クラシック三冠の開幕となる皐月賞。
サンツェッペリンが先手を奪いにいきましたが,これを外からヴィクトリーが掛かり気味に交わしていっての逃げ。向正面では少し離れてサンツェッペリン,さらに少し離れてメイショウレガーロが3番手という態勢。前半の1000メートルは59秒4。ミドルペースとみなすかハイペースとみなすか意見の分かれるところと思いますが,このくらいのラップにしては先頭と2番手,2番手と3番手が少し離れすぎたとは思います。人気を分けた2頭は2番人気のフサイチホウオーが後方から6・7番手の内,アドマイヤオーラはさらに後ろで後方から3・4番手。4コーナーに入るところでサンツェッペリンがヴィクトリーに並びかけ,後続はまだ離され加減。さしあたりは前の2頭のマッチレースとなり,一旦はサンツェッペリンが前に出た感じもしましたがヴィクトリーもしぶとく差し返そうとして叩き合い。そこへ4コーナーでほかの馬を弾き飛ばすように外へ持ち出したフサイチホウオーがやや右へきれこみ加減に急襲し,3頭が並ぶようにゴール。写真判定の結果,逃げ粘ったヴィクトリーが優勝,サンツェッペリンが2着で,フサイチホウオーは3着まででした。
優勝したヴィクトリーはこれで4戦3勝。大レースはもちろん重賞もこれが初制覇。キャリア2戦目で挑んだ重賞でフサイチホウオーに僅差の2着していたくらいですから能力はかなり高い筈で,今日は評価が低すぎたように思います。鞍上の田中勝春騎手は一昨年の全日本2歳優駿以来,栗東の音無秀孝調教師は2月のフェブラリーステークス以来の大レース優勝。この馬の母系については後日紹介します。
2着のサンツェッペリンは一旦は先頭に出たように思え,まったくもって惜しいところで大魚を逸しました。
3番手のメイショウレガーロが5着に残ったことからも,1・2着馬は展開にも恵まれた感があり,それを考慮すればフサイチホウオーの末脚は出色で,能力は見せていると思います。道中の位置取りがやや悔やまれるかもしれません。馬にとっても僕自身にとってもあと5メートルあれば,という結果になってしまいました。同様のことは馬場の中央から4着まで追い込んだアドマイヤオーラにもいえそうです。
明日から京王閣競輪場で北京オリンピック日本応援競輪というのが開催されます。これは3日制のGⅢ。FⅠと違い明日の初日特選は1レースですので予想してみます。並びはおそらく飯野-佐藤友和-佐藤康紀の北日本,小林-後閑-川口の関東,村上-一丸-島田の西日本で3分戦。この並びなら2段駆けが見込めるので佐藤友和選手◎と佐藤康紀選手○。小林選手△に乗る後閑選手▲を絡めて。
スピノザの哲学から責任という概念をそれ自体で積極的に抽出しようとするなら,僕はこれ以外の方法はないのではないかと思います。しかしこの中には注意しなければならないことや,難点といったものも含まれていると考えます。
まず,この責任という概念は,ある害悪(悲しみ)を受けた人から見て,その悪の原因がある人であるから,その人に責任が生じるのではありません。なぜなら,まさにこの責任論の暫定的なテーマとして設定した第一部定理三二により,どんな人間も。その人間の自由意志によって他者に悲しみをもたらすということはないからです。Aという人間がBという人間に悲しみをもたらすというのがどういうことであるかといえば,Aは第一部公理三により,ある行為を必然的に,第一部定義七のいい方に従えば,強制によってなすのです。そしてその行為そのものが,あるいはその行為のBによる表象が,同様に第一部公理三により必然的にBを悲しませるのです。したがってこの責任というのは,必然的になした行為が必然的に他者を悲しませるという結果を生じたということについて問われています。つまりこの責任論は完全な結果論で,同じ行為をなしたとしても,他者を悲しませた場合には生じるけれども,だれも悲しまなかったとすれば生じないような責任なのです。
