つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

霊妙

2014-11-23 | Weblog
真空=その空間の中に気体が一切存在しないと認められるような状態。と辞書にある。
その中では空気が無い為に人は生きていけないが、気は満ち満ちている。
万遍なくあるのが気である。そのために、ある種の気が有る無しでその対応ができるエネルギーは
活動できるが、対応としないものはそこでは活動できていかない。
つまり、存在としての容ができない。気に依ってのそれぞれの存在となっているのである。
真空の中で生きていけるエネルギーがあるのは、気が隈なくあるためである。
その気は、私たちを作っているものであるが、私たちには見ることも触ることもできなく、
無いとして捉えられるものであり、しかしながら、何ものかと感じられるものである。
それはまた、普段見ているものであり触れているものであるのだが、無としてしか受け取れないのである。
それを、霊妙として捉える。
それは、気で作られていながら、気を知らないのと同じで、
私が私を知っていながら、全く知っていない。私というのは何だろう?
どこから来てどこへ行くのだろうと疑問に思うようなものである。
だから、気というものは、全てを抱えていて、無いといえば無く感じはするが、無いものではなく、
あるとすればまた、それなりに生じてくるものである。
人でいえば心である。心が生命の本体であり気そのものである。だから、全てを抱えていて、
為せば成ると成し、成さぬは人の為さぬなりけりとなるのである。どこまで本気でとなるのであるが、
思いが強くても、その志のあやし方を知らなければ、果はうまく見出されないものである。
だから、難しいとなる。そこに、一心があり一途にがあり、怠ることなく継続してがあり、
思うようにが芽生えるのである。
気というものは、無限な可能性と不可能とする有限があり、それは、自身でありながら自分を知らないという自由を持っている。

気というものは、自由というものから生まれている。

霊妙不可思議である。

だから、根本、「何だろう?」として生きている。

一生は尽きない人生である。
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