今日は、専立寺さんの報恩講が勤まりました。日中の勤行の様子です。法話は門真の入江健明師で、真宗門徒の生活の在り方について、詳しく説いてくださいました。逮夜は七時から勤まります。
- ・ -
第三能変 別境 第五 ・ 五受分別門 その (1)
「此の別境の五は何れの受と相応するや 」(『論』第五三十四左)
(意訳) 別境の五の心所は五受(楽・喜・苦・憂・捨)の中、どの受と相応するのであろうか。
「述曰。此の下は第五に問うなり」(『述記』第六本上二十七右)
「有義は欲は三なり。憂と苦との受をば除く。彼の二の境は所楽に非ざるが故に」(『論』第五三十四左)
「述曰。欲は通じて三受と倶なり。憂苦の二を除く。此の二境は是れ逼迫の法にして方に憂・苦を生ずるを以て。欲は所楽を縁ずるが故に。二の受と倶に非ず。又五識の中には此れ等の五無ければ、欲は倶に非ず。受は前に説くが如し」(『述記』第六本上二十七右)
第六意識に於いて、欲は楽と喜と捨の三受と相応し、憂・苦は逼迫の法であるので相応しない。即ち、願い求めるような対象ではないからである。五受中の憂受と苦受は逼迫の感受であるので、欲の対象とはならないから相応しないという、それは欲は所楽を対象としているからである。又、五識には、別境の五は相応しないと説かれている。
「余の四は四に通ず。唯苦受をば除く。審決等は五識になきを以ての故に」(『論』第五三十四左)
「述曰。余の四は四受に通ず。苦を除いて勝解等の四は五識になきが故に。亦意地に苦根有るに非ずなり。前の第一師の意の中に苦無く、五欲等無きの師の義なり」(『述記』第六本二十七左)
(意訳) 余の四、即ち、勝解・念・定・慧の四つの心所と五受の関係が述べられます。四受に通ずと。楽・喜・憂・捨の四受に通じ、苦受のみ除くと。何故ならば、審決等(勝解・念・定・慧)は五識に存在しないからである。
ここまでが第一師の説ですが、『述記』等にはこれが誰を指すのかの記述は有りませんので不明です。これまでの流れから行きますと、安慧ではないかと思われますが定かではありません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます