つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自分の為に生きている

2013-11-14 | Weblog
人は、今生の幸せの為に生きているものではなく、
死後の世界の為に生きているものである。死後の世界の倖せの為に生きているものである。
生命というのは肉体をもって業を作り、業によって死後の幸不幸が
決まっていく。
だから、肉体をもって活動している時が大事となり、大切な人生である。
人生とは、死後の世界を作るための行為であり、生命の浄化のための行為となっているものである。
すべての行為が生命の浄化の為となっているのである。正しい死後の世界とするための行為となっているのである。
それは、生命そのものに死が無いためである。なぜなら、生命はエネルギーの法則によって作られているものであり、
エネルギーの法則は、無くなることのない法則となっているためである。
なぜなくなることがないのかといえば、自由であり、その自由が円運動となっているためである。
始まりが終わりであり、終わりが始まりとなっているための自由によるためである。そのために、
無くなることがなく繋がっていくものとなっている。始まりと終わりが同じであるために、永遠となっているのである。
それを絶対といい、正しいという。
同じことを繰り返す。同じところを通る。同じ時刻に同じ様にである。
そこに善悪は無く、ただ同じことをずーっと繰り返すことで正しいとなっていく、絶対となっていく。
必ず元に戻っていくために浄化となっている。
それは、日が東から昇り西に沈む繰り返しが正しいもの絶対なものとなって、日の回りが絶対正しいとして是とし、是が法則である。
宇宙の法則でありエネルギーの法則である。生命の法則である。すべての法則である。諸々の法則となっているのである。
だから、繰り返す。明日は絶対やってくる。そして、人は輪廻する。
この法則が絶対で常住である。変わらないものとなっている。
よって、生命は、この変わらないという常住に安住してこそ幸せとなっている。
その目的のために、人という生命は肉体をもって活動しているのである。
変わらない世界、それが死後の世界である。
死後の世界は、法則の絶対世界である。
肉体も何も、生きていた時の心の現象となっていくものである。そのために、人生は大切である。大事である。
無駄に生きてはならない。無駄にあるものではないのである。
人生は死後の為にあり、死後の世界を仕合せとするためにあるのである。それは、
生命そのものに死が無いためである。それは、是が無くならないものであるためである。
…だから、悪いことをするな。悪いことをして生きてはならないものである。自分の為であるために。
コメント
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