテック。Jour Polaireはフランス語で白夜。
 騎乗した幸英明騎手は昨年の高松宮記念以来の大レース制覇。ヴィクトリアマイルは初勝利。管理している西園正都調教師は2012年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース5勝目。ヴィクトリアマイルは初勝利。

 それが共に定義Definitioの条件を構成するとみられる限りで,本性essentiaの条件と発生の条件は対立するわけではありません。それらは共に,定義される事物の存在existentiaを定立するという要件を満たす上に,定義された事物の特質proprietasのすべてを帰結させるという要件も満たすからです。そしてこれらの要件を満たすなら,定義における定義される事物の発生自体は,虚構で構わないとスピノザはいうのです。この考察との関連では,このときにスピノザが何をもって虚構といっているかを正確に把握しておく必要があります。
 平面上に1本の直線があり,この直線の一端が固定してもう一端が運動すると,平面上すなわち二次元上に円という図形が描かれることになります。これは円の発生を十全に示しているといえるでしょう。したがってここからは円という図形が有するすべての特質が帰結します。よってこれは円のよい定義であるとスピノザはいいます。
 同様に,半円という図形があるとしましょう。この半円が直線部分を軸として一回転すると,三次元上に球という図形が生じることになります。これは球の発生を十全に示しています。よってここからは球という図形が有しているすべての特質を帰結させることができます。ですからこれは球のよい定義であるということになります。
 ここでよい定義というのは,それ以上の定義はない,すなわち最善の定義であると意味であって,円の定義とか球の定義というのは上に示したような定義でなければならないという意味を有します。たとえば円についていえば,中心からの距離がすべて等しい二次元の図形という説明はあり得ますが,これは円の発生を示すことはできません。ですからそれは円の定義ではないのです。むしろ,中心からの距離が等しいということは,一端が固定しもう一端が運動して作成される図形ということから帰結することです。したがってそれは円の特質であるということになります。球もまた同様に,中心からの距離が等しい三次元上の図形という説明があり,それは球の説明としては正しいすなわち真verumであるのですが,球の発生を示してはいないので,直線部を軸とした半円の回転から帰結する特質なのです。
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女流王位戦&一致

2018-05-12 19:00:59 | 将棋
 9日に札幌で指された第29期女流王位戦五番勝負第一局。里見香奈女流王位と渡部愛女流二段は公式戦初対局。
 振駒で里見王位の先手で5筋位取り中飛車相銀冠から後手の渡部二段だけが穴熊に。穴熊の強みを生かした攻めを繰り出し,紆余曲折はあったものの勝てそうな局面までもっていきました。
                                     
 後手が5八に角を打って先手が4七の金を寄った局面。ここで☖4九角成なら攻め切ることができ,後手としては反省点はあるにせよ穴熊らしい会心譜といってもいい将棋になったものと思われます。しかし☖3二銀と受けに回りました。
 手番を得た先手は☗4三歩成☖同銀左☗同香成☖同銀に☗6四銀と☖5五角を阻止しつつ桂馬を補充。後手はここで☖4九角成の余裕を得ましたが,先手は☗4五桂☖4四角☗3三桂打☖3二銀☗2一桂成☖同金☗3三桂打と桂馬を駆使して攻め込みました。このように攻められれば受けは利かなくなるので後手は☖3七香☗同王☖5九龍で下駄を預けることに。
                                     
 第2図は受けても先手が勝てそうですが詰みがあるとみて最短の勝ちを目指しました。これは里見王位の棋風からは当然。☗2一桂成☖同銀☗同龍☖同玉と進めそこで☗2三香と打てば詰みだったのですが,☗3二銀と打ってしまったためにこれは詰まず大逆転。手順が分からなくて詰みを逃したわけではなく,これでも詰みという錯覚があったようです。詰みと思って進めた局面が詰まずに負けというのは,プロでも稀にあるので仕方ありません。ただ番勝負の一局ですから,これが大きく響いてしまうというケースもあり得るでしょう。
 渡部二段が先勝。第二局は22日です。

 スピノザが示した定義Definitioの条件には,両立し得なさそうなふたつの事柄が含まれています。ですがこれは見方によっては両立するのです。他面からいうと,両立しなさそうに思える発生の条件と本性essentiaの条件は,なぜそれらが共に定義の要件を構成しなければならないかという観点からみるなら,同じことを意味していると解釈することが可能なのです。
 本性を定義した第二部定義二の意味には,事物の本性はその事物の存在existentiaを定立するのであり,その存在を排除することはないということが含まれています。一方,原因が一義的に起成原因causa efficiensを意味する以上,原因は結果の存在を,これは一面的にですが定立します。この場合の原因は第一部公理三にあるように,必然的にnecessario結果を発生させるので,原因の意向によって結果が発生したりしなかったりするというわけではないからです。ただ,原因というのは必ずしも結果を発生させる原因というのを意味するわけではなく,結果の発生を阻害するような原因も同じような意味で原因なので,原因が結果の発生を定立するのであり,それを排除することはないということを一般的にいうことはできないというだけです。とはいえ,定義の要件を満たすような原因というのは,当然ながら定義されるものの存在を定立するような原因ということですから,その点に目を向ければ,発生の条件も本性の条件も,定義されるものの存在を定立するような要件であるという点で一致しているといえるでしょう。
 もうひとつ,スピノザは事物の本性からはその事物の特質proprietasのすべてが帰結すると考えています。逆に特質から本性を帰結させることができません。この意味で,スピノザの哲学では本性と特質は対義語に該当するのです。そしてこのとき,知性intellectusがある事物の発生を十全に概念するconcipereなら,概念されたその事物の特質のすべてを知性はその概念conceptusから帰結させることができるともスピノザは考えているのです。逆に事物の特質からはその発生を概念することができません。そしてそのために,事物の特質は事物の定義としては相応しくないのです。つまり,そこから事物の特質が帰結するという点でも,本性の条件と発生の条件は一致するのです。
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農林水産大臣賞典東京プリンセス賞&発生と本性

