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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

皐月賞&結果論

2007-04-15 22:46:13 | 中央競馬
 クラシック三冠の開幕となる皐月賞
 サンツェッペリンが先手を奪いにいきましたが,これを外からヴィクトリーが掛かり気味に交わしていっての逃げ。向正面では少し離れてサンツェッペリン,さらに少し離れてメイショウレガーロが3番手という態勢。前半の1000メートルは59秒4。ミドルペースとみなすかハイペースとみなすか意見の分かれるところと思いますが,このくらいのラップにしては先頭と2番手,2番手と3番手が少し離れすぎたとは思います。人気を分けた2頭は2番人気のフサイチホウオーが後方から6・7番手の内,アドマイヤオーラはさらに後ろで後方から3・4番手。4コーナーに入るところでサンツェッペリンがヴィクトリーに並びかけ,後続はまだ離され加減。さしあたりは前の2頭のマッチレースとなり,一旦はサンツェッペリンが前に出た感じもしましたがヴィクトリーもしぶとく差し返そうとして叩き合い。そこへ4コーナーでほかの馬を弾き飛ばすように外へ持ち出したフサイチホウオーがやや右へきれこみ加減に急襲し,3頭が並ぶようにゴール。写真判定の結果,逃げ粘ったヴィクトリーが優勝,サンツェッペリンが2着で,フサイチホウオーは3着まででした。
 優勝したヴィクトリーはこれで4戦3勝。大レースはもちろん重賞もこれが初制覇。キャリア2戦目で挑んだ重賞でフサイチホウオーに僅差の2着していたくらいですから能力はかなり高い筈で,今日は評価が低すぎたように思います。鞍上の田中勝春騎手は一昨年の全日本2歳優駿以来,栗東の音無秀孝調教師は2月のフェブラリーステークス以来の大レース優勝。この馬の母系については後日紹介します。
 2着のサンツェッペリンは一旦は先頭に出たように思え,まったくもって惜しいところで大魚を逸しました。
 3番手のメイショウレガーロが5着に残ったことからも,1・2着馬は展開にも恵まれた感があり,それを考慮すればフサイチホウオーの末脚は出色で,能力は見せていると思います。道中の位置取りがやや悔やまれるかもしれません。馬にとっても僕自身にとってもあと5メートルあれば,という結果になってしまいました。同様のことは馬場の中央から4着まで追い込んだアドマイヤオーラにもいえそうです。

 明日から京王閣競輪場で北京オリンピック日本応援競輪というのが開催されます。これは3日制のGⅢ。FⅠと違い明日の初日特選は1レースですので予想してみます。並びはおそらく飯野-佐藤友和-佐藤康紀の北日本,小林-後閑-川口の関東,村上-一丸-島田の西日本で3分戦。この並びなら2段駆けが見込めるので佐藤友和選手◎と佐藤康紀選手○。小林選手△に乗る後閑選手▲を絡めて。

 スピノザの哲学から責任という概念をそれ自体で積極的に抽出しようとするなら,僕はこれ以外の方法はないのではないかと思います。しかしこの中には注意しなければならないことや,難点といったものも含まれていると考えます。
 まず,この責任という概念は,ある害悪(悲しみ)を受けた人から見て,その悪の原因がある人であるから,その人に責任が生じるのではありません。なぜなら,まさにこの責任論の暫定的なテーマとして設定した第一部定理三二により,どんな人間も。その人間の自由意志によって他者に悲しみをもたらすということはないからです。Aという人間がBという人間に悲しみをもたらすというのがどういうことであるかといえば,Aは第一部公理三により,ある行為を必然的に,第一部定義七のいい方に従えば,強制によってなすのです。そしてその行為そのものが,あるいはその行為のBによる表象が,同様に第一部公理三により必然的にBを悲しませるのです。したがってこの責任というのは,必然的になした行為が必然的に他者を悲しませるという結果を生じたということについて問われています。つまりこの責任論は完全な結果論で,同じ行為をなしたとしても,他者を悲しませた場合には生じるけれども,だれも悲しまなかったとすれば生じないような責任なのです。
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中山グランドジャンプ&積極的な意味

2007-04-14 22:00:10 | 中央競馬
 中山グランドジャンプ
 発走して最初の障害でアグネスハットが落馬するアクシデント。レース序盤はマウントフォンテンが隊列を引張り,大竹柵を過ぎるとスリーオペレーターが先頭に。前半は後方に位置していたカラジは大土塁を越えた後でインから2番手に進出しました。向正面に入ると中団に控えていたメルシーエイタイムが外を進出。一気に先頭に立つ勢いでしたがカラジが内からスリーオペレーターを交わして進出。この2頭が並んで直線に入りましたが手応えはカラジの方が断然よく,この時点で勝負あり。直線の最終障害を飛越した後,中位から伸びてきたリワードプレザンに詰め寄られこそしたものの振り切ってカラジが優勝。このレース三連覇を達成しました。
 優勝したカラジはオーストラリアからの遠征馬。もうすでに12歳なのですが,一昨年が4分50秒4,昨年が4分50秒8,そして今年が4分50秒4ですから,毎年同じくらいの走りを見せていて,衰えはないようです。本国では障害を走らず平地のレースを負けてばかり。よほど日本の,というか中山の障害コースに適性の高い馬なのでしょう。
 2着のリワードプレザンは障害を走るようになって4戦3勝。とくに中山では3戦3勝だったのですが,いずれも直線がダートでここより1000メートルほど短い距離でしたので,スタミナ面を不安視して軽視したのですが,杞憂であったようです。カラジと勝負をしにいった馬を最後の直線で交わしたという競馬ですので,やや展開に恵まれた面も否めませんが,順調にいければ暮れの中山大障害でも好勝負でしょう。
 3着にメルシーエイタイム,4着にスリーオペレーターですので,アグネスハットが落馬したことを除けば,実力馬が順当に能力を発揮したといえるでしょう。

 明日は皐月賞です。フサイチホウオー◎とアドマイヤオーラ○の争いとみます。連下候補は枚挙に暇がありませんが,あまり挙げても仕方がないのでフライングアップル△とヴィクトリー△を。

 武雄記念も決勝を迎えます。並びは菊地-高谷-斎藤の北日本,九州は井上-大塚-阪本で折り合い,四国単騎の三ツ石に望月-鈴木の南関東で3分戦。ここは高谷選手◎にチャンス到来。斎藤選手○が相手でこのラインを阻めば井上選手▲と大塚選手△。

 第四部定義一と二および第四部定理八によってスピノザの哲学における善悪の何たるかが分かり,第三部諸感情の定義二と三により,その基準となる喜びと悲しみの感情がどういったものであるかということも分かりました。これによって責任という概念に善悪という価値基準を含ませ,そのことによって責任という概念をそれ自体で積極的にスピノザの哲学から抽出するための準備が整ったということになります。
 一般的に人間はある悪をなしたことによって責任を問われるのであれば,逆にいえば人間はある害悪を,共に共同体を構成しているような他者であろうがそうではない他者であろうが,とにかく他者に害悪を与えたというその一点をもって,何らかの責任を果たさなければならないことになるでしょう,ところがエチカにおいては害悪(悪)とは悲しみにほかならないのですから,これは,他者に悲しみを与えた場合,つまり他者を悲しませた場合に,責任というものが発生するということになります。
 なお,エチカにおいては感情はある量的な概念として考えられます。確かに一口に悲しみといっても,大きな悲しみもあれば小さな悲しみもありますから感情がある種の量的なものであるということについては僕は問題はないと思います。したがって,より大きな悲しみを与えた場合には,果たさなければならない責任の大きさもそれだけ大きくなると考えるのが,この場合には妥当ではないかと考えます。
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飛龍賞&平行論からの帰結

2007-04-13 22:13:14 | 競輪
 武雄記念2日目優秀の飛龍賞(動画)。並びは予想に反し,九州が4車で結束。井上-荒井-藤野-大塚と並んでの3分戦でした。
 9番車でしたが望月選手がSを取って武田選手の前受け。中団の4番手に井上選手で後方の8番手から三宅選手。誘導のスピードがやけに上がったという印象があるのですがこの一本棒のまま隊列は動かず,打鐘から井上選手が発進。武田選手も踏み出して先行争いかと思いましたがホームでは井上選手が叩いてあっさりと前に。ここからでは武田選手も引けずに3番手で粘り,バックでは荒井選手の内まで追い上げました。隊列が短くなったところで3コーナーから三宅選手の捲り追込み。これが決まると思ったのですが荒井選手が巧みに牽制。返す刀で前に踏み出し,荒井選手が1着。三宅選手の捲りに乗った山口選手が2着に食い込み,三宅選手が3着でした。
 展開には恵まれましたが,荒井選手がこんなに器用な走りができるとは思いませんでした。九州で上位独占ができればよかったのでしょうが,これは井上選手を庇ったため。荒井選手も自力ですからこういう競走をする方が自然とは思います。武田選手はやはり自力を発揮してこその選手でしょう。今日は展開というかメンバー構成が悪すぎた印象です。

 明日は中山グランドジャンプです。オーストラリアのカラジ◎と日本のメルシーエイタイム○の争い。あとは連下候補で,アグネスハット△とスリーオペレーター△を。

 第四部定理八でスピノザが喜びという感情,悲しみという感情そのものがそれぞれ善悪ではなくて,それらの感情に刺激される当人に意識されるそれらの感情,いい換えればそれらの感情の観念が善悪であるといっているのは,人間にとって善悪というのが認識の問題であること,とりわけそれは諸個人によって相違があるような認識の問題であって,対象となっているものの性質を表現するのではないということを際立たせる意図があるものと僕は判断しています。
 一方,第三部定義三によれば,喜びや悲しみといった感情というのは,延長の属性のもとでも思惟の属性のもとでも同時に意味をもつことばなのですが,どちらの場合で考えたとしても,平行論からの帰結として,そうした感情とその感情の観念というのは同一個体であるということになります。というかそもそも感情ということばが延長と思惟の両方の属性のもとで意味を有することができるのは,それら自体が同一個体であると考えられるからでしょう。第二部定理七系の意味により,神のうちにある観念はすべて十全な観念ですので,このことは人間の精神のうちにある観念が十全な観念と考えられようと混乱した観念と考えられようと同様に妥当します。
 これらの事情を勘案し,善悪が認識の問題であることを押さえた上で,僕は今後は単に喜びを善とみなし,悲しみを悪とみなして考察を進めていきます。
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タヤスツヨシ&第三部定義三

2007-04-12 20:56:59 | 名馬
 京浜盃を勝ったトップサバトンの父,タヤスツヨシも日本で競馬をした馬ですので,これを紹介することにします。
 日本の競馬の歴史で最高の種牡馬といえばサンデーサレンスということになると思うのですが,このサンデーサイレンスは引退後にすぐにアメリカから日本に輸入され,種牡馬としての活動は日本でのみ行いました。海外から日本に連れて来られ,種付けだけしてまた帰国した馬が何頭かはいますが,こうした事情でサンデーサイレンスの産駒のほとんどは日本産。タヤスツヨシはその初年度産駒にあたります。
 2歳の夏にデビュー,3戦目に勝ちあがると暮れに特別と重賞を連勝してクラシック路線へ。3歳になり2着・5着と2戦を消化して皐月賞に出走すると2着。このレース内容がよかったのでダービーでは1番人気に推されました。後方から大外を追い込み,この過程で左に斜行して他馬の進路をやや妨害する場面もあったのですがきっちりと差し切って優勝しました。秋は不振に陥り,菊花賞トライアルの2戦を5・7着と敗れ,本番の菊花賞も6着に敗退。結局そのまま引退し,種牡馬になりました。
 種牡馬の世界にはシャトル種牡馬というのがあります。サラブレッドは春が出産シーズン。したがって北半球と南半球では馬の出産時期も種付け時期も異なります。これを利用して,春に北半球で種付けし,北半球の秋に南半球に渡って種牡馬活動をするのがシャトル種牡馬。タヤスツヨシはこのシャトル種牡馬の1頭で,日本とオセアニアで種牡馬として働いています。そして種牡馬としての初の大レース勝ち馬となったのがオーストラリアでGⅠを2勝したHollow Bulletという馬。また,昨年のダービーグランプリを勝ったマンオブパーサーもタヤスツヨシ産駒で,日本ではこれが初の大レース勝ち馬となっています。

