スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

黒船賞&文脈からの類推

2007-03-21 22:36:23 | 地方競馬
 第10回黒船賞(動画)。
 ロッキーアピールの逃げを想定していたのですが,ストロングボスが叩いてこれを制して逃げました。ロッキーアピールは2番手の外。人気のJRA勢はリミットレスビッドが5番手,これをマークするようにメイショウバトラーが外の6番手,ニホンピロサートは内で7番手という位置取りでした。詳しいラップは分かりませんが,この距離ですからスローペースということはなかったと思います。
 3コーナー手前からリミットレスビッドが進出開始,これに押してメイショウバトラーがついていって,ストロングボスは後退。4コーナーではロッキーアピール,リミットレスビッド,メイショウバトラー,内から進出してきた愛知のキングスゾーンが並ぶ態勢。大外のメイショウバトラーがまず脱落して,リミットレスビッドが抜け出すと,内からキングスゾーンが2番手に。そこに馬場の中央からニホンピロサートが差してきました。結局,リミットレスビッドが優勝。ニホンピロサートが2着に届いて,キングスゾーンが3着に健闘。以下,ロッキーアピール,メイショウバトラーという着順でした。
 勝ったリミットレスビッドは暮れの兵庫ゴールドトロフィー以来の勝利。メイショウバトラーに1番人気は譲っていましたが,この距離ではこちらの方が上のようです。概ね実力馬が上位を占め,順当な決着。キングスゾーンはずっと長めの距離を使っていたので今日は軽視していたのですが,むしろこのくらいの距離の方がいいのかもしれません。

 責任ということばが一般的にどういった文脈で用いられるのかということを考えてみます。
 たとえば,何年か前にイラクで日本人が人質になったときに,それは人質になった人の自己責任であるというようなことがいわれましたが,これなどは責任(自己責任)ということばが使われる典型的な例なのではないかと思えます。つまり責任(自己責任)ということばは,多くの場合はある客観的な状態を示すために用いられるのではなくて,だれそれには責任があるという文脈の中で,その主語にあたる当人の価値基準を示すために用いられるのです。この場合は,この価値基準を否定する,あるいは低下させる文脈ですが,逆に,だれそれは立派に責任を果たしたという場合でも,やはり何らかの価値を含む中で責任(自己責任)ということばが用いられているということは同様なのではないかと思います。
 このように考えてみると,責任ということばは,それ自体の中にだれかが罰せられなければならない(法的な刑罰であるかどうかは関係なく),あるいはだれかは十分に罰せられたという意味を含んでいるように思えます。ですから,欲望を直接の原因として責任という概念が生じると仮定した場合には,人間の中にある他人を裁きたいとか罰したいという欲望を合理的に充足させるための手段のひとつとしてこの概念が生じてくるという分析は,突拍子もないような感じもするのですが,意外に正しいことをいっているのではないかと僕には思えます。
コメント (2)
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