スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典桜花賞&勝利の喜び

2018-03-21 18:57:34 | 地方競馬
 北海道から1頭が遠征してきた第64回桜花賞。シェーンリートが右肩を跛行したため競走除外で10頭。
 好枠を生かして1周目の正面に入るところでアンジュキッスが単独先頭。2番手はストロングハート,シングンレガシイ,エターナルモールの3頭。5番手にプロミストリープとグラヴィオーラ。ここまでが先団。後方集団の最前列にプリムラジュリアンとゴールドパテック。9番手がハタノサンドリヨンで最後尾にベニアカリという隊列で1コーナーへ。前半の800mは49秒2のハイペース。とはいえ不良馬場ですからこの程度は当然でしょう。
 3コーナーを回るとストロングハートが単独の2番手になり,この後ろは内からシングンレガシイ,グラヴィオーラ,エターナルモール,ゴールドパテックの4頭。これらの後ろにいたプロミストリープは直線に入ってから外へ。短い直線ながら瞠目の末脚を発揮し前をすべて捕えて抜け出し優勝。逃げたアンジュキッスと追ってきたグラヴィオーラの2着争いは接戦となり写真判定。アンジュキッスが1馬身半差で2着。グラヴィオーラはハナ差で3着。
 優勝したプロミストリープはJRAで2戦2勝。このレースを目標に南関東に転入。その初戦で見事に結果を残しました。浦和の1600mは内枠が断然有利ですが,1枠を生かしての勝利というわけではなく,おそらく外枠でも勝てていたのではないかと思います。もっと広いコースの方がたぶん力を発揮できると思うので,東京プリンセス賞なら断然の主役になりそう。羽田盃にチャレンジすることになっても無視することはできない存在になりそうです。母の父はフジキセキ。祖母の7つ上の半兄に1987年に函館3歳ステークスを勝ったディクターランド。Promised Leapは約束された飛躍。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は船橋記念以来の南関東重賞制覇で南関東重賞27勝目。桜花賞は初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞8勝目。桜花賞は初勝利。

 Aに対して何の感情affectusも抱いていなかったのが喜びlaetitiaを感じるようになる場合と,Aに対して悲しみtristitiaを感じていたのに喜びを感じるようになる場合を比較すれば,後者の場合が喜びが大きくなるということであれば,例として掲げた将棋の場合では,次のようなことが生じ得ることになります。それは,もしある棋士が対局の勝敗に関して楽観していて実際に勝利を得て喜びを感じる場合より,勝敗に関して悲観していたのに結果として勝利を得て喜びを感じる方が,より大きな喜びであるということです。こうしたことはこの例に限らず,僕たちは経験によって知っていると思います。当然そうなるであろうと確信めいたものを持っていたことが喜びとして実現するより,半ば諦めかけていた喜びが実現する方が,喜びとして大きく感じられるであろうからです。こうしたことは悲しみの場合にも逆の仕方で成立します。きっとそうなってしまうであろうと思っていた悲しみが訪れるより,生じることを予期していなかった悲しみが訪れる方が,悲しみとして大きく感じられるでしょう。
 このために,好手を連発して勝つより,最後の最後で相手のミスに助けられて勝つ方が,大きな喜びとして感じられるということがあり得ます。逆に,相手に好手を連発されて圧倒されて負けるよりも,途中はずっと優位に進めた末に最後のミスで負けてしまう方が大きな悲しみとして感じられる場合もあるのです。というより,後者の悲しみの場合についていえば,むしろそちらの方が自然であるとさえ思われるかもしれません。なので別の例を示せば,たとえば馬券を買って,それが外れるということで悲しみを感じるとき,買った馬がまったく勝負にならずに負けてしまうより,大接戦の末に小差で負けてしまったという場合の方が,悲しみとして強く感じられるということが僕にはあります。しかし馬券が的中するのを正解とみなすなら,小差で負けてしまう方が勝負にならずに負けてしまうよりも正解に近いところに辿り着いているのですから,本来は後者の悲しみが小さくてしかるべきです。同様に,ずっと優勢に進めて逆転される場合の悲しみは,本来的には小さくてしかるべきなのです。
コメント
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