 明日は武雄記念の2日目優秀の飛龍賞。並びの予想は武田-阿部-望月の東日本,三宅-山口の西日本。九州4人は別れて,荒井-藤野の佐賀と井上-大塚だと思います。これを前提にすればまず荒井選手◎。そして武田選手○と阿部選手▲で,大塚選手△。

 これで,『エチカ』においては善悪というのは,各々の人間が意識する喜びlaetitiaの感情affectus(善bonum)であり悲しみtristitiaの感情(悪malum)であるということは問題ないかと思います。そこで,感情一般というものがどのように定義されているのかをみておくことにします。これは第三部定義三です。
 「感情とは我々の身体の活動能力を増大しあるいは減少し,促進しあるいは阻害する身体の変状[刺激状態],また同時にそうした変状の観念であると解する(Per Affectum intelligo Corporis affectiones, quibus ipsius Corporis agendi potentia augetur, vel minuitur, juvatur, vel coercetur, et simul harum affectionum ideas.)」。
 身体の活動能力Corporis agendi potentiaうんぬんという部分については第三部諸感情の定義二と三も参考にしてください。
 これでみると感情というのは『エチカ』においてはある特殊なことばであることが分かります。すなわち感情はまず,人間の身体のある状態のことを意味します。そして同時に,その状態の観念ideas,身体がそういう状態にある当人の精神mensのうちにあるその観念も意味するのです。これがなぜ特殊なのかというと,前者が延長Extensioの様態のある状態であるのに対し,後者は思惟の様態cogitandi modiだからです。つまり感情ということばは,延長の属性Extensionis attributumのもとでも思惟の属性Cogitationis attributumのもとでも意味をもっているということになるのです。
 なお,これはここでの考察からは余談になりますが,感情はラテン語ではaffectusです。これに対して実体の変状substantiae affectioとか,この定義で身体の変状affectionumといわれる変状はaffectioです。日本語だと感情と変状ではまったく違って思えますが,原語では類義語というか,なにがしかの関係をもっていると考えられます。
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クラウンカップ&第四部定理八証明

2007-04-11 22:49:05 | 地方競馬
 クラウンカップ。ここは逃げて良績を残している馬が多かったので先行争いがひとつの注目点だったのですが,それほど激しい競り合いにはならずにエスプリベンが先手を奪いました。イチモンジがこれを追い,外からロイヤルボスが3番手。ヒデサンジュニアは正面では頭を上げるような仕種も見せていましたが何とかなだめて4・5番手。前半の800メートルは50秒0で典型的なミドルペース。各馬が力を発揮できるペースと思うのですが,重馬場であったことを考慮すれば前に位置した馬たちに有利であったかもしれません。3コーナーを過ぎたあたりからイチモンジが後退しロイヤルボスが自然と2番手に。ヒデサンジュニアも押していったのですがここで少し離されてしまいました。直線は前2頭でのマッチレース。ゴールまで叩き合いが続きましたがエスプリベンが辛うじて振り切り優勝。ロイヤルボスが2着で,直線は立て直して伸びてきたヒデサンジュニアが3着を確保しました。全般的にレース前半での位置取りが結果に左右した感じ。その意味ではエスプリベンは好騎乗。ロイヤルボスは2キロ余計に背負ってのものですからまずまず。ヒデサンジュニアは現状では逃げた方が能力を発揮できるようですが,差す競馬を覚えてくればまた変わってくるでしょう。
 優勝したエスプリベンは南関東生え抜きの馬。これで5戦4勝で重賞は初制覇。今野忠成騎手の騎乗では4戦全勝。その今野騎手は昨年の浦和記念以来の重賞勝利になります。
 明日から武雄記念。確たる主役が不在でここは混戦になりそうです。

 準備が整いましたので第四部定理八を証明することにします。
 まず第三部定理七によれば,人間は能動的に考えられようと受動的に考えられようと,自分自身の存在の維持に固執する傾向がある,あるいはそうした本性を有することになります。このことから,あるものがある人の存在の維持に役立つなら,そのものはその人にとって有益であり,逆にあるものがある人の存在の維持を妨げるならそのものはその人にとって有害であるということになります。そこで第四部定義一と定義二に注目するなら,人間は自分にとって有益であるものを善とみなし,逆に自分にとって有益であるものの所有を妨害するようなものについてそれを悪とみなすのです。次に第三部諸感情の定義二と三に注意すると,人間は自分の存在(有)の維持に役立つものに刺激されれば(関係をもてば)喜びを感じ,逆に自分の有の維持を阻害するようなものに刺激されれば悲しみを感じます。よって人間にとって善悪とは,各々の人間が感じる喜びと悲しみの感情の観念そのものであるということになるのです。
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キングヘイロー&第三部定理四

2007-04-10 20:12:07 | 名馬
 先月のダイオライト記念を勝ったキクノアローの父は日本で競馬をしたキングヘイローという馬。今日はこの馬を紹介します。
 父ダンシングブレーヴはヨーロッパでGⅠ4勝,母グッバイヘイローはアメリカでGⅠ7勝という世界的良血馬。1997年にデビューすると新馬,特別,重賞と3連勝し,クラシック路線に乗りましたが皐月賞は2着,ダービーは掛かり気味に逃げてスペシャルウィークの14着,菊花賞は5着。結局3歳時は勝利を挙げられませんでした。
 4歳になって緒戦の東京新聞杯で重賞2勝目,続く中山記念も勝ちましたが,GⅠでは5戦して11・8・7・2・3着。5歳緒戦ではダートのフェブラリーステークスにも挑戦しましたが13着と惨敗。しかし続く高松宮記念で待望のGⅠ初制覇。その後6戦して勝てずに引退しました。
 クラシック全戦に参加した馬で,勝ったGⅠがスプリントの高松宮記念というのも珍しい話。引退レースの有馬記念でも4着になっていて血統的にも,スプリンターではなく,スプリント路線のレベルの低さに救われた感もあるのですが,能力は間違いなくGⅠ級の馬でしたので,とにもかくにも勝てたことはよかったのではないかと思います。