2018-05-11 19:40:12 | 地方競馬
 昨晩の第32回東京プリンセス賞
 前に行く構えをみせたのは4頭。枠なりといった感じでストロングハートがハナに。2番手にプロミストリープで3番手がグラヴィオーラ。内からコーナーワークを利してアティテュードが4番手。行く構えをみせたうちのシングンレガシイは内のベニアカリと並んで5番手に。7番手はオールパスレル,ゴールドパテック,ジョワアンジュの3頭。直後のパパドプロスまでは集団。ここから3馬身くらい離れてカズミドリーム,ミスマンマミーア,レッドウルルの3頭。その後ろにビクトリアペガサスでさらにミスサハラまでは一団。6馬身ほど遅れた最後尾にゴールデンダイヤ。
 3コーナーを回るとストロングハートにプロミストリープが並び掛け,さらにその外まで追い上げたグラヴィオーラの3頭で4番手以下を離し始めました。直線に入って3頭の競り合いからストロングハートがまず脱落。絶好の手応えだったグラヴィオーラがプロミストリープの前に出ると,プロミストリープも食い下がろうとしましたが残り200mくらいでギブアップ。そこからはグラヴィオーラが突き放す一方となり最後は流して楽勝。プロミストリープが7馬身差の2着。大外を追い上げたゴールドパテックが最初に脱落したストロングハートを捕えて7馬身差で3着。ストロングハートは1馬身4分の3差で4着。半馬身差の5着にもシングンレガシイが入り,実力上位の5頭が上位を独占する決着。
 優勝したグラヴィオーラ東京2歳優駿牝馬以来の南関東重賞2勝目。ここは桜花賞が鮮烈だったプロミストリープが最有力候補。大井コースに変わるのも有利に思えましたが,条件が変わるのも事実で絶対視はできないところ。グラヴィオーラは今年の2戦は浦和の小回りコースに対応しきれていない面が窺えましたので,優勝というケースもあり得るとは思っていました。ただ,プロミストリープが前走とは違った形のレースになり,それを大名マークすることができた有利さはありましたが,こんなに差をつけて勝てたのは意外。2歳時はストロングハートと同程度の能力でしたが,現時点では凌駕したとみてよいでしょう。少なくともこのくらいの距離になればストロングハートに負けるというシーンは今後は考えにくいです。川崎コースへの対応が課題ですが,関東オークスで中央馬を相手にしても能力的には有力候補になり得るでしょう。大井コースがよいということなら東京ダービーに向かうのも選択肢のひとつ。馬場の含水率には違いがあった筈ですが,記録面は羽田盃より優秀とみることも可能なので,牡馬相手でも勝ち負けが可能な馬だと思います。父はサウスヴィグラス。母の父はタニノギムレット。母のひとつ上の半兄にスクリーンヒーロー。3代母がダイナアクトレスで5代母がマジックゴディス。Graviolaはポルトガル語でサワーソップという植物の名前。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は東京2歳優駿牝馬以来の南関東重賞35勝目。第18回,20回,26回,27回に続き5年ぶりの東京プリンセス賞5勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は第20回以来12年ぶりの東京プリンセス賞2勝目。

 スピノザが示している定義Definitioの条件というのは,定義される事物の発生すなわち原因に関わるものだけではありません。これとは別に,定義には定義される事物の本性essentiaが含まれていなければならないというものもあります。僕はこのことについても『エチカ』で示されているすべての定義が満たしている条件であるとは考えていませんが,これも原因に関する場合と同様に,詳しいことは当時の考察を参照してください。スピノザは事物の特質proprietasというのは本性から必然的にnecessario帰結するとしています。つまりこの条件が実際に意味しているところは,定義からは定義された事物の諸特質が帰結するのが好ましいということになるでしょう。
                                
 原因に関する条件と,本性に関する条件は,ある点においては対立します。なぜなら,原因というのは結果とは別のものであるから原因といわれ得るのです。そしてこのとき,原因といわれ得るものは結果といわれ得るものに対しては,本性naturaの上で先行していなければなりません。いい換えれば結果は原因がなければあることも考えるconcipereこともできませんが,原因というのは,それが結果に対する原因とみられるのでない限りは,結果がなくてもあることも考えることもできます。つまりAが原因となってBが発生するというとき,Bは第一部公理四によってAがなければ考えられない,すなわち認識され得ないのですが,AはBがなくても考えることはできるのです。これに対して本性はそうではありません。第二部定義二から理解できるように,あるものはその本性がなければあることも考えることもできませんが,その本性というのもあるものがなければあることも考えることもできないようなあるものなのです。つまりAの本性がBであるなら,AはBなしにはあることも考えることもできませんが,BもまたAがなければあることも考えることもできないのです。
 これらの条件を本来的な意味で同時に満たすには,原因と本性が同一でなければなりません。しかしそうしたものは第一部定義一で自己原因causam suiといわれるのであり,自己原因以外は何も定義することができなくなってしまいます。それでも定義は両条件を満たすのが好ましいのです。
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羽田盃&定義論との関係

