つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

誕=でたらめ

2024-07-10 | Weblog
この地球は金融支配社会の束縛である。何かをするにもお金がいる。
じっとしていてもお金が掛かっている。税金の義務である。人間という動物のみにあるおかしな仕組み。つまり、生きているだけでお金が必要となっている。働けなくなって、お金という収入が無くなれば、待っているのは死である。人が動くとして働くという。本来、お金を稼ぐために在る言葉ではない。
群れの社会で生きているために、当然として作られたまやかしの仕組み、その仕組みに背けば、生きていけなくなる。他の高等生命には無い仕組みである。
人間という情けに託(かこつ)けて、生活保護制度を設けても、身の尊厳も無く、いやしくも(苟)ハラスメント(虐める)される。
特に日本人特有の気質にて、{武士は食わねど高楊枝}死を選ぶ。
まったく「でたらめ」な世に生まれたものだと嘆いて泣き叫んだが、、せめて仲間となったことの祝いとして、父母は誕生日を喜び記した。
何もかも「無知」にある魂の「戒め」である。人生の自由は、その生涯に於いて、すべて魂の責任、無知にしての罪と罰である。
「私は何も知らない」とする魂への警告は、人生における気づきの機会(チャンス)にしてある。だから、この世は一切皆苦にして、死を絶対条件として諭させる。気づけ、肌で感じろ!気を付けろ!と先人達の魂は訓える。
つまり、この世は地獄、誕生するな!、結論である。
輪廻の内にして必ず悟れ!解脱しろ!輪廻から離れることを一生涯にして学び覚れ、だから、【覚悟】がいる。物理にある質に囚われるな、心を精げろ、由って、精神として磨かれた心は、魂の真の世界に赴く。生まれるのではない、ただ赴くのである。
その赴きの切符がこの世の業によって作られる。
「幸福」行きと言う魂の駅の名が記されるように、人生を正しく歩め。
魂、その生命エネルギーに死は無い。無くならないエネルギーなのである。
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