スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ギャンブルレーサー関優勝牌&第四部定理三五証明

2007-04-27 23:00:37 | 競輪
 西武園記念の2日目優秀として行われたギャンブルレーサー関優勝牌(動画)。並びは白戸が関東追走,近畿中部の3人は結束,園田が単騎でした。
 前受けは岡山。園田選手が3番手,4番手から近畿中部で後ろ攻めが東日本。残り2周のホーム前から平原選手が上昇していくとこれに合わせて村上選手も上昇,バックでは石丸選手を抑えて村上選手が先頭に。一旦は外に浮く形となった平原選手が打鐘から再度発進。ホームでは村上選手をかまして先行となりました。同時に踏み出した村上選手が手島選手をどかして平原選手の番手に収まり,バックから石丸選手の捲り。これを見て村上選手も番手から発進。多くの選手がインを突いたのでもつれて直線では岩見選手が落車のアクシデント。これを尻目に外の選手が伸び,石丸選手が捲りきったところ,さらに外からこのラインの3番手を追走となった園田選手が交わして1着。石丸選手が2着で3着は村上選手となりました。
 33バンクということもあったかもしれませんが,優秀競走としてはかなり熾烈なレースとなったという印象です。

 それでは第四部定理三五を証明しますが,実はこれは,人間の精神の理性による認識が能動的であるということから明らかなのです。なぜなら,能動的であるということは,第三部定義二により,人間の精神が十全な原因であるということを意味します。したがって,第三部定義一第二部定理四〇により,人間の精神が理性に従って認識する観念は,すべて十全な観念であるということになります。十全な観念というのはすべて真の観念ですが,第一部公理六から,すべての事物に真の観念はただひとつだけであるということが明らかです。つまりたとえばAの真の観念というのはXという人間の精神のうちにあろうとYという人間の精神のうちにあろうと,どんな精神のうちにあろうと同一の観念であるということになります。もちろんこのことは,具体的に,たとえば三角形の真の観念は唯一であり,それは現実的に存在するどんな人間の精神の一部を構成しているとしても同一であって,もしもそれ以外に三角形の観念があるとすれば,それは誤った観念であると考えても明らかであると思います。したがって人間というのはだれであれ,自分自身の理性に従って事物を認識し判断するならば,万人に共通である十全な観念を形成し,十全な観念だけを形成するということになります。よってもしも人間が自分自身の理性に従って生活するなら,すべての人間の本性は完全に一致するということになるのです。
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