2018-05-10 19:06:53 | 地方競馬
 昨晩の第63回羽田盃
 発走後の正面から1コーナーにかけて先行争いがあり,先手を奪ったのはヤマノファイト。2番手のリコーワルサーにスプリングマンが押さえきれずに並び掛け,4番手にポンドゼルク。5番手がハセノパイロで先行争いの一角だったワグナーコーヴは6番手に。7番手のモジアナフレイバーまでは一団。1馬身半ほど差があり中団はクロスケ,ルーレットスピナー,ムシカリ,マースインディ,クリスタルシルバーの順で5頭。ここから6馬身ほど開いてトーセンブルが後方2番手。さらに5馬身ほどあって最後尾にキャスタウェイという隊列。最初の800mは50秒3のミドルペース。
 3コーナーを回るとヤマノファイトにリコーワルサーが並び掛け,この時点で内の3番手にいたハセノパイロは遅れ始め,外からモジアナフレイバーが追い上げてきて3番手に。直線はヤマノファイト,リコーワルサー,モジアナフレイバーの3頭が競り合い。モジアナフレイバーの勢いが最もよかったのですが意外にも最初に脱落。ヤマノファイトが一旦はリコーワルサーとの差を広げ,最後はまた差を詰められる形になったものの逃げ切って優勝。リコーワルサーが1馬身差で2着。直線の手前では遅れたのですがモジアナフレイバーの外からまた伸びてきたハセノパイロが1馬身差で3着。モジアナフレイバーが1馬身半差で4着。
 優勝したヤマノファイトは前哨戦の京浜盃に続いて南関東転入後はこれで南関東重賞3連勝。不良馬場の影響で差しが決まりにくくなった上,ペースもさほど上がらなかったことが優勝の要因となりました。派手なレースをするわけでもなく着差もつけるわけではないのでレースぶりからは強さがあまり感じられないかもしれませんが,京浜盃,羽田盃と根幹レースを連勝した以上,現時点で南関東の3歳馬のトップに君臨しているとみなければならないでしょう。むしろこういうタイプの馬が本当に強いということもよくあることです。東京ダービーはまた距離が延長しますが,そのこと自体が大きなマイナスになることはないと思います。父はエスポワールシチー。6代母がクレアーブリッジの祖母。
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は京浜盃以来の南関東重賞15勝目。羽田盃は初勝利。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞15勝目。第60回以来3年ぶりの羽田盃2勝目。

 もうひとつの観点がおそらく重要です。原因causaである十全な観念idea adaequataが結果effectusである十全な観念の十全性を保証するのですが,それはその原因の観念が結果の観念と組み合わさることによって保証が可能になるという場合が想定されるからです。いい換えれば,原因の観念というのはそれ単独でみられるならば必ずしも十全adaequatumであるとはいえず,しかしその結果との組み合わせとして十全であるとみられるという場合があり得るのです。いつの場合でもそうというわけではありません。そのような場合も人間の精神mens humanaのうちでは生じ得るという意味です。
 これについては実例をあげる方が容易に理解されるのではないかと思います。
                                    
 スピノザは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の95節から98節にかけてや,シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九などで,定義論というべき議論を展開しています。そしてその中に,事物の定義Definitioにはその事物の発生が含まれていなければならないというものがあります。これもかつて詳細に検討したことなので,ここでは簡潔にいいますが,僕はたとえば『エチカ』における定義のすべてがその条件を満たしているとは考えていません。したがってここでは,事物の定義には定義される事物の発生が含まれていることが好ましいというのがスピノザの考え方であると解釈しておきましょう。
 これはいい換えると,事物の定義にはその事物の原因が含まれているのが好ましいということです。なぜなら,スピノザの哲学においては原因は一律的に起成原因causa efficiensを意味するのであって,起成原因とはその事物が発生する原因であるというように解して差し支えないからです。これを,原因の観念が結果の観念の十全性を保証するということに当て嵌めるなら,事物の定義はその事物の十全性を保証するのが好ましいということになるでしょう。もちろん定義される事物は思惟の様態cogitandi modiであるとは限らないので,ここで十全性ということをもち出すのは本来は好ましいことではないですが,定義される事物が知性intellectusによって十全に認識されるために,定義のうちにその事物の発生が含まれているのが好ましいというように定義論を解すれば,このようないい換えは無理筋ではないでしょう。
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ヒューリック杯棋聖戦&組合せ

2018-05-09 19:05:12 | 将棋
 1日に指された第89期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は三浦弘行九段が4勝,豊島将之八段が12勝。
 振駒で三浦九段の先手。角換りで先手が早繰り銀からの棒銀,後手が腰掛銀。先手が積極的に仕掛けて早々から戦いに。やや先手が押し気味に進めていたようです。
                                     
 後手が8四の角を引いて受けた局面。ここは☗6五銀と桂馬を取るのが最善手で,それなら先手が勝てていました。ただ感想などにあるように,この勝ちを逃したのは仕方がない面があると僕には思えます。実戦は☗3二とと入って☖7六歩に☗3八銀と受けに回りましたが,これが実戦的な判断というものではないでしょうか。印象的な将棋⑭-2に書いたのと同じような理由で,この手順を悪手とは僕はみなしません。
 後手は☖2四角打としました。この角は受けにも利いているので☗4六歩と突いて☖同角。
                                     
 ここで☗3九金と寄って飛車取りとしましたがこれが敗着に。もちろん後手は飛車を逃げずに☖7七歩成から攻め掛かり,そのまま押し切っています。第2図は飛車を取りにいくような局面ではなく,5七の地点を受けるのが先決でした。よって☗4八金ならまだ接戦が続いていたようです。
 豊島八段が挑戦者に。棋聖戦五番勝負は第86期以来3年ぶり2度目の出場。第一局は来月6日です。

 第二部定理四〇は,現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちに十全な観念idea adaequataがあるなら,その観念を原因causaとしては十全な観念だけが発生するといっています。他面からいえば,十全な観念を原因として混乱した観念idea inadaequataが発生することはないのです。そして,それはその人間の精神のうちで,という前提があることが重要です。つまりある人間の精神の一部をなす十全な観念を原因として発生する観念は,同じようにその人間の精神の一部を構成するようになるのですが,その観念もまたその人間の精神のうちで十全であるのです。
 第二部定理四〇はこのことだけをいっているのですが,僕の考えではこの定理Propositioには4つの意味があるのです。この定理の中にそれらの意味,とくに十全な観念からは十全な観念だけが発生するということ以外の3つの意味を見出してよいということは,かつて詳しく検討しました。なのでそのことについては当時の考察を参考にしてください。僕がここでいわんとしているのは,これら4つの意味のうち,十全な観念からは十全な観念が発生するということだけが,結果effectusとして生じている後者の観念の十全性を保証するわけではなく,十全な観念は十全な観念から,十全な観念だけから発生するという意味も組み合わさることによって,結果の観念,こちらの場合では前者の観念の十全性が保証されるということです。
 なぜこの組み合わせによって保証が成立しなければならないかは,ふたつの観点から説明されます。そのうちひとつの観点は,原因は結果が生じることによって結果の十全性を保証できるということに類似しています。実際に僕たちが何かの保証を求めるとすれば,それは結果として生じる観念について求めるのです。ですからその観念が十全であるためにはその原因が十全でなければならないということを知っていれば,その保証は容易に求められることになるでしょう。ただし,この観点は重要ではないです。第二部定理四〇は定理なので証明Demonstratioが必要ですが,第一部公理四は公理Axiomaとして知られることであり,第二部定理五第二部定理九は十全性の保証と無関係に証明され得るので,このことは保証とは別に知られ得るからです。
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叡王戦&保証

