スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

飛龍賞&平行論からの帰結

2007-04-13 22:13:14 | 競輪
 武雄記念2日目優秀の飛龍賞(動画)。並びは予想に反し,九州が4車で結束。井上-荒井-藤野-大塚と並んでの3分戦でした。
 9番車でしたが望月選手がSを取って武田選手の前受け。中団の4番手に井上選手で後方の8番手から三宅選手。誘導のスピードがやけに上がったという印象があるのですがこの一本棒のまま隊列は動かず,打鐘から井上選手が発進。武田選手も踏み出して先行争いかと思いましたがホームでは井上選手が叩いてあっさりと前に。ここからでは武田選手も引けずに3番手で粘り,バックでは荒井選手の内まで追い上げました。隊列が短くなったところで3コーナーから三宅選手の捲り追込み。これが決まると思ったのですが荒井選手が巧みに牽制。返す刀で前に踏み出し,荒井選手が1着。三宅選手の捲りに乗った山口選手が2着に食い込み,三宅選手が3着でした。
 展開には恵まれましたが,荒井選手がこんなに器用な走りができるとは思いませんでした。九州で上位独占ができればよかったのでしょうが,これは井上選手を庇ったため。荒井選手も自力ですからこういう競走をする方が自然とは思います。武田選手はやはり自力を発揮してこその選手でしょう。今日は展開というかメンバー構成が悪すぎた印象です。

 明日は中山グランドジャンプです。オーストラリアのカラジ◎と日本のメルシーエイタイム○の争い。あとは連下候補で,アグネスハット△とスリーオペレーター△を。

 第四部定理八でスピノザが喜びという感情,悲しみという感情そのものがそれぞれ善悪ではなくて,それらの感情に刺激される当人に意識されるそれらの感情,いい換えればそれらの感情の観念が善悪であるといっているのは,人間にとって善悪というのが認識の問題であること,とりわけそれは諸個人によって相違があるような認識の問題であって,対象となっているものの性質を表現するのではないということを際立たせる意図があるものと僕は判断しています。
 一方,第三部定義三によれば,喜びや悲しみといった感情というのは,延長の属性のもとでも思惟の属性のもとでも同時に意味をもつことばなのですが,どちらの場合で考えたとしても,平行論からの帰結として,そうした感情とその感情の観念というのは同一個体であるということになります。というかそもそも感情ということばが延長と思惟の両方の属性のもとで意味を有することができるのは,それら自体が同一個体であると考えられるからでしょう。第二部定理七系の意味により,神のうちにある観念はすべて十全な観念ですので,このことは人間の精神のうちにある観念が十全な観念と考えられようと混乱した観念と考えられようと同様に妥当します。
 これらの事情を勘案し,善悪が認識の問題であることを押さえた上で,僕は今後は単に喜びを善とみなし,悲しみを悪とみなして考察を進めていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする