スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ディープインパクト&名目的部分

2011-04-13 18:27:34 | 名馬
 日曜の桜花賞マルセリーナの優勝。父は日本の競馬史上の最強馬,ディープインパクトです。
                         
 2歳12月のデビュー戦を勝つと続くオープンを驚異的な末脚で圧勝。一躍スター候補に。弥生賞が思いのほかの辛勝だったため,皐月賞はほかのレースほどの支持は集められませんでしたが,発走後の不利をはねのけて優勝。ダービーは大外を回って楽勝しました。
 夏場も放牧には出されず厩舎で過ごし,秋初戦の神戸新聞杯を快勝して菊花賞へ。ライバルの乾坤一擲のレース運びに見た目はピンチを思わせましたが,結果的には2馬身差の快勝でした。これだけの馬なので個人的にはジャパンカップ出走を望んでいましたがパスして有馬記念に。しかしここで追い込み届かず2着と,初の敗戦を喫しました。弥生賞や皐月賞も,ほかのレースほどのパフォーマンスは披露できていなかったので,中山コースはあまり向いていなかったのだろうと思います。ただ,無敗で三冠を達成したのですからJRA賞では年度代表馬に。
 翌年はステップの阪神大賞典を勝利して天皇賞に。後方待機から4コーナー先頭という無謀にも思えるレースぶりながら3馬身半もの差をつけて圧勝。宝塚記念は馬場が悪くなりましたがそれも関係なく4馬身差で大レース5勝目をあげました。
 渡仏して凱旋門賞へ。しかしいつものようなレースができず3着入線。しかもレース後にイブラトロピウムという禁止薬物が検出されたために失格。みそをつける形で負けられなくなった帰国初戦のジャパンカップを優勝すると,引退レースの有馬記念でも前年の雪辱を果たして大レース7勝目で有終の美を飾りました。JRA賞では2年連続の年度代表馬に。また,2008年には殿堂入りを果たしています。
 現3歳世代が初産駒。これだけの成績を残した馬ですから繁殖相手には恵まれる筈。マルセリーナの桜花賞制覇は,この馬の種牡馬実績のプロローグにすぎないものと思います。

 スピノザが『エチカ』を神Deusから開始するためには第一部定理一一まで待たなければならなかった。これは別のいい方をするなら,神から哲学を開始するためにそれだけの手続きを経なければならなかったということだと思います。そしてその部分にこそ,実在的realiterと名目的という問題の発生の鍵があると僕は思っています。つまり神が実在的であるということが,第一部定理一一まで至って初めて証明され得るならば,そこまでの部分に関しては,必ずしも実在的な意味でいわれているのではなく,単に名目的な意味だけをもたされているということは十分に可能だからです。そしてもちろん今回のテーマである第一部定義四というのは,第一部定理一一よりも前の部分に該当するのです。
 しかし,このことはあくまでも可能性という段階にとどまります。現実に『エチカ』の中に,名目的な部分,あるいは名目的にしか解釈することが不可能であるというような部分があるのでない限りは,実際にはこうしたことは問題にならないでしょうし,問題として措定する必要もないでしょう。ところが,『エチカ』には現実にそうした部分があるとしか僕には思えません。だからこそ,この実在的と名目的という問題が確かに生じていると僕は考えているのです。
 そこでまず,第一部定理一一に至る手続きの中で,確かにこれは名目的にそのようにいわれているのだとしか考えられないような代表的な部分を紹介します。これは,そもそも名目的であるということがどのような意味を有するのかということを理解する上でも役立つのではないかと思います。
 ここではだれでもそう納得できるような部分ということで,第一部定理五を採り上げることにします。この定理Propositioというのは明らかに名目的であるとしか考えられません。これは背理法によって簡単に証明できます。なぜなら,もしもこの定理が実在的であるとするなら,実際にふたつあるいは多数の実体substantiaが存在し,それらの実体は同一の属性attributumを有さないということになります。しかし第一部定理一四が述べていることは,自然のうちに存在する実体は神だけであるということです。つまり実際には複数の実体が存在するわけではないのです。よって第一部定理五は,実際に複数の実体が実在し,それらは同一の属性を有していないというように実在的に証明されているのではなく,仮に複数の実体があり得るとしても,それらが同一の属性を有することはないと,名目的に証明されていることになります。同様のことは次の第一部定理六を例にしてもいえると思います。
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