スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ことひき賞&別の結果論

2007-04-20 22:54:31 | 競輪
 ふるさとダービー観音寺の2日目メーンとして行われたことひき賞
 号砲後のスピードがいつも速い池尻選手がSを取って加倉選手の前受け。金子選手が3番手に入り,6番手から兵藤選手,8番手に有坂選手で周回。残り2周のホームで兵藤選手が金子選手の横まで車を上げると,金子選手は下げて両ラインが入れ替わり,3番手に兵藤選手で5番手に金子選手。そのまま打鐘を迎え,ここから金子選手がいよいよ発進。飛びつきを狙って加倉選手も踏みましたが,ここはさすがのダッシュ力で金子選手が前に出ると,このラインの3人がきれいに出きりました。このラインを追った有坂選手がすかさず自力捲り。バックでの加藤選手の牽制をものともせずに捲りきりました。結局,そのまま詰め寄られることもなく有坂選手が1着。少し離されそうになりながらも何とかマークしきった佐々木選手も後ろの追い上げを凌いで2着と,このラインの両車で決まりました。中を伸びた兵藤選手が3着になっています。
 失格にならない限りは全員が準決勝にいけるレースなので,先行一車でもそれほどは激しいレースにならないだろうと考えていて,実際にそんなレースになったのですが,それでも金子選手を自力で捲ってしまった有坂選手の強さには脱帽です。逆に金子選手からするとちょっとショックな結果ではないでしょうか。

 責任という概念は悲しみを与えた原因という意味から発生するのではなく,結果として悲しみを与えたということから発生するというのが,責任という概念をスピノザの哲学において積極的に抽出する場合の結果論であるわけですが,人間はだれも他者の感情を予測することはできないという結論は,もうひとつ別の結果論を生じさせると思います。
 人間はある行為をなす場合に,それが他者に喜びを与えると信じてなす場合もあれば,それが他者に悲しみをもたらすと信じてあえてそれをなす場合もあるわけです。そこで前者を善意による行為,後者を悪意による行為と考えてみます。ところが人間が受動的である以上は人間は他者の喜びと悲しみを確実に知ることはできないわけですので,善意による行為が他者に悲しみを与えるという場合もあり得れば,悪意による行為がかえって他者に喜びをもたらす場合もあり得るわけです。したがって,責任という概念は,善意からなされようと悪意からなされようと,それには関係なく,他者が与えられた悲しみの大きさという観点からしか考えられ得ないことになるのです。
 一般に僕たちは,ある行為がその人の悪意によってなされた場合には,そうでない場合よりも大きな責任が発生するという考え方をするのではないかと思うのですが,この場合には,そうした観点から責任の大きさを規定することはできないのです。
コメント
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