水無月初め、公に「まさか」と驚く。悪事と知って知らぬふりの人達には緊張駄々下がり、脂汗で当人と知られる。今後死に際近くある人となる。耐え難きを耐え、忍ばねばならなかった人達には、楽として報う。第二段階目の未聞である。そんな馬鹿な事がある訳がないと一笑に付す人、不平不満を脱ぎ切れずに、隷属に苦しむばかり。のぞむことを持つ人に道は開ける。挑戦は、石橋を叩かずに渡る。慎重過ぎると失敗ばかり(秤)に乗る。「及ばざるは過ぎたるより優れり」としてあることを心得る。多くの及ばざるを重ねて天才を得る。投げ出さずして諦めることである。諦めるとは「明らかにする」ことの意。誤解してはならない。なんでも諦めてはならないとして洗脳され、馬鹿のままである。そのため、隷属にある事が奴隷となっていることに気づかない。奴隷として労働に服することが正義とされている。それは悪の正義である。悪魔(悪神)に支配されたという義(いみ)である。依存することで自由を奪われたことに気づかない。だから、今、便利が高じて不便となるだろう。例えて、電化製品(炊飯器)でもって主食である米を炊くが、電気が来なければ飯を炊くこともできない人が大半である。頻繁に災害が起こる今日この頃、電気は遮断され、食料を確保(作れない)できない人達があふれる始末となる。便利とは不便と裏表。電化という機械が人の自由を奪う時代。人災という戦争もそうである。現在、世の中は、依存した社会の中で、常に不安が募る。明日は我が身の世界情勢。けっして他人事ではない。動物愛護を唱えながら家畜を殺して食す。矛盾にさえ気づかなくなっているのは偽善のためである。偽りの愛の中で、表面だけを繕っている世界、本物の愛だけが世界を変えられることに気づくのは、本年が要である。