 明日は川崎でクラウンカップ。展開面にやや不安を抱えていますが,力はヒデサンジュニア◎が上。これ以外は混戦で,順にエスプリベン○,ドミナンスデザート▲,エスプリベル△,ロイヤルボス△としておきます。

 第三部定理七の証明Demonstratioはここでは割愛しますが,これを補強するために第三部定理四だけ紹介しておくことにします。
 「いかなる物も,外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない(Nulla res, nisi a causa externa, potest destrui.)」。
 この定理Propositioは証明するのが簡単です。まずある個物res singularisがあって,その個物が滅ぶ,あるいは死ぬということがあるなら,第一部公理三からして,それが滅ぶ何らかの原因causaがあることになります。そこでその原因はその個物の内部,すなわちその個物の本性essentiaのうちにあるか,そうでなければその個物の外部,すなわちその個物とは別の個物のうちにあるでしょう。ところが第二部定義二によれば,個物の本性というのは,それがあることによってその個物があることができるようになるあるものです。いい換えれば個物の本性はその個物の存在(あること)existentiaを定立するものであって,それを排除するようなものではありません。したがって,個物が滅ぶ原因がその個物のうちにあるということはありません。よってその原因はその個物の外部にあることになりますので,すべてのものは外部の原因によってのみ滅ぶということになります。
 もちろんこれが証明されたからといって,直ちに自己の有に固執する傾向conatusが個物の現実的な本性actualis essentiaであるということにはなりません。しかし少なくともそれとは逆のことが個物の現実的本性のうちに含まれ得ないということは明らかだと思います。
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川崎記念&第三部定理七

2007-04-09 20:27:32 | 競輪
 昨日の川崎記念決勝(動画)。右上のLIVE STUDIOから)の回顧です。
 小嶋選手がSを取ってそのまま前受け。3番手に海老根選手,6番手に山崎選手,8番手に矢口選手で周回。残り2周から矢口選手が上昇すると山崎選手がこのラインを追走。バックで矢口選手が抑えると小嶋選手はすんなり引いて5番手。打鐘を迎えて海老根選手が発進,このライン3車での先行になりました。後方になった小嶋選手がホームから巻き返し,バックから3コーナーのあたりで前に迫りましたがここで五十嵐選手が番手発進。小嶋選手は一杯になり後退,またこのラインを追走の形になった矢口選手も動けなかったので,直線は五十嵐選手と渡辺選手での争いと思ったのですが,バック8番手から外を捲り追いこんだ山崎選手が大外を強襲。わずかに五十嵐選手を捕えて優勝。五十嵐選手が2着で渡辺選手が3着でした。
 優勝した福島の山崎芳仁選手は1月の競輪祭以来の優勝。記念競輪は昨年10月の京王閣記念以来。展開的には最悪でしたが,大ギアをかけての捲り追込みが功を奏しました。2段駆けのさらに上を捲ったのですから強かったといえると思います。逆に作戦が決まった地元の五十嵐選手としてみれば無念の結果でしょう。

 第四部定理八を証明するためにもうひとつ確認しておかなければならないのは第三部定理七です。「おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない」。これも定理ですので証明されなければならないのですが,ここでは割愛します。
 この定理で僕が注意しなければならないと思うのは,努力ということばが用いられると,あたかもその行為にその行為をなす当人の意欲のようなものが関係するように感じられますが,これは必ずしもそうではなく,すべてのもの(各々のもの)にはそうした傾向があるというほどの意味と思います。したがってこの部分に関しては,僕はすべてのものは自らの有に固執する,すなわちどんなものも自分自身の存在を持続しようとする傾向を有すると解釈します。
 次にここで現実的本質といわれているのは,現実的に存在する個物の与えられた本性のことと理解して差し支えないと思います。したがってこれらを合わせれば,この第三部定理七の意味というのは,現実的に存在するどんな個物も,その本性の上では,自己の存在を保存しまた維持する傾向を有するということになります。逆にいうと,もしある個物の存在が破壊されあるいは除去されるということがあるならば,それはその個物の本性から生じるのではなく,外部の原因から生じるということになります。
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桜花賞&第三部諸感情の定義二・三

2007-04-08 21:50:19 | 中央競馬
 第67回桜花賞
 好発のアマノチェリーランが先手を奪って逃げました。注目の3頭は,発走後の向正面でやや掛かり気味に上がっていったアストンマーチャンが最も前で2番手,ダイワスカーレットがこの2番手を追う集団の一番外,ウオッカはこの3番手集団の直後からでした。前半の800メートルは47秒8で,これは極端なスローペース。
 直線に入りアストンマーチャンが先頭に立つと満を持してダイワスカーレットも追い出し,これを交わします。さらに外からウオッカも伸びてきて,この2頭で後続を離したのですが,ダイワスカーレットの脚が最後まで衰えず,振り切って優勝。ウオッカは2着までで,直線で一杯になったアストンマーチャンは7着まで後退,3着には道中はダイワスカーレットと共に3番手集団の一角を占めていたカタマチボタンが食い込みました。
 優勝したダイワスカーレットは重賞はこれが初勝利。昨年のJRA賞の最優秀短距離馬のダイワメジャーの半妹にあたる馬。スカーレットインクの一族から3頭目の大レース優勝馬となっています。
 手綱を取った安藤勝己騎手はこれがJRA通算700勝目。今年はフェブラリーステークスに続く大レース2勝目で,桜花賞は昨年に続いての連覇です。
 ウオッカは2着でしたが後続には決定的な差をつけていますので,ある程度の能力は発揮しての結果と思います。この2頭はオークスでも有力でしょう。
 アストンマーチャンは発走後に掛かったのがすべてで,1600メートル十分に能力を発揮するにはやや長いようです。