サンツェッペリンが先手を奪いにいきましたが,これを外からヴィクトリーが掛かり気味に交わしていっての逃げ。向正面では少し離れてサンツェッペリン,さらに少し離れてメイショウレガーロが3番手という態勢。前半の1000メートルは59秒4。ミドルペースとみなすかハイペースとみなすか意見の分かれるところと思いますが,このくらいのラップにしては先頭と2番手,2番手と3番手が少し離れすぎたとは思います。人気を分けた2頭は2番人気のフサイチホウオーが後方から6・7番手の内,アドマイヤオーラはさらに後ろで後方から3・4番手。4コーナーに入るところでサンツェッペリンがヴィクトリーに並びかけ,後続はまだ離され加減。さしあたりは前の2頭のマッチレースとなり,一旦はサンツェッペリンが前に出た感じもしましたがヴィクトリーもしぶとく差し返そうとして叩き合い。そこへ4コーナーでほかの馬を弾き飛ばすように外へ持ち出したフサイチホウオーがやや右へきれこみ加減に急襲し,3頭が並ぶようにゴール。写真判定の結果,逃げ粘ったヴィクトリーが優勝,サンツェッペリンが2着で,フサイチホウオーは3着まででした。
優勝したヴィクトリーはこれで4戦3勝。大レースはもちろん重賞もこれが初制覇。キャリア2戦目で挑んだ重賞でフサイチホウオーに僅差の2着していたくらいですから能力はかなり高い筈で,今日は評価が低すぎたように思います。鞍上の田中勝春騎手は一昨年の全日本2歳優駿以来,栗東の音無秀孝調教師は2月のフェブラリーステークス以来の大レース優勝。この馬の母系については後日紹介します。
2着のサンツェッペリンは一旦は先頭に出たように思え,まったくもって惜しいところで大魚を逸しました。
3番手のメイショウレガーロが5着に残ったことからも,1・2着馬は展開にも恵まれた感があり,それを考慮すればフサイチホウオーの末脚は出色で,能力は見せていると思います。道中の位置取りがやや悔やまれるかもしれません。馬にとっても僕自身にとってもあと5メートルあれば,という結果になってしまいました。同様のことは馬場の中央から4着まで追い込んだアドマイヤオーラにもいえそうです。
明日から京王閣競輪場で北京オリンピック日本応援競輪というのが開催されます。これは3日制のGⅢ。FⅠと違い明日の初日特選は1レースですので予想してみます。並びはおそらく飯野-佐藤友和-佐藤康紀の北日本,小林-後閑-川口の関東,村上-一丸-島田の西日本で3分戦。この並びなら2段駆けが見込めるので佐藤友和選手◎と佐藤康紀選手○。小林選手△に乗る後閑選手▲を絡めて。
スピノザの哲学から責任という概念をそれ自体で積極的に抽出しようとするなら,僕はこれ以外の方法はないのではないかと思います。しかしこの中には注意しなければならないことや,難点といったものも含まれていると考えます。
まず,この責任という概念は,ある害悪(悲しみ)を受けた人から見て,その悪の原因がある人であるから,その人に責任が生じるのではありません。なぜなら,まさにこの責任論の暫定的なテーマとして設定した第一部定理三二により,どんな人間も。その人間の自由意志によって他者に悲しみをもたらすということはないからです。Aという人間がBという人間に悲しみをもたらすというのがどういうことであるかといえば,Aは第一部公理三により,ある行為を必然的に,第一部定義七のいい方に従えば,強制によってなすのです。そしてその行為そのものが,あるいはその行為のBによる表象が,同様に第一部公理三により必然的にBを悲しませるのです。したがってこの責任というのは,必然的になした行為が必然的に他者を悲しませるという結果を生じたということについて問われています。つまりこの責任論は完全な結果論で,同じ行為をなしたとしても,他者を悲しませた場合には生じるけれども,だれも悲しまなかったとすれば生じないような責任なのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます