唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 別境 第五 ・五受分別門

2010-10-11 18:14:18 | 心の構造について

P1000233 今日は、専立寺さんの報恩講が勤まりました。日中の勤行の様子です。法話は門真の入江健明師で、真宗門徒の生活の在り方について、詳しく説いてくださいました。逮夜は七時から勤まります。

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   第三能変 別境 第五 ・ 五受分別門 その (1)
  

 「此の別境の五は何れの受と相応するや 」(『論』第五三十四左)
 (意訳) 別境の五の心所は五受(楽・喜・苦・憂・捨)の中、どの受と相応するのであろうか。
 「述曰。此の下は第五に問うなり」(『述記』第六本上二十七右)
 

 「有義は欲は三なり。憂と苦との受をば除く。彼の二の境は所楽に非ざるが故に」(『論』第五三十四左)
 「述曰。欲は通じて三受と倶なり。憂苦の二を除く。此の二境は是れ逼迫の法にして方に憂・苦を生ずるを以て。欲は所楽を縁ずるが故に。二の受と倶に非ず。又五識の中には此れ等の五無ければ、欲は倶に非ず。受は前に説くが如し」(『述記』第六本上二十七右)
 第六意識に於いて、欲は楽と喜と捨の三受と相応し、憂・苦は逼迫の法であるので相応しない。即ち、願い求めるような対象ではないからである。五受中の憂受と苦受は逼迫の感受であるので、欲の対象とはならないから相応しないという、それは欲は所楽を対象としているからである。又、五識には、別境の五は相応しないと説かれている。

 

 「余の四は四に通ず。唯苦受をば除く。審決等は五識になきを以ての故に」(『論』第五三十四左)
 「述曰。余の四は四受に通ず。苦を除いて勝解等の四は五識になきが故に。亦意地に苦根有るに非ずなり。前の第一師の意の中に苦無く、五欲等無きの師の義なり」(『述記』第六本二十七左)

 (意訳) 余の四、即ち、勝解・念・定・慧の四つの心所と五受の関係が述べられます。四受に通ずと。楽・喜・憂・捨の四受に通じ、苦受のみ除くと。何故ならば、審決等(勝解・念・定・慧)は五識に存在しないからである。

 ここまでが第一師の説ですが、『述記』等にはこれが誰を指すのかの記述は有りませんので不明です。これまでの流れから行きますと、安慧ではないかと思われますが定かではありません。


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