唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 ・善の心所 信について (3) 信の作用 (1)

2013-05-02 23:50:17 | 心の構造について

 信の心所の業用を明かす。

 「不信を対治し、善を楽うを以て業と為す。」(『論』第六・初右)

 信の働きである業用(作用)は、不信を対治し、善を楽うことを以て、業とする心所である。信が因と為り、①不信を対治すること。②善を楽うという業が果と為る。信が能対治、不信が所対治という関係になり、信には必ず不信を対治するという作用が働くということです。

 「論。對治不信樂善爲業 述曰。此明業用。顯揚説有五業。然治不信。初與此同。此言樂善。即彼四種。能得菩提資糧滿故。利益自他故。趣善道。増長信。即是論中堅固信也。對法論説。樂欲所依爲業。即是彼第九云。信爲欲依。約入佛法初首爲論。若言通論一切信業。顯揚五業中。除第二菩提因」(『述記』第六本下・二左。大正43・434a)

 (「述して曰く。此は業用を明かす。顕揚に五業有りと説く。①然るに不信を治するというは初なり。此と同なり。此に楽善と言うは即ち彼の四種なり。②能く菩提を得る。資糧満つるが故に、③自他を利益するが故に、④善道に趣く、⑤信を増長す。即ち是れ論の中の堅固の信なり。
 対法論に説く。楽欲の所依たるを業と為すと云へり。即ち是れ彼の第九に云く、信を欲の依と為すと云へり。仏法に入る初首たるに約して論を為す。若し通じて一切の信の業を論ずることを言はば、顕揚の五業の中に第二の菩提の因を除く。」)

 『顕揚聖教論』巻第一(大正31・481b)に、信の業用に五業有ることを挙げている。『論』の前半の文である、「対治不信」が、『顕揚論』に挙げられている信の業用の第一に同じであるという、「不信を治するというは初なり。此と同なり」と。そして後半の「楽善」が『顕揚論』の第二から第五の四種にあたるといっています。第五の「信を増長す」とは、浄信を増長させるという意味ですが、堅固の信であると注意しています。堅固の信は「仏法に入る初首たるに約して」という。即ち、資糧位の初発心住の信とされます。