2018-05-08 19:00:35 | 将棋
 4月28日に宗像大社で指された第3期叡王戦七番勝負第二局。
 高見泰地六段の先手で相矢倉模様の出だしでしたが飛車先を交換して棒銀へ。後手の金井恒太六段は早繰り銀。力戦の相居飛車戦で,後手の方が指し方が難しいとすれば,後手として不満のない進展になっていたように思えます。
                                     
 先手が6四の桂馬を成った局面。後手は☖7五馬とただのところへ飛び出して☗同金に☖6六銀と打っていきました。☖3三馬と逃げる手もあり,それでじり貧になるとも思えないので,これは決めにいったとみてよいのではないでしょうか。ただこれがやり過ぎで,後手は負けにしてしまったのではないかと思われます。
 先手は☗9九飛とと金を取って逃げ道を広げ,後手もすぐに決められるわけではないので☖7五銀と補充。先手はそこで☗4五銀と桂馬を取り☖同歩に☗2三桂☖2二王の交換を入れた上で☗2四馬と後手の玉頭に逃げました。後手は☖1一香。
 先手は2四の馬が攻めの基軸になっているのですぐに☗3一角と打っていきそうですが☗2九飛と飛車も使いにいきました。対して☖2五歩と飛車道を遮断する手を指しましたが,攻めの基軸である馬に直接的に働きかける方がよかったかもしれません。この二手は明らかに先手の言い分が通った形で☗3一角がより厳しい手となりました。
                                     
 第2図となっては後手は受けきることは不可能。先手が勝ちの局面です。
 高見六段が連勝。第三局は12日です。

 もう一点は真理性すなわち観念ideaの十全性と直接的に関連することなので,ここでの考察との関連性からはより重要です。ただ,僕はこのことをどのように説明するのが適切であるかよく分からないので,ことによると誤解を招きかねないような内容になるかもしれません。なので前もっていっておきますが,この点について中途で疑問を抱かれたとしても,僕のいわんとするところを最後までよく読んで理解するようにしてください。
 僕は人間の精神mens humanaがそれ単独でみられる場合に,その精神の一部を構成する観念の十全性を保証する定理Propositioは第二部定理四〇であるといいました。その理由は,第一部公理四からして,結果として生じる観念の真理性を保証するのはその原因でなければならず,結果として生じる観念が十全な観念idea adaequataであるということをその原因から明示している定理が第二部定理四〇であるからです。
 ただし,これは原因である十全な観念が,結果として発生する十全な観念の十全性を一方的に保証するというものではありません。むしろ原因となっている観念から結果としてある観念が生じるがゆえに,原因である十全な観念は結果である十全な観念の真理性を保証することができるのです。これは無意味な仮定かもしれませんが,もしある観念が人間の精神のうちで十全adaequatumであるとしても,この観念が原因となって何の観念も発生しないのであれば,その観念は何事かの真理性を保証するということはできません。
 これは,何かが何かを保証するという場合には,保証するものと保証されるものがあるから何かは何かを保証することが可能なのであって,保証されるべきものが何もないとしたら,どんなものであろうと何かを保証することはできないということを一般的には意味するのであって,当然といえば当然といえるかもしれません。しかし,それは保証するものからみた場合にそうなのであり,保証されるものの方からみた場合にはそうともいいきれません。実際に保証されるべきことがあって,その保証を求めているという場合に,その原因がそれを保証してくれるのであれば,原因の方が一方的に結果を保証しているかのようにみえる筈だからです。
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日本選手権競輪&身体の能動

2018-05-07 18:56:27 | 競輪
 平塚競輪場で開催された昨日の第72回日本選手権競輪の決勝。並びは山中‐和田の千葉,浅井に香川,脇本‐三谷‐村上義弘‐村上博幸の近畿で新田は単騎。
 浅井と和田がスタートを取りにいき,内の浅井が制して前受け。新田が3番手に入り4番手に山中。6番手から脇本という周回に。残り2周のバックの入口から脇本が上昇開始。一気に浅井を叩いて打鐘から先行。4番手に浅井,7番手に新田,8番手に山中の一列棒状に。脇本のスピードが秀逸で,村上博幸と浅井の差が開いたままなかなか追いつかずに直線を迎えました。番手有利に運んだ三谷が脇本を差し切って優勝。三谷マークの村上義弘が4分の3車身差で続いて2着。逃げ粘った脇本がタイヤ差の3着。村上博幸も1車身半差の4着に続いて近畿勢の上位独占。5着は上位4選手から4車身もの差がつきました。
 優勝した奈良の三谷竜生選手は3月の玉野記念以来の優勝。昨年の日本選手権以来のビッグ2勝目で日本選手権連覇。このレースは脇本の先行が有力で,近畿勢にとっては有利な展開になるだろうことは予想できました。とはいえこんなに一本調子のレースになったのは驚き。これでは無風の番手の三谷にとっては優勝してくださいというレースだったでしょう。ほかのラインがあまりに無策であったといえばそうなのですが,それよりも脇本が強すぎたという内容に感じられました。

 観念ideaの本来的特徴denominatio intrinsecaがその真理性を決定するのであり,外来的特徴denominatio extrinsecaはその決定に関与することができということ,いい換えれば観念の真理性とは観念の十全性のことを意味するのであり,その観念が観念されたものideatumと一致しているということを意味しているわけではないということ,さらにその真理性すなわち十全性の保証は現実的に存在する人間にとって可能であるということ,とりわけそれが無限知性intellectus infinitusの一部を構成するものとしてでなく,それ単独でみられる精神mensにとって可能であるということはこれで説明することができました。そしてこのゆえに,スピノザの哲学で,外来的特徴からみられる真の観念idea veraと本来的特徴からみられる十全な観念idea adaequataは,ほぼ同一の意味であるけれど相違がある,いい換えれば,事物を真に認識するというのと十全に認識するというのとでは,ほぼ同一の意味であるけれど差異があるのであって,この相違の方が重要であると僕は考えているのです。
 したがってこの部分の考察はこれで終了としてもいいのですが,ふたつばかりいい添えておきたいことがあります。
                                
 ここでは観念の十全性についての保証を求めるために,現実的に存在している人間の知性あるいは精神の能動actio Mentisとは何を意味するかということを丹念に探求してきました。しかしスピノザの哲学では人間の能動と受動は精神にあっても身体corpusにあっても一律であるので,人間の精神が働いている場合はその人間の身体も働いているのです。このことはある人間の精神というのをひとつの観念の全体としてみるなら,その観念対象はその人間の身体であるということを示した第二部定理一三と,観念と観念されたものの原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoは同一であるということを示した第二部定理七から明らかです。ただ,そもそも人間の精神をその人間の身体の観念と規定すること自体が,スピノザの哲学における特異性であるといえなくもないので,この点は注意が必要です。つまり人間の精神あるいは知性の一部を構成する十全な観念が十全な原因causa adaequataとなっているときは,その人間の身体の中でも,何らかの物体corpusが十全な原因として運動motusないしは静止quiesしていると理解しておかなければならないのです。
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NHKマイルカップ&現実的保証

2018-05-06 18:56:27 | 中央競馬
 第23回NHKマイルカップ
 カツジとプリモシーンはほかの16頭より1馬身から2馬身くらい遅れるような発馬。まずダノンスマッシュが先頭に立ちましたが,内から制したテトラドラクマの逃げに。2番手以下はダノンスマッシュ,フロンティア,ファストアプローチ,ミスターメロディの順で続き,その後ろにギベオンとカシアスの2頭。その後ろはカツジ,リョーノテソーロ,パクスアメリカーナ,ロックディスタウンの4頭。さらにタワーオブロンドンが続いてアンコールブリュとレッドヴェイロンの2頭もほぼ同じ位置。以下はプリモシーン,ルーカス,ケイアイノーテック,デルタバローズと続きました。前半の800mは46秒3のミドルペース。
 直線に入るところでもテトラドラクマが先頭でしたが,ダノンスマッシュとミスターメロディが外から並び掛けました。このときダノンスマッシュとミスターメロディの間に間隔があったのでギベオンがそこを突いて先頭に。内の2頭は追えませんでしたが外のミスターメロディとさらに外から伸びてきたレッドヴェイロンの2頭がギベオンを追い掛ける形。ミスターメロディは脱落し,ギベオンはレッドヴェイロンの追撃は一杯に凌ぎましたがさらに外から差してきたケイアイノーテックの伸び脚が優り,フィニッシュの直前で差し切って優勝。レースの展開面から仕方がなかったのですが結果的にやや早仕掛けとなってしまったギベオンがクビ差の2着。レッドヴェイロンがアタマ差で3着。
 優勝したケイアイノーテックは重賞初勝利で大レース制覇。とはいえ昨年6月に新馬を勝った後,デイリー杯2歳ステークスが3着で朝日杯フューチュリティステークスも4着。今年に入って初戦の500万は2着でしたが3月に勝ち上がり,トライアルのひとつであるニュージーランドトロフィーで2着と,きわめて安定した成績を収め,重賞は手が届くところまできていました。上位が大接戦となったように,能力的に抜けているというわけではなく,同じようなメンバーで戦えば,互いに勝ったり負けたりという結果が続いていくものと思われます。父はディープインパクト。母は2010年のプロキオンステークス,2011年のカペラステークスに勝ったケイアイガーベラ。Nautiqueはフランス語で航海。
                                     
 騎乗した藤岡佑介騎手は2012年の全日本2歳優駿以来の大レース3勝目。NHKマイルカップは初勝利。管理している平田修調教師は2日のかしわ記念に続いての大レース5勝目。第17回以来6年ぶりのNHKマイルカップ2勝目。

 ある人間の精神mens humanaないしは知性intellectusの全体が十全な原因causa adaequataになっている場合がその人間の精神ないしは知性の能動actioであるわけでなく,この精神ないしは知性の一部を構成している十全な観念idea adaequataが原因となって別の観念が発生する場合も,この人間の精神ないしは知性の能動であるということは,ここまでの説明からお分かりいただけたものと思います。そしてこれが分かれば,第二種の認識cognitio secundi generisにおける十全性ないしは真理性の保証も,十全な原因と十全な観念の間に不可分離的な関係があるということから説明することができます。
 一方,第二部定理一一系の具体的意味から,Aという人間の精神ないしは知性のうちにXの混乱した観念idea inadaequataがあるということは,Aの精神ないしは知性の本性naturaを構成する,いい換えればAの身体corpusの観念を有するとともに,ほかのものの観念を有する限りで神のうちにXの十全な観念があるということでした。このことを利用すれば,Aの精神あるいは知性のうちにあるXの混乱した観念が原因となって別の観念が発生する場合は,単にそのXの観念が部分的原因causa partialisとなっているわけではなく,Aの精神ないしは知性が部分的原因であると解してよいということも説明できます。なぜなら,Aの身体の観念を有するとともにほかの観念を有する限りで神のうちにある観念から生じる観念は,同様に,Aの身体の観念を有するとともにほかのものの観念を有する限りで神のうちで十全であるからです。しかしこのことは同じことの繰り返しになりますし,観念の真理性すなわち十全性の保証を求めるためには役立ちませんから,割愛します。
 次に,第二種の認識というのは共通概念notiones communesを基礎とした認識です。そして人間は現実的に存在するなら,必ずその精神の一部は共通概念によって組織されます。これは第二部定理三八系から明白です。したがって第二部定理四〇が観念の十全性を保証するというのは,論理的にそうであるということだけを意味しているわけではなく,現実的にそれを意味していることになります。いい換えればこの保証は現実的なものである,とくに僕たちの精神ないしは知性がそれ単独で把握される場合に現実的なものであるということになります。
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日刊スポーツ賞東京湾カップ&人間精神の能動

2018-05-05 19:00:19 | 地方競馬
 3日の第32回東京湾カップ
 まずクレイジーアクセルがハナへ。この後ろは取り合いのような形になりましたがエターナルモールが単独で2番手を確保。3番手にミスターバッハ。1コーナーで外を回らされたデイジーカーニバルは4番手。5番手にユニバーサルライト。6番手がレベルスリー。7番手はスプリングマンとマッドドッグ。9番手にフレアリングダイヤ。10番手はヴオロス,トーセンブル,ナムラバンザイの3頭。後方2番手がエヌティプリンスで最後尾にカットイン。わりと縦長の隊列になりました。
 デイジーカーニバルはずっと外を回っていましたが3コーナーを回っても外から進出。エターナルモールはここで一杯になり,一時的に2番手と3番手は差が開きました。直線は粘るクレイジーアクセルとデイジーカーニバルの競り合い。デイジーカーニバルは直線の途中で腰をひねってしまったために急激に失速してしまい,二枚腰を使って逃げ切ったクレイジーアクセルが優勝。一旦は離されましたが直線でまた詰め寄ってきたユニバーサルライトが1馬身半差で2着。後方から内目を回って追い上げ,失速したデイジーカーニバルとユニバーサルライトの間に進路を確保したフレアリングダイヤがクビ差で3着。デイジーカーニバルは1馬身半差の4着で,ユニバーサルライトの外を伸びたミスターバッハがクビ差の5着。
 優勝したクレイジーアクセルは南関東重賞初制覇。昨年11月のローレル賞で急カーブを曲がり切れずに大外を回ってそれでも4着と一定の素質をみせていました。今年に入ってからの3戦は逃げの手に出て1着,4着,1着。立て直した上昇度もありましたので優勝候補の1頭。ただ,2着馬と3着馬はこのレースのトライアルも同じ着順。そのときに3馬身差で勝っていたのが4着馬だったことを考えると,デイジーカーニバルがアクシデントで力を発揮できなかったと判断するのが妥当で,この判断が正しいなら着差からトップクラスとは差がありそうという結論になると思われます。とはいえ直線でみせた粘り腰はなかなかのものでした。逃げ馬は不思議な力を発揮することがありますし,活躍馬が多く出ている牝系であることからも,あまり軽視してしまうのも危険かもしれません。母の父がサクラバクシンオーで祖母の父はスペシャルウィーク。4代母はステラマドリッド。3代母のふたつ下の半妹は2002年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選出されたダイヤモンドビコー
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は桜花賞以来の南関東重賞28勝目。第23回以来9年ぶりの東京湾カップ2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は東京湾カップ初勝利。南関東重賞は5勝目。

 第二部定理七系の意味は,神Deusのうちにある観念ideaはすべて十全adaequatumであるということでした。第一部定理三六から分かるように,もし神のうちにある観念のどれかを抽出すれば,その観念を原因として何らかの結果が発生します。いい換えればその観念を原因として何らかの観念が発生します。第二部公理三から,思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念なので,観念を原因として発生する思惟の様態は第一には観念と規定されなければならないからです。そして再び第二部定理七系の意味に戻れば,このようにして発生するその観念も神のうちでは十全です。
                                
 したがって,神のうちには能動actioだけがあるのであって,受動passioはありません。いい換えれば神は働くagereものであって,働きを受けるpatiものではありません。これは第一部定理一七からも明らかだといえます。
 ただし,神のうちにある観念のすべてが,神が無限に多くのinfinita観念を有する限りで神のうちにあるというわけではありません。たとえば第二部定理九系が示しているのは,もしAというものがあって,そのAというもののうちにXということが生じるのであるとすれば,そのXの観念というのは,神が無限に多くのものの観念を有する限りで神のうちにあるのではなく,神がAの観念を有する限りで神のうちにあるということを示しています。
 そこでもしAという人間が現実的に存在しているとして,Aの身体corpusの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるとしてみます。そしてこのXの観念がこの限りにおいて十全であるとして,さらにこのXの観念が原因となってYの観念が発生するのなら,このYの観念もAの身体の観念を有する限りで神のうちで十全であるのです。よってこれは神にとっての能動ではありますが,この神はAの身体の観念を有する限りでの神でもあるので,Aの身体の観念にとっての能動でもあるのです。そして第二部定理一三によれば,Aの身体の観念とはAの精神mensのことですから,これはAの精神の能動であるという意味になります。
 このために,Aの精神のうちにXという十全な観念があり,そのXの観念だけが原因となってYが生じても,これはXの能動ではなくAの精神の能動です。
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農林水産大臣賞典兵庫チャンピオンシップ&知性の能動