 第四部定理八は定理ですので証明が必要です。しかしそのために事前に確認しておかなければならないことがふたつほどあります。まず,喜びという感情,悲しみという感情のスピノザの定義をみておきます。
 喜びは第三部諸感情の定義二。
 「喜びとは人間がより小なる完全性からより大なる完全性へ移行することである」。
 悲しみは第三部諸感情の定義三。
 「悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである」。
 これらの定義はこれだけでは理解しにくいと思うのですが,まず前提にあるのは,人間の身体が外部の物体と関係することによって,その力が増大あるいは促進されることもあれば,減少あるいは阻害されることがあるという点です。次に,スピノザの哲学に特有の平行論,あるいは第二部定理一三第二部定理七から,人間の身体の力が増大あるいは促進されるなら人間の精神の力も増大あるいは促進され,逆に人間の身体の力が減少あるいは阻害されるなら人間の精神の力も減少あるいは阻害されることが分かります。そこで人間全体(人間の身体と精神)の力が増大あるいは促進される場合,それを人間の本性の完全性がより大なる状態に移行するといい,逆に人間全体の力が減少あるいは阻害される場合には人間の本性の完全性がより小なる状態に移行するといわれます。完全性(実在性)というのは力という観点からみた限りでのその事物の本性そのものと僕は理解していますので,この解釈は妥当であると思います。
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GHCタッグ&第四部定理八の意味

2007-04-07 22:24:27 | NOAH
 昨年末のシリーズにかけて行われたトーナメントを制してGHCタッグの王者に返り咲いた森嶋選手とヨネ選手ですが,その後,防衛戦がありませんでした。これを受けて秋山選手が先シリーズで何度かチームを組んだ力皇選手に正式なタッグ結成を要請,最終戦の日本武道館大会(森嶋選手がKENTA選手と試合をした日)で力皇選手がこれに応じ,今シリーズの開幕戦となった4日の後楽園ホール大会で早くも両チームによるタイトルマッチが行われました。秋山選手と力皇選手は急造のコンビですから,コンビネーションという点に関しては,王者チームと比べればもちろん不安がないわけではありませんが,それぞれがGHCヘビーのシングル王者になった経験もありますし,また秋山選手は斎藤選手と,力皇選手はこの日は対戦相手となった森嶋選手と組んで,このタッグの王者にもなっていますので,単純に個々の実力だけでみればおそらく挑戦者チームのほうが上。ということでこの試合は後楽園ホール全体が熱気に包まれる素晴らしい内容の試合になりました。最後は力皇選手がヨネ選手に無双を決めてタイトル奪取。今シリーズの最終戦の日本武道館大会で,高山選手が絡んだ防衛線を行いたいというのが新チャンピオンとなった秋山選手の意向のようです。
 明日は桜花賞です。だれにでもできるつまらない予想ですが,ウオッカ◎,ダイワスカーレット○,アストンマーチャン▲による争いが濃厚でしょう。
 川崎記念も決勝。並びは山崎-有坂の北日本,海老根-五十嵐-渡辺の南関東,小嶋-前田の中部近畿,残った矢口-小野の混成で4分戦。南関東が意表の並びで二段駆け体勢ですが,やはり小嶋選手◎を軸に山崎選手○と有坂選手▲ではないかと思います。二段駆けが決まってしまえば五十嵐選手と渡辺選手。

 これで第四部定理八の意味はほぼ把握できたと思います。すなわち人間(諸個人)は,ある事物を表象することによって喜びに刺激され,その喜びを意識するときに,自分を喜びに刺激したその事物を善なる事物と認識し,逆にある事物を表象することによって悲しみに刺激され,その悲しみを意識する限りにおいて,自分に悲しみをもたらしたその事物のことを悪と認識するのです。スピノザはエチカにおいても,人間はそれが善であるからそれを希求し,またそれが悪であるからそれを忌避するのではなく,自分自身がそれを希求するからそのものについてそれを善とみなし,またそれを忌避するがゆえにそのものを悪とみなすのだという意味のことをいっていますが,そのようにいうことの最大の根拠はこの定理八にあるといえると思います。
 ところで,ここからひとつのことが分かります。この考察では,人間の本性というのは個人個人で異なっているということを前提としています。したがって何から喜びを感じ,また何によって悲しみを感じるかも諸個人によって異なります。ところが善悪とはそうした喜びあるいは悲しみの認識にほかならないのですから,善悪の認識もまた諸個人によって異なることになります。すなわち,一般的,あるいは普遍的な意味での善悪という概念は存在しないということになるのです。
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ダイヤモンドレース&第四部定理八

2007-04-06 22:22:17 | 競輪
 川崎記念2日目優秀のダイヤモンドレース。まず並びですが,神山選手が北日本,前田選手が南関東を追走しての3分戦でした。
 前受けしたのは中部で,中団に五十嵐選手,後方に山崎選手で周回。残り2周から山崎選手が上昇し,バックで小嶋選手を抑えました。打鐘から今度は五十嵐選手が上昇,山崎選手を抑えてこのラインの3車が出きったところでホームから先行。4番手は内の山崎選手と外の小嶋選手で取り合う形になりましたが,そのまま小嶋選手が発進。バックで前にぐんぐんと迫りましたが番手の渡辺選手のところで一杯。後方に置かれた山崎選手は動けなかったので,前のラインでのきわどい争いとなり,番手の渡辺選手が1着,3番手の前田選手が2着に届き,五十嵐選手が3着に粘りました。
 小嶋選手と山崎選手が互いを意識しすぎたためにやや展開に恵まれた部分があったのは確かですが,それでも小嶋選手に捲らせなかったわけですので,今日は五十嵐選手の健闘が印象に残りました。

