唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第三 心所相応門 (1)

2015-08-23 22:44:18 | 初能変 第三 心所相応門


『成唯識論』巻第三
 本科段より、巻第三にはいります。『述記』では、第三末・初右。大正43・328a16~。
 「成唯識論述記卷第三末基撰論第三卷若解本識十門義中。上來合二段已解五門訖 自下第三辨第六義心所相應門於中有五。一問起論端。二擧頌正答。三釋常字顯五相應所在位次。四別釋五所體性・作用。五釋頌中相應之義 或分爲二。一問。二答 答中有二。初擧頌。後廣釋廣釋中有三。初釋常字・五相應位。二別解五所。三解相應義。」よりはじまります。 
 (「若し本識を解する十門の義あるが中に、上来は合して二段を以て已に五門を解し訖んね。自下は第三に第六義の心所相応門を弁ぜん。中に於いて五有り。一に論端を問起し、二に頌を挙げて正しく答し、三に常の字を釈して五と相応する所在の位次を顕し、四に別して五数が心所の体性と作用とを釈し、五に頌の中の相応の義を釈す。或は分って二とす、一に問。二に答。答えの中に似有り、初に頌を挙げて後に広く釈す。広く釈すが中に三有り、初に常の字を釈して五が相応の位を云い、二に別して五の所を解す。三に相応の義を解す。」)
 初めに科段が示され、全体的な釈文の傾向が明らかにされています。

 「此の識は幾ばくかの心所と相応する。」(『論』第三初右)  
  「此れは初に問うなり」(『述記』第三末・初右)

 心所 - 正しくは心所有法(しんしょほう)。心の中心体である心王(八種類)に付属して働く細かい心作用のこと。『倶舎論』では、大地法・大善地法・大煩悩地法・大不善地法・小煩悩地法の五種類に分離されていますが、唯識は、さらに細かく、六位五十一の心所を挙げています。即ち、遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定の六種に分類しています。
 初能変の識を、第八識
 第二能変の識を、第七末那識
 第三能変の識を、前六識
 これが心王です。この八つの識の具体相が心所になるわけです。心王はある意味抽象的です。理論的に捉えて、第八識は五遍行と相応す、というのは他の心所とは相応しないということが具体相なんですね。心が動いていく具体相が善であり、煩悩であり、随煩悩であるわけで、その心所に五十一数えられています。
 この心所は三能変に付属して存在しますが、どの識がどの心所と相応して働くのかは異なります。第八識の場合は、五遍行と相応するわけですが、ただし捨受のみである。(五遍行と相応して働くのですが、対象をそのまま受け止める、苦もなく、楽もなく、憂いもなく、喜びもない、あるがままをあるがままに受けとめているのが第八識の特徴です。)

 「常に触(そく)・作意(さい)・受(じゅ)・想(そう)・思(し)と相応す。」(『論』第三・初右)
 
 遍行とは、触(そく)・作意(さい)・受(じゅ)・想(そう)・思(し)の五つです。第八阿頼耶識はが動くときには、必ずこの五つと倶に動いているのですね。
 遍行とは、どのような認識にも働く基本的なもので五つあります。
  触- 心を認識対象に触れしめる心作用で、「三和(根・境・識)して変異を分別(ぶんべつ)するぞ。心心所を境に触れしむるを以て性と為し、受・想・思の所依たるを業と為す」心所である。
  作意 - 心を始動せしめて対象に向けしめる心作用で、「能く心を警するを以て性と為し、所縁の境の於(うえ)に心を引くを以て業と為す」心所である。
  受 - 感受作用、「順と違と倶非との境の相を領納(りょうのう)するを以て性と為し、愛を起こすを以て業と為す」心所である。
  想 - 対象が何であるかと知る知覚する心作用で、「境のうえに像を取るを以て性と為し、種々の名言(みょうごん)を施設するを以て業と為す」心所である。
  思 - 認識対象に具体的に働きかける意思決定の心作用で、「心を造作せしむるを以て性と為し、善品等のうえに心を役するを以て業と為す」心所である。