スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

人間の能動と受動&発生要因

2017-12-01 19:36:14 | 哲学
 人間は身体corpusと精神mensが合一unioした存在existentiaであるというスピノザの考え方は,多くの特徴的な,というのはそれまでとは異なった考え方を産み出します。それらのすべては知性が反知性に対抗するために有益なものとなっていますから,ひとつずつ詳しい解説を加えていきます。
                                 
 スピノザの哲学における合一は,いわゆる平行論を抜きに考えることはできません。その平行論の基礎となるのは第二部定理七です。そしてそれが人間についてとくに言及された場合が第二部定理一三なのです。したがって第二部定理七の文言でいえば,ものrerumに該当するのが人間の身体で,観念idemに該当するのはその人間の精神mens humanaです。第二部定理七証明の意味は,ものは物体corpusではなく観念対象ideatumを意味するということです。だから第二部定理一三では,精神を構成するMentem constitutens観念ideaの対象が身体だといわれているのです。
 このものと観念の関係,すなわち人間の身体とその人間の精神の関係は,同一個体といわれます。第二部定理七がいっているのは,同一個体間では原因と結果の連結connexioと秩序ordoが一致するということです。よって精神において能動actioである場合は身体においても能動で,逆に身体が能動的である限りその人間の精神も能動的です。同じように精神が受動passioという状態にある,いい換えれば働きを受けている場合には身体も受動状態にあるのであって,逆に身体が受動状態にあるという場合にはその人間の精神も受動状態にあるのです。つまり,人間においては,能動状態にあるか受動状態にあるかということは,精神の場合でも身体の場合でも同じなのです。他面からいえば,精神が働いているのに身体は働きを受けているとか,逆に身体が働いているのに精神は働きを受けているというような状態は存在しないのです。
 これはとても重要です。なぜならこれが理性と感情の関係に関するスピノザの考え方に大きく関連しているからです。

 数学的な虚構,あるいは図形に関する虚構が客観的有esse objectivumすなわち観念ideaであって理性の有entia rationisではないということができる理由は,これらの定義Definitioが精神の能動actio Mentisによる純粋な知的作用であったとしても,それらの図形の発生を確実に含んでいるということに起因していました。このような虚構によって知性intellectusのうちに発生させることができる観念は,無限infinitumではないとしても無際限indefinitumにあると僕は考えます。というのは,数,あるいは限定して整数というのは無限ではなくても無際限にあると考えるべきもので,数が無際限なら図形も無際限でなくてはならない筈だからです。それでも虚構が図形の発生を含み得る定義によって可能であるなら,それら無際限な図形のすべてが虚構によって知性のうちで発生することが可能でなければなりません。無際限ですから現実的に可能であるとは僕はいいませんが,少なくとも論理的にはそのような結論にならなければならないというのが僕の考えです。
 これをゲーテJohann Wolfgang von Goetheのいう原型とメタモルフォーゼ,とくに植物の原型としての象徴的植物とそのメタモルフォーゼとしての個々の植物に当て嵌めたときに,どこに最大の違いがあるかといえば,そこにはっきりとした発生を示し得るような定義があるかないかということです。このゆえに,図形についてはそれが観念であるといい得るのですが,植物に関してはそれが観念であるといい得る根拠が,原型の方にもメタモルフォーゼの方にも存在しないのです。なので僕はこれは,第一部公理一の意味のうちにある,実体substantiaと実体の変状substantiae affectioだけが存在するということを模した,観念ではなく理性の有であるといっておくのが安全であろうと考えます。すでに述べたように,大槻の記述から類推する限りでは,象徴的植物は第三種の認識cognitio tertii generisと関連しているのであり,おそらくゲーテのうちにはその種の認識があったとしておくのが,歴史的事実いい換えればゲーテの思想史という観点からは正確かもしれませんが,単にスピノザの哲学との関連性を論理的に思考していく場合には,観念としてより理性の有としてみなしておく方がよいだろうというのが僕の考え方だということです。
 ただし,知的操作の条件は同様です。
コメント
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