唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 ・善の心所 信について (9) 信の作用 (7)

2013-05-09 22:19:29 | 心の構造について

 外の問いと、護法の答え

 信の自性について

 「忍と云うは、謂く勝解ぞ、此れ即ち信が因なり。楽欲と云うは、謂く欲は即ち是れ信が果なり、礭(確・まこと)に此の信を陳ぶれば、自相是れ何なるものぞ。」(『論』第六・初左)

 忍とは、つまり勝解のことである。これは即ち信の因である。楽欲とは、つまり欲の心所であり、これは信の果である。まことに、この信を述べるならば、その自相はいかなるものであろうか。

 信の本質的な作用が問われています。忍は認可であり、境を忍可するから勝解であり、これは信の因であり、楽欲(欲求)は欲の心所であり、境を楽希するので、信の果である。信の因と信の果を確かめて、何が信の自相であるのか、改めて問われています。

 「論。忍謂勝解至自相是何 述曰。此外問也。前言忍者即謂勝解。忍可境故。即是此信同時之因。下言樂・欲並是欲數。樂希境故。即是同時信所生果。此中何者是信自相。確實論其自相是何。確者實也。或忍・樂・欲。異時因果。理無遮也 下論主答彼。因解心淨。」(『述記』第六本下・四左。大正43・434b)

 (「述して曰く。此れ外の問いなり。前に忍と言うは、即ち謂く勝解なり。境を忍可するが故に。即ち是れ此の信の同時の因なり。下に楽欲と言うは、並びに是れ欲数なり。境を楽希するが故に。即ち是れ同時の信が所生の果なり。此の中何れが是れ信の自相なるや。礭実に其の自相を論ぜば、是れ何ぞ。礭とは実なり。或は忍楽欲するは異時の因果とするも、理として遮することなし。
 下は論主が彼に答う。因て心浄を解す。」)

 忍楽欲とは、忍と楽と欲。信の心所の三つの構成要素で、「心を浄ならしむるを性と為す」といわれ、信は「心を浄らかにすること」が信の自相であるとされます。