 善悪の定義Definitioというのはこの通りなのですが,これだと今度は有益utileであるということ,あるいはある事柄についてそれが有益であると確知するcerto scimusということがどういうことであるのかということが問題になってきます。そこでそのヒントとなるのが第四部定理八です。
 「善および悪の認識は,我々に意識された限りにおける喜びあるいは悲しみの感情にほかならない」。
 僕が思うにこの定理Propositioにはふたつばかり注意するべき点があります。ひとつは,この定理では明らかに善悪というのが認識cognitioの問題とされているということです。スピノザはすでに第四部の序言において,善悪というのは,善bonumあるいは悪malumといわれる事物について積極的な何かを表示するような事柄ではなく,人間が事物を相互に比較することによって形成する概念notioであるといっています。確かに事物がひとつあるだけでは,それは善とも悪ともいわれ得ずに,少なくともふたつの異なる事物が存在することによって,はじめて一方が善といわれ他方が悪といわれ得るでしょうから,これはこれでいいのではないかと思います。
 もうひとつは,意識された限りでの感情affectusといわれている点で,これは単に喜びlaetitiaが善といわれ悲しみtristitiaが悪といわれるのではなく,喜びという感情の観念ideaが善と認識され,逆に悲しみという感情の観念が悪と認識されるということであろうと思います。
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朝日オープン&第四部定義一・二

2007-04-05 22:18:05 | 将棋
 朝日オープン五番勝負第一局
 振駒で先手になったのは羽生善治選手権者。羽生選手権者は以前から振駒に強いといわれていますが,この朝日オープンでの振駒ではこれで10局連続で先手を得たそうです。
 戦型は相矢倉▲3七銀△6四角でした。今日は僕が見たのは2時すぎだったと思うのですが,そのときは47手目の▲3七桂の局面でした。一般に相矢倉というのは24手で組み合い,40手ほどまで進むと微差ではあっても優劣がついているといわれています。この将棋の場合,すでに戦いになっているのはもちろん,先手の43手目の▲5四歩は新手ということですので,やはり差はついているのだろうと思うのですが,僕にはどちらがよいか分かりませんでした。
 結果から類推すると,この将棋は挑戦者の阿久津主税五段が,後手での矢倉ながらわりと積極的に攻勢に出たのですが,しっかりと受け止められてしまい,68手目に△3五歩と手を戻した局面から先手が本格的に反撃し,そのまま押し切ったという内容なのではないかと思います。したがってその68手目の局面ではすでに先手が有利だったのでしょう。羽生選手権者から見ると快勝といえる一局だったのではないかと思います。
 さすがの貫禄を見せた羽生選手権者の先勝。第二局は19日に指されます。

 明日は川崎記念2日目優秀のダイヤモンドレース。山崎-有坂の北日本,五十嵐-渡辺の南関東,小嶋-山口-笠松の中部が並ぶのは確実と思いますが,残る神山と前田が組んで4分戦にするのか別れて3分戦になるのか分からないので予想は割愛します。

 善悪と法あるいは道徳との関係をどのように前提しなければならないかが分かりましたので,いよいよスピノザの哲学,すなわち『エチカ』においては善悪というのがどのように考えられているのかをみることにします。
 善bonumについては第四部定義一。
 「善とは,それが我々に有益であることを我々が確知するもの,と解する」。
 続いて悪malumについては第四部定義二。
 「これに反して,悪とは,我々がある善を所有するのに妨げとなることを我々が確知するもの,と解する」。
 これらふたつの定義のうちで,僕がまず注意しなければならないと思うのは,これは「我々」ということばが用いられているので,あたかも一般的なことがいわれているように思えるのですが,スピノザの特殊性と一般性に関する考え方からみても,この「我々」というのは具体的な一人ひとりの人間と理解されなければならないのではないかということです。となると,ある人にとって有益であるもの,あるいはある人がそれが自分にとって有益であると確知するものが,それ以外の人にとっても有益であるか,あるいはそれ以外の人もそれを自分自身について有益であると確知するかどうかは,少なくともこれだけでは分かりません。したがって,これらの善悪の定義だけで,善悪の概念が一般的である,あるいは何を善悪というかは普遍的に万人に共通であるということにはならないということになると思います。
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マリーンカップ&善悪と法

2007-04-04 22:33:30 | 地方競馬
 マリーンカップ
 圧倒的な人気に推されたトーセンジョウオーが先手を奪って逃げました。これをチヨノドラゴン,クリムゾンルージュ,ミリオンベル,サウンドザビーチといったあたりが追う展開。僕が期待したチャームアスリープは発馬があまりよくなく後方から。前半の800メートルが48秒7で,これはスローペースでしょう。向正面でサヨウナラが上がっていったときにチャームアスリープもついていこうとしたのですがそれができず,この馬はこの時点で終ってしまいました。距離が短いのは確かですが,12着というのは負け過ぎで,これは今日は休み明けで本来の調子になかったものと思います。この後も順調に使えればどこかで巻き返せるのではないでしょうか。
 レースの方は4コーナーでチヨノドラゴンがトーセンジョウオーに並び掛けるところまでいったのですが,トーセンジョウオーの方はペースがゆっくりだったこともあってまだ余裕があり,逆にこれを突き放して優勝。クリムゾンルージュが2着に入り,先行各馬の後ろから外を追い上げたライラプスが3着。4着にはチヨノドラゴンが入線しましたが,直線で内に斜行してミリオンベルの進路を塞いだため,5着入線のミリオンベルが繰り上がって4着,チヨノドラゴンが5着で確定しました。
 優勝したトーセンジョウオーはエンプレス杯に続いて重賞連勝。母系はスカーレットインクの一族。大井の内田博幸騎手,船橋の川島正行調教師ともにエンプレス杯以来の重賞制覇です。

 明日は朝日オープン五番勝負第一局。阿久津五段が番勝負で羽生選手権者にどれだけ戦えるかに注目です。

 そして明日からは川崎記念が始まります。山崎・有坂の北日本GⅠコンビに小嶋が対抗という図式でしょう。

 一般的に善悪という概念がどのように考えられているのかということから,ここで責任の価値を善悪におき,そのことから責任という概念を積極的に抽出する場合に,どのようなことに考慮しておかなければならないかが明らかになります。
 まず,善悪の概念が,法なり道徳なりに依拠していてはいけません。これだと責任もそうしたものに依拠したことになりますから,責任という概念は消極的にしか抽出され得ないからです。もしも逆に,善悪の概念から法や道徳が形成されるとするならこの困難は解消されますが,この場合にはひとつの条件がつきます。この場合,法や道徳といったものがある普遍的なものを含むと考えるなら,善悪の概念にもそうしたものが含まれていなければなりません。しかし善悪の概念が普遍的であるかどうかはまだ明らかになっていませんから,これを前提とすることはできないということになります。もちろん細かい法律が普遍的ではないということは,それが変更されるということから事実上明らかだと思いますが,ここではたとえば人を殺してはいけないというようなごく一般的な規律まで含めて,その普遍性を前提することができません。
 これについて考えていくのは長くなる上にいささか面倒ですので,便宜的になりますが,ここでは善悪と法あるいは道徳は,必ずしも関係をもつものではないということにして,考察を進めていくことにします。
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女流王将戦&一般的な善悪

