蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

死体埋め部の悔恨と青春

2019年09月23日 | 本の感想
死体埋め部の悔恨と青春(斜線堂有紀 ポルタ文庫)

大学からの帰り道、暴漢に襲われた祝部(ほふりべ)は、反撃するうち相手を殺してしまう。通りかかった大学の先輩:織賀(おりが)が死体を処分してくれるという。織賀は死体遺棄の依頼を受けて山に埋めることを商売にしており、二人はジャガーに乗って死体を埋めにいくが、もともと織賀が運んでいた死体には奇妙な特徴があった・・・という話。

ポルタ文庫はラノベがジャンルみたいだし、死体埋め部という設定からしてコミカルな筋のミステリなのかな、と思っていたら、哲学的ともいえる思索を含むハードな作品だった。

死体の手の指が骨折していた理由、死体が持っていた荷物に辞書がたくさん詰め込まれていた理由、若い女性の死体がスクール水着を着ていた理由、を推理する短編の連作形式なのだけど、はっきり言ってどれも理由付けが苦しすぎるし、推理する手がかりも少なくて、強引なイメージだ。

しかしながら、ミステリとしての本書のツボは、そういう部分ではなくて、祝部と織賀、死体埋めという秘密を共有する二人の友情にも似た関係性にある。

織賀は貧しい家庭に育ち、借金の肩代わりに死体遺棄の商売を強要される。そうした厳しい生い立ちの彼には心を許せる肉親も友人もいなかった。妙な縁で知り合った後輩の祝部とはそうした関係になれそうだったのだが、祝部にとっては、なりゆきのまま死体遺棄の商売を続けていくことは難しかった。(以下、引用)

***
「祝部の推理なんか結局のところ織賀に承認されなくちゃ意味がない。ここから先は織賀善一の領分である。・・・・否定してくれたらそれでよかった。だって、その言葉でどれだけ救われるだろう。これは祝部にとっての最後の取引でもあった。彼の出来る唯一の茶番だ。共犯者になりたかった。何食わぬ顔で否定してくれるなら、全てに見て見ぬ振りをして、一緒にいようと決めていた。聡い彼は、そのことすら見透かしているだろう。自分の言葉一つで、祝部が地獄までついてくることを知っている」

「何となく直感する。思い上がる。たとえば移川美加の事件が先に起きていたとしても、織賀善一は彼女を仲間に引き入れようとはしなかっただろう。何せ、織賀と祝部は恐ろしいほどに相性がいいのだ。理屈じゃない何かがそこにあったから、織賀の方もうっかり手を伸ばしてしまったのだろう。欲しかったものがそこにあるのに、手を伸ばさないのは怠慢だ。そんなことを考えたのかもしれない」
***

奇妙なキャラクターながら相性抜群だった二人の関係が崩壊に至らざるを得なかった理由、それが本書のコア部分で、ここはミステリとして十分に魅力的で、かつ、説得性もあった。

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