蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

つぶさにミルフィーユ

2018年02月10日 | 本の感想
つぶさにミルフィーユ(森博嗣 講談社文庫)

エッセイを読むとき、多くの人は、著者が事実(あるいは体験)に基づいて書いていると思っているのではないだろうか。
一般の人が事実と異なる内容あるいは自身が体験したことがないことを、いかにも自分がやったように書いて発表したとしたら、非難されそうだ。
しかし、作家のエッセイの場合はどうだろうか。
全てつくりごとだとして、それが明らかになったとしても
「いや、エッセイのフリしてますけど、これは作品(小説)なんですよ」
と言われたらおしまいだろう。
新聞や雑誌の連載あるいは単行本に「このエッセイは事実(体験)に基づいています」とか、あるいはその反対のことわりがきが付いていることは、まず、なさそうだ。

森さんのエッセイを数多く(というか出版されているものはほとんど)読んできて、あまりにも世間的な常識からかけ離れている考え方や生き方が書いてあると
「どうもこの部分はつくりごとじゃあなかろうか?」
と思うことが時々ある。
「さあ、どこが事実でどこがそうじゃないでしょうか?よく読めばわかりますよ」
なんて仕掛けだったらとても楽しそうだが。

例えば、著者はしばしば転居していて、現在は寒冷地の田舎に住んでいるようなのだが、これがまるっきりウソで、実は昔ながらに名古屋の近くに住んでいたりしたら「だまされた~」なんて感じでけっこう面白い。(怒っちゃう人もいそうだが)

著者は一日一食しかとらない、というのは昔のエッセイにはよく出てきたが、本書によると今は(あるいは昔からずっと?)そうではないらしい。
庭園鉄道はおびただしい動画が公開されているので、ホントにありそう。
トーマとかシェルティも実は飼ったことがない(もしくは犬種が違う)とか?
頻出する奥様のキャラ(イラストレータ、ラノベが大好き、料理上手)もまるっきり作りごとだったりして。

さて、本書でも最も印象に残ったのは、脳梗塞?の疑いで何十年ぶりかで病院に行った経緯を書いたものだった。その後、毎日4回欠かさず血圧を測定して持っていったら医者がびっくりしたなんてエピソードがいかにも著者らしい。
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マンチェスター・バイ・ザ・シー

2018年02月10日 | 映画の感想
マンチェスター・バイ・ザ・シー

主人公のリーはボストンでアパートの管理人(というより配管等の修理をする便利屋)をしていたが、人付き合いは苦手ですぐに殴り合いになってしまったりする。
リーの兄が病気で死亡し、故郷(マンチェスター・バイ・ザ・シーというのは故郷の地名)に戻ると、兄は残された子(ジョー)の後見人としてりーを指名していた。
リーには、マンチェスターで暮らすことが難しい理由があり、ジョーを連れてボストンに戻ろうとするが、ジョーはそれを拒否する・・・という話。

カットバックが繰り返されて、リーが故郷に戻りたくない理由が説明されるのだが、その理由というのが非常に衝撃的で、誰もが「それじゃあ戻りたくないわな」と納得できるような内容で、そこが明かされるシーンがこの映画のクライマックス。

そういう事件が起きる前の、リーが幸せだった頃のシーンがもうちょっと多くてもいいかな?と思えたが、自分の殻に閉じこもってひたすらヒマつぶしだけをするような人生を送っているリーに十分共感できて、ジョーとのかかわりの中で少しずつ殻から出てこようとしている姿に希望を感じることができた。

リーがジョーの女友達の家に無理やり連れて行かれ、友達の母と二人で会話するシーンがあるのだが、リーがあまりに無口で気まずい雰囲気になり母親の方が耐えきれなくなるというシーンがあって、まるで自分の姿(リーに似ているという意味で)を見ているようで笑えた。
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