老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

代表・総裁選挙戦のマスコミ報道

2012-09-26 20:29:03 | マスコミ報道
国民の代表によって構成される国会の勢力一位と二位の政党が、同時期に代表・総裁の任期満了を迎え、何れも選挙戦となった。

社会の公器などという抑制の効いた言葉は過去のもの、今は社会の尖兵なりとばかりのマスコミ界は、挙って提灯持ちよろしく、表やら裏やらと盛り上げに奮闘した。

だが待てよ、である。この両党の「選挙戦」、全く様相が違う(違った)。政権与党は再選を期す代表との「政策の違い」を鮮明にした。野党第一党は、現職総裁を出馬不能に追い込んだ挙句、候補者5人が同じ台本を手にして、同体振りを触れて回った。マスコミもその報道に総力を上げたに違いない。

しかし、ことは総裁・代表の選挙である。総裁・代表とは、一にも二にも、集うた同志をまとめて「力」を最高に発揮する為のまとめ役・引率役なのではないのか。競うのは、そのための力量・信望であり、ここまでは専ら内向きの事柄である。報道は、その結果とその結果を受けてのその集団の先行きを論じれば足る。

代表選挙で路線の違いを語るのであれば、先ずは「集団の内」において行動し、敗れればその外に身を置くべきものであろう。だから、代表選挙の場に臨むこともありえぬ。もってのほかのことと言うしかない。

そのような視点は、一毛ほどもないらしい。時を同じくして第三党の代表も無競争で重任したが、抱負の紹介もなくほんの数行の記事で終っている。

許せないのは、「皆様の~」を身上とする「本家・公共放送様」。民放なら「スポンサー企業の商品等々の日常からの追放」で、ささやかな「抗議」も可能だが、「本家様」にはそれも叶わぬ。「社会の公器」。郷愁と共にこの言葉も消え去って行くのだろうか。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
百山

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