2018-05-04 19:06:02 | 地方競馬
 昨日の第19回兵庫チャンピオンシップ
 好発はテーオーエナジーでしたがビッグスモーキーが外から制してハナ。メイショウヒサカタが2番手に上がり控えたテーオーエナジーは3番手。控える不利があったように見えるアゼツライトが4番手。5番手にクリノヒビキ,キャベンディッシュ,ワークアンドラブの3頭でここまでは大きな集団。差が開いてエムティストロフィがぽつんと追走。また差が開いてスリルトサスペンス,エンジェルアイドル,ローザルーナという隊列で1周目の向正面から3コーナーを通過。
 正面に入ると押し上げたキャベンディッシュが2番手になり3番手にメイショウヒサカタ,4番手にテーオーエナジーとなり,5番手のワークアンドラブとは差が開き,前4頭での競馬に。向正面でビッグスモーキーの外にキャベンディッシュが並び掛け,メイショウヒサカタの内からテーオーエナジーが追撃。ビッグスモーキーとキャベンディッシュが競り合うところ,コーナーもインを回ったテーオーエナジーが直線の入口で2頭の外に出し,まとめて差し切って優勝。逃げ粘ったビッグスモーキーが5馬身差で2着。最後は一杯になったキャベンディッシュが1馬身半差で3着。
 優勝したテーオーエナジーは昨年11月に新馬を勝ち,500万を3着,2着ときて前走で卒業。連勝で重賞初制覇。前走も5馬身差の快勝で,近況と距離適性を考えればここでは最有力と目されていました。500万で3着だったときの勝ち馬はオープンも勝ったのですが,7馬身も差をつけられての敗戦でしたから,能力的にこの路線のトップクラスとはいえない面も残ります。ただ短い直線だけで5馬身もの差をつけたのことは注目する必要があり,地方競馬の馬場への適性は高い馬だろうと思われます。父はカネヒキリ。母の6つ上の半兄に2003年にかきつばた記念ととちぎマロニエカップを勝ったビワシンセイキ
 騎乗した岩田康誠騎手は第8回,12回,16回に続き3年ぶりの兵庫チャンピオンシップ4勝目。管理している宮徹調教師は第18回からの連覇で兵庫チャンピオンシップ2勝目。

 スピノザが知性intellectusというのは観念ideaの集積のことです。したがって無限知性intellectus infinitusとは無限に多くのinfinita観念の集積のことであり,人間の知性のような有限知性というのは有限個の観念の集積です。精神と知性はある思惟の様態cogitandi modiをどのような観点から把握するかという相違があるだけです。ですからある人間の知性とある人間の精神mens humanaは,それをひとつの形相的有esse formaleとして把握するなら同一です。
 このとき,人間の知性すなわち有限な知性が無限知性の一部を構成しています。ただしそれは部分というのとは少し違っています。ある人間の身体corpusというのが延長の属性Extensionis attributumの下に物体corpusとして存在するとき,その観念が人間の精神といわれるのであって,人間の身体が無限に多くの物体の一部としてみられる限りにおいて,人間の知性も無限知性の一部とみられているにすぎません。人間の身体を構成する物体は有限個とはいえ数多くあるのであって,そうしたものが仮に分解されたとしても,いい換えればそれが人間の身体であるといえなくなったとしても,それらの物体が無限に多くの物体の一部であることに変わりはありません。これと同じように,人間の精神は無限知性の一部ですが,それは常に人間の精神としてみられる限りにおいて無限知性の一部なのではありません。むしろ無限に多くの物体によって構成されるような全宇宙の姿facies totius Universiはそれ自体でみれば分解することが不可能であるのと同じように,無限知性もそれを思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態としてみるなら,いかなる方法によっても部分に分割することは不可能なのです。
 そこで,人間の知性というのが有限な個数の観念によって組織され,その観念のうちには十全な観念idea adaequataもあれば混乱した観念idea inadaequataもあるというのは事実ですが,その一部を構成しているような十全な観念を原因として何らかの観念が発生するなら,これはその人間の知性による能動actioなのです。なぜならこの観念は,この人間の知性の本性naturaを構成する限りで神Deusのうちで十全であるという観念から発生している観念であり,この様式で説明される限りで無限知性の一部を構成しているからです。いい換えれば神のうちにこの人間の身体の観念がある限りで,その観念も十全であるからです。
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農林水産大臣賞典かしわ記念&第二種の認識による保証

2018-05-03 18:59:44 | 地方競馬
 昨晩の第30回かしわ記念
 先手を奪いにいったオールブラッシュの逃げ。2番手にモーニン,3番手にベストウォーリア,4番手にヒガシウィルウィン,5番手はゴールドドリームとインカンテーション,7番手にノンコノユメで8番手はグランユニヴェール。ここまでは一団。大きく離れてソッサスブレイ,チェダー。また大きく離れてミッキーヘネシー,キャッスルクラウンという隊列。前半の800mは49秒3のミドルペース。
 3コーナーを回るとモーニンは追走に汲々となり,ベストウォーリアが2番手。さらにインカンテーションとゴールドドリームが追い上げてきました。わりと楽なペースで逃げることができたオールブラッシュは直線でもよく粘ったのですが,最後の200mはやや疲れてしまい,インカンテーションの外から追ってきたゴールドドリームが差し切って優勝。オールブラッシュが1馬身差で2着。インカンテーションはアタマ差の3着で,ゴールドドリームの外から追い込んできたノンコノユメが4分の3馬身差で4着。
 優勝したゴールドドリームチャンピオンズカップ以来の勝利で大レース3勝目。ここはこの馬とノンコノユメが力量的には上位。船橋コースへの適性の高さが2頭の明暗を分けたようなレースになったといえ,その意味では順当な優勝といっていいのかもしれません。戦績から分かるように,距離が伸びていくことはマイナスに作用し,右回りよりも左回りの方が力を発揮できます。帝王賞では割引で,南部杯は有力候補ということになるでしょう。発馬にも難があるように注文がつくタイプではありますが,高い能力を有しているということだけは間違いありません。父はゴールドアリュール
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は桜花賞以来の大レース制覇。かしわ記念は初勝利。管理している平田修調教師はチャンピオンズカップ以来の大レース4勝目。かしわ記念は初勝利。

