唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第三 心所相応門(8) 触の心所 (7)

2015-09-02 23:41:56 | 初能変 第三 心所相応門

 道のり
   

 一切の心・心所を和合して境に触れしめる、これが触の自性になります。他に対しては触は受・想・思の所依(根拠)になるのです。ここで、教証が挙げられてくるわけです。
「受・想・行の蘊は一切皆触を以て縁と為すが故に」と。
 触・作意・受・想・思は五遍行、識が起これば必ず備わってくる心所です。
 『倶舎論』では、受・想・行の三蘊を以て心所法(四十六)を表し、色蘊は色法に摂め、識蘊は心法に摂められたいます。それから心不相応行は行蘊に摂し、無為法の三を合わせ、五位七十五法の体系を網羅しているのです。
 「受は随触を領納す。想は像を取るを体と為す。四の余を行蘊と名く。」(行蘊は色・受・想と後の識を除いたすべてが行蘊と説かれている)
 思を行蘊と名くのは『雑阿含経』に、思は最勝の義であり、行は造作遷流の義、有為法はすべて行であって、諸行と云われているわけです。行はサンスカーラの訳で、サンスカルタとなると有為と訳されるわけです。五蘊全体を表す概念ですね。心所の四十四法と不相応行の十四法との計五十八法が行蘊であると説かれています。遍行の思は、五蘊の場合は行と、一切の心所をあらわすような意味を以て説かれているわけです。行とは思、意志である。五蘊では、識が心王で、受・想・行は心所、心的な存在をあらわす概念ですから、行が思であることは頷けますね。識が動けば、識に付随して具体的な心的感情が動いてくるわけです。それが受・想・思である、受蘊・想蘊・行蘊にあたるわけです。
 色  ―  色法
 受
 想  }  心所法
 行
 識  ―  心法
 三和して変異に分別を起こす、これが触が心心所を引き起こす功能であって、心心所は触を所依として起こってくる、これが触の業だと云われているわけです。
 所依としては、識は二つ、触は三つ、受等は四つと和合して生ずるのである、と。
 識は  ―  根・境を所依とし、
 触は  ―  根・境・識を所依とし、
 受は  ―  根・境・識・触を所依とする。
 このようなことが『起盡経』には説かれているんだ、と。
 「斯に由って故(かれ)識と触と受との等きは、二・三・四和合するに因って而も生ずることを説く。」(『論』第三・初左)と。