スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義二一&あるもの

2016-03-31 19:25:53 | 哲学
 第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaは,自分自身への愛amorのために自分自身を正当以上に誤って評価する感情affectusのことです。すなわちこの感情は,受動的に発生する自己愛philautiaという感情のひとつの特質proprietasであると規定することができます。するとこれだけのことから明らかなように,僕たちは僕たち自身以外の何かを受動的に愛するならば,やはりその特質として,その愛する何かを誤って正当以上に高く評価することになります。そうした感情は買い被りといわれ,第三部諸感情の定義二一に示されています。
                                    
 「買いかぶりとはある人について,愛のゆえに,正当以上に感ずることである」。
 スピノザはこの感情が他人に対してのみ発生すると定義していますが,僕にはその理由がよく分かりません。たとえば愛するペットをその愛のゆえに正当以上に評価する飼主というのは存在しているとしか思えず,それも買い被りに違いないと僕は考えるからです。なので僕自身はこの感情に関しては,スピノザの定義Definitio以上の範疇に広げて解釈します。
 スピノザは高慢は狂気の一種としていますが,買い被りはそうとはみなしていません。これはおそらく上述の例からも明らかなように,これが愛という感情の表出,いい換えれば愛情表現のひとつとみることが可能だからだと僕は思っています。ペットを買いかぶる飼主とか,子どもを買いかぶる親とかは,それが度を越していれば確かに狂気の一種とみなせるでしょうが,そうでない限りはむしろほほえましいと思えるような事柄だといえるのではないでしょうか。
 一般的には高慢は人の性格を表現し,買い被りというのも人の行動とか混乱した観念idea inadaequataを意味するのであり,感情とみられることは少ないのではないかと思います。ですが僕がこれらの語を使用するときは,それが感情であることを意味するという点には,いつでも注意してもらえればいいと思います。

 第五部定理二三証明の冒頭部分のスピノザによる記述は,In Deo datur necessario conceptus, seu idea,となっています。つまり畠中が概念ないし観念と訳している部分の概念は,一般的な思惟の様態cogitandi modiを意味するnotioではなく,精神の能動actio Mentisを意味するconceptusであることが分かります。この部分が第五部定理二二に依拠しているのですから,現実的に存在する人間の身体humanum corpusを永遠の相species aeternitatisの下に表現するexprimere観念について,スピノザが徹底して個別的なものと解していたのは間違いないでしょう。これはスピノザが第五部定理二二で人間の身体の観念に言及するとき,このまたはかの,という形容を与えていることからも明白だといえます。
 このゆえに第五部定理二三で永遠といわれている,人間の精神mens humanaの中のあるものとは,第二種の認識cognitio secundi generisによってその精神に与えられるもの,あるいは生起するものではありません。そしてそれが第二種の認識によって生じるのではないという結論は,同時に第三種の認識cognitio tertii generisによって生じるものであるという結論でなければならないのです。なぜなら第二部定理四四系二で,永遠の相の下に事物を認識するcognoscereことが理性ratioの本性naturaに属するといわれるとき,永遠の相の下に事物を認識することは理性だけの本性に属するのではなく,第三種の認識の本性にも属しているということがすでに明らかとなっていて,しかし第一種の認識cognitio primi generisの本性にはそれは属さないということも明白になっているからです。すなわち第五部定理二二で人間の身体の本性essentiaを永遠の相の下に表現する神Deusの中の観念は,第二部定理一三により,その人間の精神の本性に属する何かでなければならないわけですが,それが現実的に存在する人間にとっては,いい換えればある人間の精神が現実的に存在するといわれる場合には,所与のものであるとは考えられないので,何らかの認識によってその人間の精神の本性に属すると理解されなければなりません。このときその条件を満たす認識というのは,第二種の認識でなければ第三種の認識でなければならないのです。よって僕は,あるものaliquidの認識とは,第三種の認識を意味すると結論します。
コメント
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