つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

振り返って分かる事

2024-05-24 | Weblog
確かに世の中には素晴らしい人もいれば、
人間として欠陥だらけのダメな人もいる。若い時は何分にも経験が浅いために、
若気の至りで間違った判断をする。そのため、良い悪いを見分けられずによく騙される。年を取り、それなりに経験を積んでいくと、いろいろな善し悪しが分かるようになってくる。特に、自分が性善としてあれば、余計に正しく見分けられるようになる。若くしても優れた人がいて、善性の徳を積んだ人の生まれ変わりではないのかとも思ったりする。この考えは、縁起の法則を思えば正しいのではと思う。自然というのが示し申すものであり、神であると認識し、その自然から分かれて(生まれて)きたのが自分とするこの身に宿る魂は、ある意味神であるとする。だから、自らに由る事として現象する世界は、自らの意識に由って変えられる、変わるのである。だから、自由を良く理解しなければ、不自由となって嘆くばかり。怪我は我が怪しいと書く。自分が怪しくあるために現れる世界。怪我をする。
自分の責任世界。その責任の真実の果はあの世として現れる。あの世が天国となるか地獄となるかは、自身の生きてきた人生に任されている。あの世が自身の体を動かしてきた魂の本当の生きていく世界である。そのために、身は必然死をもって生きている。死が終わりではなく本当の始まりとなっているのである。だから、誕生の「誕」の文字は、「でたらめ」という意味を持つ。虚誕、妄誕という文字が並ぶ。いわゆる、この世はまっかな嘘、偽りの世なのである。
人は、あの世を正しく現象させるために、この世に生きてそれを叶える。だから、生は死を絶対条件として生まれる。死の無い生は無いのである。
間違った生き方をしていれば、あの世は必然地獄となっている。それは、この世に於いても知ることができる。自身の人生正しくなければ、と分かる。
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