老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

死刑廃止への布石

2008-06-13 21:56:37 | 社会問題
私が学生だった35年前から死刑廃止への提言が学会などでは多数になり現在も多数である、もちろん国民世論は異なるであろう。

ところが、最近の事件、たとえば秋葉原無差別殺人などが頻発している日本社会では、死刑相当の事件が多数になってきており、死刑廃止への道程は遠のいた観がある。

こうした社会の動きに敏感に反応しカメレオンのように態度を変えることは問題であるが、死刑廃止を観念的に提唱しても説得力に欠けることも否めない。

死刑廃止を提言するならば、同時に他の制度も整備する必要があるであろう。刑務所での態度が良好ならば早く仮出所できるという便法があり、実際刑務官に受けがよい要領を発揮する人物は、犯行が重いものでも早く出られるのである。彼が社会復帰して二度と犯罪を行わないという保障はない。

こうした事情からも日本の刑事政策は死刑廃止を単純に叫ぶだけででは問題が解決しない事情は多数あろう。そこから終身刑の制度をおくべきとの意見も出てくる。

また、刑事政策にも限界があり、受刑者の復帰後の生活をどう保障するのか、また、秋葉原の事件を未然に防止するのに、警察的な発想で「掲示板で予告していたので防止できたはずだ」というマスコミの多数意見はまったく問題を外している。犯罪の防止には犯罪に走らないような社会的な環境が重要である。

刑事政策を有効にするには、社会環境の整備が必要不可欠であり、派遣労働や非正規社員が多数を占める今の日本で犯罪が多発しない方がおかしいとも言える。ちなみにアメリカでは差別されている黒人層の大半(4人に1人だったか)が失業しているという状況があり、仕事のないこれらの人々が犯罪に駆り立てられているのである。

「社会政策こそ刑事政策の最良の方法だ」という格言は35年前から言われていたことである。こうした社会環境の整備もないところで死刑廃止論を観念的に叫んでも、説得力が乏しいことは明らかなのではないだろうか。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
名無しの探偵
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NHK番組改変損害賠償裁判の行方

2008-06-13 10:09:03 | 社会問題
12日最高裁で表題の裁判の判決が下された。先に下記の記事で朝日新聞が予想したとおりNHKの逆転勝訴の判決であった。

http://www.asahi.com/national/update/0424/TKY200804240096.html
「最高裁が結論の見直しに必要な弁論を開いたことで、NHK側に有利な方向で二審判決が見直される可能性がある」

この判決に対する12日の朝日と日経の記事を対比してみると

http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120208.html
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080612AT1G1201W12062008.html

朝日の記事は事実経過のみで意外にも最高裁の判決理由には全く触れていない。明日(13日)の朝刊に期待しよう。一方、日経は最高裁の判決理由について『同小法廷は放送局側の「報道の自由」を重視し、市民団体の期待権を認めなかった。』と核心を捉えた記事である。

しかし、本当に最高裁が「報道の自由」を重視する、と言ったのであれば「真の報道の自由」を逆手にとった「こじつけの報道の自由」と言えないだろうか。今回の番組の改編はそもそも自民党議員がNHKへ接触し、その結果生じたものである。それを「報道の自由」というのであれば、報道の自由の異様な拡大解釈であり、本末転倒と言わざるを得ない。

今回最高裁がNHKに求めねばならないのは、本来の報道の自由(憲法21条*)であり、自民党議員の接触をはね除け、誰からも干渉されずに、当初の予定どおりの内容で報道すること、そして放送法で規定されている不偏不党のはずである。

*憲法21条:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。②検閲はこれをしてはならない、通信の秘密は、これを侵してはならない。

今回のような不当な判決をされると、やはり最高裁の裁判官は政治・行政絡みの事件では頼みにならない(不公正)との印象を拭えない。度々述べているように、最高裁の裁判官は憲法79条で「内閣でこれを任命する」と規定され、最高裁長官は憲法6条で「内閣が指名し、天皇が任命する」と規定されている。内閣がどのような人物を指名し任命するか、言わずもがなであり、これでは憲法76条3項「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される」の規定もなきに等しいと再認識せざるを得ない。

その上今回の事案は、首相になる前の自民党安倍晋三氏と中川昭一氏がNHKに接触していたことは当時報道されていたとおりであり、そして安倍氏は首相になってからNHKを意のままにしようとして、意中の古森氏をNHKの経営委員長に抜擢し、氏は放送法の不偏不党に抵触する発言を繰り返していることは周知の通りである。更に古森氏は同郷の福地氏をNHK会長に抜擢したのである。

このように最高裁判所の裁判官人事と政府与党とNHKのしがらみを合わせ見れば、誰が見ても今回の判決は予想されたものではあるまいか。要は最高裁は番組の改編に政治家が関与したことまでは踏み込まず、単なる番組の改編に対する取材協力者の損害賠償請求の民事事件と位置付け、それを憲法の「報道の自由」で逆手に取って、本来の報道の自由をねじ曲げ、二審の勝訴判決を破棄したような印象である。こんなことなら協力者もNHKの取材に応じる前に「完成した番組を勝手に改編しない」との念書を交わしておくべきであったと悔やまれる。念書さえあれば逆転敗訴とならず、200万年の損害賠償をNHKは支払わなくてはならなかったのではなかろうか。一般国民にとって最高裁は外国のリングで試合するようなものだ。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年

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