唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第三 心所相応門(15) 触の心所 (14)

2015-09-10 23:58:25 | 初能変 第三 心所相応門
 十二支縁起について
1.無明(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。(人生の真実相についての無   知)
2.行(ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra) - 志向作用。物事がそのようになる力=業。無知に基づく心身の行為とその潜在的影響力)
3.識(しき、巴: viññāna, 梵: vijñāna) - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元。認識主観。
4.名色(みょうしき、nāma-rūpa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
5.六処(ろくしょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana) - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意。六入とも云う。
6.触(そく、巴: phassa, 梵: sparśa) - 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
7.受(じゅ、vedanā) - 感受作用。六処、触による感受。
8.愛(あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā) - 渇愛。欲望。
9.取(しゅ、upādāna) - 執着。
10.有(う、bhava) - 存在。迷いの生存。
11.生(しょう、jāti) - 生まれること。
12.老死(ろうし、jarā-maraṇa) - 老いと死をもつ存在。
 資料より
 「ものごとのあり方の関係的成立を考察した仏教教理に縁起説がる。縁起とは、「縁って起きる」・「なにかとの関係に依処しょいて、ものごとが成立している」という意味である。
 縁起説はわれわれの現実の生存が老病死などの苦に纏綿(てんめん)されている事実を直視して、このような苦としての人間のあり方が何故現れるのか、その原因を明らかにする。そしてその原因が生まれる根本条件を滅することによって、われわれの苦を滅し、迷いの生存からの離脱を図ることを教えた教理である。もっとも整備された形式の縁起説は、上記に示し他受にの構成部分からなる。
 縁起説は、現実にあるものの生起を解説するものではなく、何故にこのようにあるかの仕組み(論理関係)を観想する観念の方策である。順観・逆観・並観の三方向の観想を経て、縁起の理法の正しい納得に悟入するとされた。」 (『インドの思想』川崎信定著より)
 
 第三の因を挙げます。
 「能く縁となるが故に。」(『論』第三・二右)
 十二縁起説を挙げましたが、十二縁起を見ますと、愛は、渇愛、煩悩の心所である。感受作用は触が基になり、触は処が基になっている。処は器世間、十二処十八界が触の背景になっているわけです。  (つづく)