蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

キアズマ

2013年09月07日 | 本の感想
キアズマ(近藤史恵 新潮社)

ロードレースとは縁もゆかりもなかった主人公(岸田)は、ちょっとしたきっかけから入学したばかりの大学の自転車部へ入ることになる。
その部のエースは櫻井という1年上の上級生だが、もともと柔道で鍛えていた主人公はみるみるうちに頭角をあらわし、レースで櫻井を上回る成績をあげる。しかし、主人公には、柔道をしていた時代に同級生が負傷してしまったことに責任を感じているというトラウマがあって・・・という話。

チームオッジを中心としたプロチームの話の続編だと思って読みだしたら、全く違う話でとまどった(ちょっとだけオッジのメンバーが登場する場面もある)。また、これまでのシリーズでは多少なりともあったミステリ的要素は全くなくなった。

ストーリー展開がやや安易な感じもしたが、主人公が過去の嫌な思い出からロードレースを止めたいと言いだすが、櫻井のレースへの情熱に影響されて考え直して再び自転車に取り組むことにしたあたりは、爽やかな感じで良かった。

どう見ても続編がありそうな終わり方なのだが、次はプロになった岸田の話がいいかな。
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夢売るふたり

2013年09月07日 | 映画の感想
夢売るふたり

居酒屋を経営していた主人公(阿部サダヲ)は、営業中の不注意から火事を起こし、店を失ってしまう。
自暴自棄になって店の常連客とことに及ぶ。常連客は、ちょうど不倫中の上司が死んで手切れ金を渡されたところで、もらいたくもない金だからと、主人公に店の再建のために使ってくれと差し出す。これをきっかけにして、主人公の妻(松たか子)は、結婚詐欺で開業資金を蓄えることを思い付き、カモを探しては、主人公を接近させる・・・という話。

詐欺がうまくいきすぎて、主人公がカモに同情し罪悪感を持つようになり、そうこうするうちに正体がバレて・・・という展開は、ややありきたりで、結末もまとめすぎのような気がした。
「ゆれる」とか「ディアドクター」のような、映画全体に漂う緊迫感みたいなものがなかったのが残念。

阿部さんは、役者らしい演技で、素人目にはうまいなあ、と思えるけれど、達者すぎてちょっとイヤミかも、とも感じてしまった。
対照的に最後の方にちょこっと探偵役で登場する鶴瓶さんは、いつもTVで見る鶴瓶さんで演技しているように見えないのに、なぜか、とてもリアルな探偵に見えてしまうのが不思議。
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桐島、部活やめるってよ(映画)

2013年09月04日 | 映画の感想
桐島、部活やめるってよ(映画)

高校2年生の桐島はバレー部の中心的メンバーで、(おそらく)容姿がよくて勉強もできる。学校でトップクラスの美人が彼女で、彼を取り巻く“帰宅部”のメンバーもイケメン揃い。つまり流行りの言葉でいうと学校カーストのバラモンみたいなもの。彼らの中心である桐島が、突然、バレー部をやめると言い出したことが学校中に静かな波紋を広げる・・・という話。

バラモン組に対して不可触民階級の代表として、映画部の前田(神木隆之介)が登場する。
前田はゾンビ映画のフリークで、顧問の反対を無視して新作はゾンビ映画に決定し撮影を始める。彼ら下層階級にとっては桐島がいようがいまいが関係ない。

一方、“帰宅部”の一人、菊池(東出昌大)は、野球部の幽霊部員。
センスは抜群なので、練習には来なくても先輩が「試合にでないか」なんて言ってくる。しかし、野球に打ち込む気持ちにはなれなくて、彼女はいるけど主体的に?好きというわけではなくて、モラトリアム(古いな。今風だと、自分探し中?これももう死語?)の中にあって、情熱を傾けるものを探しだせないでいる。

桐島が部活をやめるということは、彼と同じような立場になるわけで、一見、喜んでもよさそうなものだけど、菊池は、その噂を聞いて、野球をやりたい気持ちがある(ので野球バックを持ち歩いている)自分に改めて気づいてかすかに動揺する。

菊池をさらに揺さぶったのは、たいしてうまくもない(と思われる)3年生の野球部の先輩が「ドラフトまでは」といって野球部の練習を続けていることだった(もちろん、先輩はドラフトとは縁のないレベルの選手)。

さらに、桐島をめぐる騒動に巻き込まれてゾンビ映画の撮影を邪魔された前田に対して、菊池が「映画監督になるの?」みたいなことをきいた時、前田は「監督になれるわけない、でも、マネゴトでも映画を撮っていると本当の監督みたいな感覚になれる時がまれに訪れる、それがいい」みたいなことを言い、それを聞いた菊池はさらに衝撃を受ける。
下層階級だと見下していた前田の方が、実は自分の人生のコアみたいなものをすでに掴んでいることにショックを受けたのだ。

映画は、菊池が野球部の練習を眺めながら、結局、一度も登場しなかった桐島に電話をかけるシーンで終わる。

原作は読んでいないし、映画も1回みたきりなので、以下は私の手前勝手な解釈にすぎない。

映画のポスターは神木さんのアップだし、エンディングロールの最初に出てくる名前も彼なのだが、映画のストーリーとしての主人公は、菊池だと思う。ゾンビ映画に打ち込む前田をかなりの時間をとって描いて、最後も前田が勝者であるかのような扱いをしているのは、単に監督の趣味かと思えた。(学校カーストの逆転をテーマにしているという向きもあるけど、そうじゃないと思った)

前田が言いたかったこと(そしてこの映画が言いたかったこと)は、生きがいとか、やりがいとか、(自分探しという場合の)“自分”とかいったものは、しょせん自己満足でしかありえない。しかし、自己満足できることこそが人生の真実だ、お前は自己満足もできていないだろう、ということだと思う。

DVDを借りてきて、返却期限が迫ったので慌てて見た。最初の30分くらいはつまらなくて、いわゆる学校カーストみたいな話なんだろうなあ、イマイチだな、見るのやめようかな、なんて感じだったのだが、ゾンビ映画の撮影にはいるあたりから、俄然面白くなってきて、菊池が何度かショックを受ける場面では、映画のテーマ、監督や脚本の主張が、ど真ん中160キロのストレートが投げ込まれたように伝わってきて感動した。しばらく映画からは感じられなかったほどの強さで。

***

良い映画を見られたので、早速感想を書いておかなくちゃ、とこの映画のことを調べているうちにわかったのは、原作者が私と同じ高校の出身だということ。

この高校は、映画のような都会的な環境ではなくて、田んぼの真ん中にポツンとある学校なのだけれど、思い起こしてみれば、そんなド田舎の学校でさえ、私が通っていた頃(もう30年以上前だが)でさえ、この映画と同じように生徒間には画然とした階級が存在していた。
運動部のスター数人には美人の彼女がいて、その彼女たちは、放課後、体育館の裏手あたりで、彼の練習が終わるのを手持ち無沙汰で待っていた(おお、全く映画と同じだ)。
そんなバラモンたちとは無縁の下層階級の私は、新聞部(映画部みたいな、下層階級にふさわしい部活ですな)で、なかなか原稿をくれない先生の代筆をしたり、刷り上がった直後に誤字を見つけてガックリしていたりした。

だから、学校(学級)カーストなんて、別に最近急にできたもんじゃなくて、学校というものが出来た時にはきっとすでに存在していたものだと思う。
(ただ、繰り返して言うけれど、この映画のテーマは、学校カーストとその逆転、なんてものじゃない)
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