スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

秋華賞&精神の眼

2017-10-15 19:28:04 | 中央競馬
 第22回秋華賞
 主張したカワキタエンカがハナへ。1コーナーを回ってリードは2馬身ほど。2番手はアエロリットとファンディーナ。2馬身差でブラックスビーチ。1馬身差でモズカッチャンとレーヌミノル。1馬身差でメイショウオワラ。1馬身差でラビットランとタガノヴェローナ。3馬身差でリスグラシューとミリッサ。2馬身差でブラックオニキスとポールヴァンドルとカリビアンゴールド。1馬身差でディアドラ。3馬身差でハローユニコーンとリカビトス。1馬身差の最後尾にヴゼットジョリーと,芝のレースとしてはかなり縦長になりました。前半の1000mは59秒1のハイペース。
 3コーナーを回るとファンディーナが後退し始め,アエロリットが単独の2番手に。ファンディーナの外からモズカッチャンが捲り上げてきて,直線の入口では捲り切って先頭。アエロリットがカワキタエンカを抜いて2番手には上がったものの,さすがに捲られては苦しくなりました。モズカッチャンの外から追い上げてきたのはリスグラシューとディアドラ。とくにディアドラの末脚が際立ち,内の2頭をまとめて差すと突き抜けて優勝。粘り込みを図るモズカッチャンにリスグラシューも迫り,この2頭は接戦でフィニッシュ。写真判定の結果,1馬身4分の1差の2着はリスグラシュー。ハナ差の3着にモズカッチャン。
 優勝したディアドラは前走の紫苑ステークスから連勝で大レース初制覇。デビューして3戦目で初勝利。1勝馬で挑んだ桜花賞トライアルで2着。桜花賞後に2勝目をあげて出走したオークスで入着。夏に3勝目をあげて前走で重賞初制覇と,レースを重ねながら力量をあげてきていた馬。こういうタイプなので,もしかしたらまだ能力が完全に開花はしていないのかもしれず,これからさらに強くなる可能性を秘めている馬だと思います。馬場適性があるので,この着差をそのまま実力差と評価するのは危険かもしれませんが,3歳牝馬の中ではすでにトップクラスの能力があるのは疑い得ないと思います。距離は短いよりは長い方がいいでしょう。母の父はスペシャルウィーク。母のひとつ上の半兄に2011年にエルムステークス,2012年にダイオライト記念,2013年に浦和記念,2014年に佐賀記念を勝ったランフォルセ,ひとつ下の半弟に2011年にアーリントンカップ,2013年にカペラステークス,2014年に東京スプリントさきたま杯東京盃,2015年にさきたま杯を勝ったノーザンリバー。Deirdreはケルト神話に出てくる人名。
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は日本ダービー以来の大レース制覇。秋華賞は初勝利。管理している橋田満調教師は2007年の高松宮記念以来の大レース制覇。秋華賞は初勝利。

 スピノザは精神の眼という語を,第三種の認識cognitio tertii generisと関係させて用います。すなわちXを精神の眼で見るというのと,Xを第三種の認識で認識するcognoscereというのは同じ意味であると解してよいでしょう。僕たちが身体corpusの目でものを見るとき,これは受動passioなので第一種の認識cognitio primi generisです。したがってそれはそのものを混乱して認識していることになります。対して精神の眼で見る場合には第三種の認識なので,これはそのものを十全に認識しているという意味になります。まずこれだけの相違があるということは踏まえておかなければなりません。シラーの分類でいえば,スピノザの哲学にあっては経験的事実の方が混乱していて,理念的な産物の方が十全adaequatumであるという可能性もあるからです。ただ,シラーがどういう意味でそれらを分類しているかは僕には不明なので,このことについてはあくまでもそういう可能性もあるといういい方にとどめておきます。
 第五部定理二三備考が重要なのは,精神の眼が証明demonstrationesそのものであるといわれている点です。すなわち第三種の認識というのは,論証を必要としない認識なのです。第二種の認識cognitio secundi generisもものの十全な認識です。ですがこの認識は推論であって,論証によってそれが真verumであるということを僕たちは知ることができます。ところが第三種の認識は,その認識そのもののうちに論証が含まれています。よってある人間が第三種の認識によってXを認識したなら,その人間はその認識そのものとは別の論証を経ずに,それがXの真の認識であることを知ることができるのです。ゲーテJohann Wolfgang von Goetheが「象徴的植物」ということで何をいわんとしているのかは僕には不確かですが,ゲーテが第三種の認識によって,いい換えれば精神の眼によって植物を認識したという可能性は排除することができないでしょう。クーンがスピノザを知っていたのかどうかは僕には分かりませんが,少なくともクーンのいい方は,このシラーとの会話においてゲーテは第三種の認識について何事かを語ったのだというように,スピノザの哲学の側からは読解できる筈です。
 ただし,精神の眼でものを見るときのものというのは,単純に物体corpusという意味でのものとは解することはできません。
コメント
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