2007-04-03 22:24:05 | 将棋
 このブログのスタイルです。
 女流王将戦挑戦者決定戦。振駒で先手になったのは清水市代女流王位で,後手の里見香奈女流初段のごきげん中飛車。これに対して清水王位が棒金から押さえこみにいくという戦型になりました。昼(昼食休憩の時間)にネットで盤面を見ると53手目の▲3四銀の局面。持ち時間が2時間ということで随分と進んでいると思いましたが,先手の右の金銀の位置や玉形,後手の僻地に追いやられた飛車など,ちょっと風変わりな局面で,どうしてこうなったのかさっぱり分かりませんでした。この時点では先手の方をもって指したいと思いましたが,たぶんそれには僕自身がよほどのことがない限り振飛車はやらないということも影響していますので,形勢自体ははっきりと先手がいいとまではいえないかもしれません。2時半頃にもう1度アクセスできたのですが,それは72手目の△7三銀の局面。ここはさすがに駒得になっていますし,何より先手の玉を攻めるには後手は明らかに駒不足ですので,はっきりと先手が優勢だと思います。実はそれでも後手玉を寄せるのは大変で,もう一山あるのではないかと予測したのですが,すぐに▲7三角成と切って▲6五桂と打ったのが,当然といえば当然なのでしょうがこれで決まっていました。以下は緩みなく寄せきって清水王位の勝ち。千葉涼子女流王将への挑戦権を獲得しました。手としては午前中の手筋にも見える42手目の△3八歩と,2時半までの間の60手目,△6六歩が逸機だったとのこと。僕の印象では清水王位というのは相手の失着を的確に咎めるのが上手で,それが2手も出てしまってはこの結果も当然といえるでしょう。
 明日は船橋でマリーンカップ。このメンバーであれば船橋のチャームアスリープ◎に期待します。強敵は同じ船橋のトーセンジョウオー○とJRAのサウンドザビーチ▲。もう1頭,船橋のクリムゾンルージュ△も。

 責任の価値というのを善悪という基準で判断するといっても,これを一般的に考えるとどうも元の木阿弥になってしまうようにも思えます。というのは,そもそも一般的な意味で善悪とは何か,あるいは悪とは何かということを考えてみると,それは結局のところ,それは法や道徳,あるいは倫理といったものに反する事柄について,それが悪であるといわれているにすぎないように僕には思われるからです。また同様に一般的には,善悪という概念はある普遍的なものと考えられているのではないかと僕は思うのですが,もしも善悪というのをそのような普遍的な概念として考えるのであれば,善悪という概念はそのような仕方でしか考えることができないのではないかと思うのです。もちろん,たとえば自然権というのは万人が著しく損なわれてはならないような権利であって,そのゆえに他者の自然権を侵害するような事柄は普遍的に悪といわれるのだ,というような主張に一理あることは僕も認めないではないですが,そもそもスピノザの哲学においては自然権というのはある概念ではなく,その自然権を有する当人がその本性の必然性からなすような行為そのものなのですから,個人の本性というものが各々において異なる以上,自然権という概念すらある普遍的な概念とはいえません。よってこの方法で考えるのはどうにもまずいのではないかと考えます。
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将棋大賞&責任の価値

2007-04-02 21:46:42 | 将棋トピック
 3月30日に昨年度(4月~3月)の将棋大賞が発表になりました。
 最優秀棋士賞(MVP)は佐藤康光棋聖・棋王。棋聖防衛,王位挑戦,王座挑戦,竜王挑戦,王将挑戦,棋王挑戦奪取。ほかに日本シリーズとNHK杯の2棋戦に優勝。さらに記録部門の最多対局賞と最多勝利賞を受賞。これだけの活躍ですから文句なしではないかと思います。
 優秀棋士賞は王位戦王座戦王将戦と,MVPの佐藤棋聖(当時)の挑戦をことごとく退けた羽生善治王位・王座・王将。これもMVPとの兼ね合いからみて妥当な選考でしょう。銀河戦で優勝もしています。
 敢闘賞は渡辺明竜王。タイトルでは竜王防衛だけですが,これも佐藤棋聖(当時)を相手のものですし,順位戦を全勝で昇級しましたのでこの人しかいないのではないかと思います。
 新人賞は新人王戦で優勝した糸谷哲郎四段。最近になって負けが多くなっているように感じますが,一時は勝率第1位でしたし,記録部門の連勝賞も獲得していますのでこれも当然。ほか,記録部門の勝率第1位賞は,朝日オープンで挑戦を決めた阿久津主税五段でした。
 最優秀女流棋士賞は女流名人を防衛した矢内理絵子女流名人。タイトルを4人で分け合っている現状ですが,レディースオープンでも優勝しましたので妥当ではないでしょうか。
 女流棋士賞には里見香奈女流初段メイショウ戦の優勝はありますが,タイトルは獲得はおろか挑戦もなく,また公式戦でも優勝していませんので異例といえば異例。ただ,勝率はトップで,社会的現象も巻き起こしましたし,新人賞という部門が存在していれば間違いなく選ばれている筈。それを考えるとこの賞を受賞してもいいのかなという気はします。
 東京将棋記者会賞はコンピュータ将棋協会が選ばれましたがこれについては割愛。
 新手や新戦法に贈られる升田幸三賞は佐藤康光二冠。これは何に贈られたのか理由がはっきりしませんが,プロ棋士間でよく指されている手となると,後手のごきげん中飛車に対してすぐに角交換(これは丸山九段の発案)して▲9六歩とする手と思われます。ただそれ以外にも独創的な構想でかなり楽しませてくれたと思います。
 新設の名局賞は,昨年の1月から12月までが対象ということで,昨年3月のA級順位戦プレーオフ(名人挑戦者決定戦)の羽生三冠と谷川九段の将棋。これはこのブログで紹介していない将棋ですが,最後,詰ましにいった先手の羽生三冠に対し後手の谷川玉が延々と逃げ回って逃げ切るという,ものすごくきわどい終盤戦が展開された将棋。羽生三冠としては攻めずに受けておけば勝ちだった将棋だけに残念な一局だったのですが,プロ間の評価もかなり高かったようで,妥当な選考であったと思われます。

