スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日オープン&認識の一致

2007-04-30 22:30:58 | 将棋
 朝日オープン五番勝負第三局。今日は昼食休憩の時間から終局までじっくりとネット観戦できました。同様に観戦されていたLogical Spaceさんのリアルタイム解説と並行で,そちらで僕の質問にもいくつかお答えいただいているので合わせてお読みください。
 後手の阿久津主税五段の一手損角交換の向飛車。戦型は棋王戦第四局と同じです。僕は阿久津五段の将棋はあまり見ていませんが,こういう将棋を指すのは少し意外に思えました。
 観戦し始めたのは35手目に羽生善治選手権者が▲3一角と打ち込んだ局面。ここから先手は馬を作り,8筋で一歩入手して49手目に▲2五歩から▲3六歩と攻めていきましたが,無理に手を作っている感じが僕にはして,少し苦しいのかと思いました。
 54手目の△6五歩の局面では後手がはっきりと優勢に思えたのですが,65手目の▲3四歩まで進んでみるとそうでもなかったようです。この間,62手目の△8四同銀で△7四銀だとLogical Spaceさんの解説通りに進むと思いますが,8四に歩を残すこの順はやはり無筋でしょう。しかしそうも堅いといえない先手玉に対して5七にと金を作ってもそんなに優勢とはいえないというのはちょっと驚きです。
 66手目から△8六歩▲同銀△8五歩▲7七銀と進展しましたが,この将棋だけでいえばこの交換は不要だったかもしれません。プロ棋士による検討ではこの直後の△6九角では△5六角として馬を消しにいく順もあったようです。
 70手目の△6二飛で△1二飛だとどうだったのでしょう。目に付くのは▲6四歩で,△7四金なら▲5四馬,△5二金引なら▲4四とという狙いですが,よく分からないですし,先手にはほかにも手段があるのかもしれません。
 78手目の△6八歩に▲2五飛はちょっとびっくりした手。横利きを止められたので八段目にいる必要はないということなのでしょう。ただ結果的にみるとこれは好手で,逆にいうと△6八歩は悪手だったようです。この後,△2四歩▲同飛は僕には時間稼ぎに思えますし,この交換自体も後手が損をしているような気がします。
 ここから後手が最後の猛攻。しかし89手目の▲7八銀で攻めが続かなくなり,以下数手で無念の投了となりました。羽生選手権者は▲7八銀で勝ちと確信されたようですが,僕には最後までどちらが勝ちか分からない(手の更新のタイムラグもありますので)熱戦で,かなり楽しめました。これで羽生選手権者の2勝1敗。第四局は5月14日に指されます。

 明日は平塚記念の2日目優秀,湘南グランプリがあります。並びは予想で,山崎-金成の福島に藤原,海老根-武井-遠沢の南関東,小嶋-古田の中部に森内でしょうか。確実な並びでないので詳しく予想しませんが,自力の3人が強いので,力の決着になりそうです。

 第四部定理三五証明されると,人間は各人が自分の理性に従う限り,つまり能動的である限り,万人が事物の認識に関して一致するということが分かります。そこで実際にそういう認識があるのかどうかということを別にするとしても,善の認識と悪の認識,すなわちどういう事柄についてそれを善と認識し,またどういう事柄についてそれを悪と認識するかという点においても万人が一致するということになります。このことはむしろ,原因の一致という観点から,人間が能動的である場合には全員の精神の本性が一致するのだから,その精神の本性から必然的に生じる個々の観念も必然的に一致すると説明すればより明白ではないかと思います。
 なお,第四部定理八とその平行論の帰結からして,僕は善悪とは,それぞれ喜びあるいは悲しみという感情そのものであるといいました。当然ですがこれは人間が能動的に考えられようと受動的に考えられようと同じことです。一方でスピノザは人間が能動的である場合にはそこから悲しみの感情は生じない(第三部定理五九)といっていますので,部分的には齟齬を来していますが,ここでは,僕は生じる認識が同一になるということを強調するためにこのようにいっています。実際には精神の本性から悲しみの感情が生じなくても,悲しみの認識はあり得ると僕は考えていますが,この点については争うつもりはありません。ないとしてもとくに問題が発生するとは考えないからです。
コメント (2)
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