スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

鳳凰賞典レース&先生の憎しみ

2018-01-07 19:06:30 | 競輪
 立川記念の決勝。並びは平原‐芦沢の関東,浅井‐金子‐志智の中部,小川‐小倉‐浜田の四国で岩津は単騎。
 前受けは浅井。4番手に平原で6番手に岩津。7番手から小川の周回。残り3周のバックの出口から小川がゆっくりと上昇。残り2周のホームに入って平原も動き,ホームの出口で浅井を叩いたのは平原。小川はコーナーでその外を上昇し,バックの入口で平原を叩いて誘導の後ろに。周回中と隊列の前後だけ入れ替わっての一列棒状。このまま打鐘まで誘導を使った小川が,誘導の退避とともに抑え先行に。ホームでは動きがなく,バックに入って先に平原の捲り。浅井はさらにその上を捲りにいこうとしましたが,さすがに平原の先捲りを乗り越えることはできず,バックのうちに小川を捲った平原が直線は抜け出して優勝。浅井の勢いをもらった金子が大外を伸びて4分の3車身差の2着。小倉に絡まれる形になった芦沢は半車輪差で3着。
                                     
 優勝した埼玉の平原康多選手は昨年2月の全日本選抜競輪以来の優勝。記念競輪はその直前の大宮記念以来で通算17勝目。立川記念は2014年以来となる4年ぶりの2勝目。このレースは小川の先行が濃厚。平原であれ浅井であれ,脚力からすれば捲ることは可能。おそらく力勝負を好む浅井よりも積極的に位置を取りに行く平原の方が前になりそうなので,平原の方が有利なのではないかとみていました。グランプリのときの捲りが物足りない感じだったので,調子に関してやや心配はあったのですが,あれはやはりタイミングが悪かったというだけであったようです。平原らしいレース運びでの優勝であったと思います。

 静の涙の原因はKの自殺です。したがって,静は死んでしまったKを表象して泣いた,つまり悲しみtristitiaを感じたと読解して間違いないでしょう。同時にこのことは,僕たち読者の読解のレベルとして正しいというだけでなく,先生の認識cognitioのうちでも正しかった筈です。少なくとも先生は,Kの遺体を目の当たりにすることによって静は泣いていると,意識したかは否かは別としても理解はできた筈です。そしてKが遺体になったのはK自身による行為の結果でした。ですから静の悲しみの原因はKであるというように先生は理解していたと読解して,これも間違いないといえます。
 すると,先生は静に対する愛amorについては自覚的であったのですから,第三部定理二二により,先生はKに対して憎しみodiumを抱いた筈です。そしてこれは,感情affectusのレベルだけでいえば実際にそうであったと僕は考えます。先生がそのことを意識するかどうかはまた別として,もしもKが自殺をしなければ,静が悲しむことはなかったということは先生は認識できた筈だからです。ただし,先生の完全性perfectioの移行transitioを視野に入れた場合には,この憎しみという悲しみによって先生はより大なる完全性からより小なる完全性へと移行したのですが,その移行の度合はきわめて小さかったと僕は解します。このときに先生は静の涙を表象するimaginariこと自体によっても,第三部定理二一によって大なる完全性から小なる完全性へと移行したのですが,そちらの移行の度合の方がずっと大きかったと考えられ,Kの観念ideaを伴った悲しみすなわちKに対する憎しみの方は,このときの先生の悲しみの全体としての割合を考えたら,無視してもよい程度のものであったでしょう。
 一方で,先生の意識そのもののレベルでいえば,静を悲しませた原因としてのKについてはほとんど考慮していません。これはこの部分の記述の仕方から明白であると読解できます。僕は先生がKに対する憎しみを意識していなかったとはいいませんが,それはKに対する先生の優越感など,それまでの先生とKの間の歴史に起因するべきものであって,自殺することによってKが静を悲しませたということによるものではないと解するべきだと思います。
コメント
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