 明日は女流王将戦の挑戦者決定戦。清水市代女流王位と里見女流初段の一戦があります。前述のレディースオープンでは矢内名人に敗れた里見初段ですが,その後に指されたこの挑戦者決定トーナメントの準決勝では矢内名人に勝っています。初のタイトル挑戦がなるでしょうか。

 責任という概念notioをスピノザの哲学において積極的に考えていく場合に,そのヒントとなるのは,一般的に責任(自己責任)ということばは,その文脈から類推される限りは,ある対象化されたような(形相的な)現象を指し示しているのではなく,何らかの価値基準のようなものを含んでいるということです。
 実際,僕たちは僕たちがなすすべての行為に対して責任を問われるわけではなく,ある特定の行為,消極的な説明の場合には,共に共同体を構成する他者の自然権jus naturale,naturale jus,sive naturalisを脅かすような行為にのみその責任を問われるわけですから,これはスピノザ哲学から発生する責任という概念の中にも,何らかの形で反映させることができるように思えるからです。もちろん,一口に価値基準といっても美醜とか真偽とかいった具合に様ざまなのですが,責任の場合には善悪という基準を導入するのが最適ではないかと思います。なぜなら,人は善bonumとみなされるようなことをなす場合には責任を問われることはなく,あるいは場合によってはそれが責任を果たすということだと考えられ,逆に悪malumとみなされるような行為をなした場合には責任を問われるように思うからです。
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ドバイワールドカッデイ&消極的な説明

2007-04-01 22:46:56 | 海外競馬
 ドバイの国際レース。数が多いので日本馬を中心に簡単に回顧します。
 レース順にまずゴドルフィンマイルGⅡ。フサイチリシャールは無理なく好位につけての競馬。残り400メートル辺りでは手応えもよく上位争いが可能ではないかと思ったのですが,ばててしまい勝ち馬から9馬身強離されての6着。やはりダートでは厳しかったようです。
 UAEダービーGⅡ。ビクトリーテツニーは最後方から。直線はそれなりに伸びて5着。この馬は日本でも最上位クラスの馬ではありませんので,着順としては健闘したといえると思います。ただ,圧勝した勝ち馬からは16馬身も(とはいえ1着と2着が9馬身半もありましたが)離されましたので,レースそのものに参加したという感じではなく,強い勝ち馬についていってばてた馬が多かったのに乗じたという気はします。
 ドバイゴールデンシャヒーンGⅠ。これは直線コースで,セパレートのような競馬になったので,どのような位置取りだったか把握しかねます。結果的にアグネスジェダイが勝ち馬から9馬身強差の10着,シーキングザベストがさらに半馬身差の11着。この路線は日本が世界的なレベルにありませんのでやむを得ない結果でしょう。はっきりスピード不足を露呈してしまいました。
 ドバイシーマクラシックGⅠ。このレースは馬群が一固まりの競馬となり,ポップロックは後方から2・3頭目を追走,直線は外に持ち出して6着。とはいえ3馬身ほどの差ですから,道中の位置取りがもう少しうまくいけばさらに上位が狙えたのではないかと思えます。ちょっと残念なレースでした。
 ドバイデューティフリーGⅠ。ダイワメジャーは先行集団の外,アドマイヤムーンは中団の外での競馬。直線に入り,ダイワメジャーが先頭に立ったところ,アドマイヤムーンが普段より早めにこれを交わして先頭に。後方から外を追い上げたアイルランドのLingariに半馬身まで詰め寄られましたが,着差以上に余裕をもっての優勝となりました。この馬はGⅠはこれが初勝利。武豊騎手は先週の高松宮記念から連勝。管理する栗東の松田博資調教師は昨年のJBCクラシック以来の大レース。ダイワメジャーは2着から4馬身以上離されましたが3着。この馬は瞬発力の勝負には弱く,もう少しレースを引張ってくれる馬がいた方がよい成績を収められたかもしれません。
 メーンはドバイワールドカップGⅠ。ヴァーミリアンは3番手のインでの競馬でしたが,直線では抜け出したアメリカの2頭に突き放され4着。1・2着馬は強いのでこれは仕方ありませんが,ほぼ同じ位置にいた香港のブリッシュラック(昨年の安田記念の優勝馬)にも5馬身以上置かれてしまったのは残念です。

 人間は元来が無責任なもの,あるいは責任を負いたがらないようなものであって,その人間の性質を利用して,それがある共同体の維持を困難にする行為,すなわち,同じ共同体を構成する他者の自然権を侵害するような行為へと人を向かわせるような感情に対する相反する感情を生じさせるようなものとして,責任という概念があるというのは,確かにスピノザの哲学における責任という概念のひとつのあり方として,成立するような考え方ではあると思います。
 ただ,僕がこの考え方にやや難点があると思うのは,これが責任という概念を消極的な仕方で説明しているところです。つまりこの説明というのは,責任という概念がある場合に,人間はなぜそれを果たさなければならないのかということを説明しているのではなく,なぜそれを果たさないということが否定されるべきであるのかという観点から説明されているように思うのです。もちろん,共同体を構成する各人がその自然権を過度に侵害されないということは非常に重要であるということは僕もそう思うのですが,自然権の保護という目的のための責任という概念という仕方でなく,より積極的に責任という概念がそれ自体で果たされなければならないようなあるものとして,スピノザの哲学から生じてくるような要素がないものか,もう少し考えていきたいと思います。
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