 第二種の認識cognitio secundi generisによる真理性あるいは十全性の保証は,第三種の認識cognitio tertii generisによる保証の場合と別です。というのは,第二種の認識は,能動actioであるという点では第三種の認識の場合と同様ですが,第二種の認識をなす人間の精神mens humanaあるいは知性intellectusの全体がその原因となって何らかのことを認識するというのとはやや様相を異にするからです。このために,単に原因の十全性と観念の十全性の間には不可分離的な関係があるということだけで,その人間の精神あるいは知性のうちで,第二種の認識によって認識された観念の十全性すなわち真理性が保証されていると断定してしまうのには,やや危険が伴うのです。
 では第二種の認識すなわち理性ratioによる認識によって現実的に存在するある人間の精神あるいは知性のうちで獲得される観念の真理性を何が保証するのかということを具体的に示している定理Propositioはどこにあるのかといえば,僕はそれは第二部定理四〇であると思います。この定理では,ある人間の精神あるいは知性のうちに何らかの十全な観念idea adaequataがあって,この十全な観念を原因として何らかの観念が結果として生起するのであれば,生起したその観念は十全であるという意味のことがいわれています。このことは,ある人間の精神あるいは知性のうちで十全な観念の原因となるものは,その同じ人間の精神のうちで十全である別の観念であるということを意味しますから,第一部公理四によって,結果の真理性すなわち十全性の認識がその原因の認識に依存しなければならないという条件を満たします。よってこれは結果として生じる観念の十全性を,その人間の精神あるいは知性のうちで,いい換えれば神Deusの無限知性intellectus infinitusの一部としてみられる人間の精神あるいは知性ではなく,それ単独でみられるような人間の精神あるいは知性のうちで保証することができるということになるでしょう。
 第三部定理一が示しているように,僕たちは十全な観念を有する限りでは働きをなしagere,混乱した観念idea inadaequataを有している限りでは働きを受けるpatiのです。ここから分かるように,精神あるいは知性の能動というのは,必ずしもその精神あるいは知性全体にとっての能動を意味しているというわけではないのです。
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スターライトクラウン&第三種の認識による保証

2018-05-02 19:02:57 | 競輪
 4月29日に函館で行われたナイター競輪20周年記念の決勝。並びは鈴木‐山下‐真崎の関東,大矢‐柴田の東京,南‐山本‐松岡の西日本で小林は単騎。
 南が躊躇わずにスタートを取って前受け。4番手に小林,5番手に鈴木,8番手に大矢の周回。残り3周のバックから大矢が一気に上昇。鈴木が柴田の後ろに続きました。ホームの入口で大矢が南を叩くと南は引き,小林は真崎の後ろにスイッチ。この一列棒状でバックに至り,打鐘前のバックで南が発進。これに併せて鈴木も出ていきました。ホームで南が鈴木を叩いて先行。鈴木は一旦は松岡の内で粘り,1コーナー過ぎにさらにインを上昇。山本をどかして南の番手を奪取。山本も再びバックで追い上げてきましたが取り返すことはできませんでした。鈴木ラインにとってはいい流れでしたが,マイペースの先行になった南の末脚に衰えはなく,そのまま逃げ切って優勝。鈴木マークの山下が1車身差の2着。奪取した番手とはいえつきバテのような形になってしまった鈴木は1車輪差で3着。
 優勝した和歌山の南潤選手は3月に玉野で行われたルーキーチャンピオン以来の優勝。デビューが昨年5月で10月にA級2班に特別昇班。さらに昨年12月にS級2班に特別昇班したという新鋭レーサー。今年の2月に別府のFⅠでS級の初優勝を飾っていました。もちろん記念競輪は初制覇で,デビュー以来の最短記録での優勝になります。直後に日本選手権を控えているためトップクラスの出場はなく,参加メンバーが決まった時点で優勝候補の最右翼的存在。もし大矢が先行争いを挑んてきて,それで脚を使うようでは苦しくなるかもしれないと思っていましたが,そういうレースにはならなかったので,自力選手に番手に入られても楽に逃げ切ることができました。レベルが高いメンバー構成ではなかったとはいえ,新鋭選手にとって最初のチャンスを生かすことができるかどうかはその後の選手人生にとってとても大事なこと。きちんとチャンスをものにしたので将来のスター候補であると思います。

 スピノザによる保証は,認識cognitioの種別と関連します。ここではそれを,第二種の認識cognitio secundi generisによる保証と,第三種の認識cognitio tertii generisによる保証といういい方で類別します。
 第三種の認識による保証には,多くの説明を要しませんので,まずこちらから考えます。
                                
 第三種の認識とは,第五部定理二二にあるように,現実的に存在する人間,いい換えれば現に存在している自分自身の身体corpusの本性essentiaを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念ideaが神Deusの中にあるということから,第五部定理二三にあるように,現実的に存在している人間すなわち現に存在している自分自身の精神mensの中の「あるものaliquid」が残存するという認識を原因causaとして,諸々の個物res singularisを認識するcognoscere認識のあり方のことをいいます。このようにして僕たちが現実的になす認識のことをスピノザは「精神の眼」,身体の目ではなく「精神の眼」という語で表現します。
 第五部定理二三備考では,「精神の眼Mentis enim」というのは証明demonstrationesそのものであるという意味のことがいわれています。したがって僕たちが「精神の眼」によって何事かを認識するとき,いい換えれば第三種の認識によって何事かを認識する場合には,実際にそれを認識しているということ以上の保証は必要とはされません。むしろその真理性あるいは十全性の保証というのは,僕たちが第三種の認識によって何事かを認識したというその思惟作用自体のうちにあるといわれなければならないからです。
 なぜ認識それ自体が十全性の保証となり得るのかを論理的に示すならば,スピノザは原因の十全性と観念の十全性との間に,不可分離的とでもいえるような関係を認めているからです。第三部定義一から分かるように,もしも僕たちの精神ないしは知性intellectusの全体だけが原因となって何らかの認識が行われるのであれば,僕たちの精神あるいは知性の全体が十全な原因causa adaequataとして何事かを認識しているのであり,この場合には認識される観念は十全な観念idea adaequataです。なぜなら第三部定義二により,それが精神あるいは知性の能動actioであるからです。第三種の認識というのは,いってみれば自分の精神あるいは知性が十全な原因であるという認識を伴う認識なのであり,このためにそれ以上の保証は不要なのです。
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