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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「屍者の帝国」(著:伊藤 計劃×円城 塔)

2013-02-04 23:37:20 | 【書物】1点集中型
 これが出るのを待った。待ちわびましたよ――。
 伊藤氏の筆になるプロローグは既に「The Indifference Engine」にて読み込み済み。ということで、私自身、伊藤氏の「盟友」円城氏の作品も(まだ2つ3つしか読んでないけど)雰囲気が好きだし、でも明らかに伊藤作品とは毛色が違うし、だから円城氏がどう物語を綴っていくのか、興味と期待が相当に膨らんでいたのであった。
 でもまずは図書館で借りちゃったんだけど。すみません。(汗)

 フランケンシュタイン氏のクリーチャに倣い、死者を一種のロボット的に甦らせた「屍者」を労働に使役することが一般化された世界にあって、物語の主人公が「あの」ジョン・ワトソン医師(劇中ではまだ学生だが)で、「あの」ヴァン・ヘルシングを通じて「あの」ウォルシンガム機関にスカウトされちゃって……って、プロローグで基本設定を覗いただけでもう相当に楽しい。
 さらに、円城氏の展開する本編に入ったら入ったで、「あの」Mが「あの」マイクロフト・ホームズで、ワトソンが最初に追うことになる相手が「あの」アレクセイ・カラマーゾフで、屍者の製造に関するいわゆるフランケンシュタイン三原則の修正版は、「あの」ロボット三原則の「人間」を「生者」に、「ロボット」を「屍者」に置き換えたもので……と、個人的に好きな要素が山のように散りばめられているだけでテンションが上がって仕方なかった(笑)。「カラマーゾフの兄弟」も未完だしね。パスティーシュとはいえ、「第二部」にこんな形で触れられるとは、嬉しい誤算。
 ついでに言えば「屍者」を動かす「機関(エンジン)」やら、蒸気機関のイメージやらがあの「ディファレンス・エンジン」も彷彿とさせる。そもそも、もろイギリスの物語だということもあるが。全体として、歴史改変ものでありつつ、いろんな名作のパスティーシュでもありつつ、といったところか。

 謎解きの要素もあり、バトルっぽいシーンなんかもありつつも、それでも全体的には地に足が着いた印象。ところどころに言葉遊びっぽいエッセンスが見えたりもしたので、そういうところにも円城氏の雰囲気は感じた。あと「物語」という言葉にも。
 伊藤氏の文体もエレガントというか知的で落ち着いてるけど、こちらは比較的理詰めの印象。円城氏の場合は空気感がかなり独特で、ひとつひとつの文は理解しやすいけど、気がついたらなんだか掴みどころのない空間に放り出されるような文体。どちらかというと円城作品はストーリーの起伏よりも雰囲気を楽しむ感じで、伊藤作品はがっちりしたストーリーからテーマをくっきり浮かび上がらせるイメージ。あらためて思い起こしてみると、個人的な印象としてはそんな感じ。
 そんな感じで、過去に読んだ両者の作品をなんとなく思い浮かべつつ、各々に対する自分の印象を思い出しながら読み進めるのも、共著作品ならではの楽しみ方かも。まあ、読者の自己満足ではあるが(笑)。

 結局、読んでる間はどこまで伊藤氏がプロットを組んでいたのかも知らなかったけど、「魂とは」という問いには、「ハーモニー」でミァハが目指した世界も思い出された。
 「死」があるから「生」がある。死のない生は、もはや生ではない。だから「死んでいない=生」ではない。"死を上書き"された生者が、もはや屍者としか呼ばれないように。「ザ・ワン」に「チャールズ・ダーウィン」の名が与えられていたことも、アリョーシャの言う死と進化の関係を暗示するものであるかのように。

 言葉が人を、他の存在とは違う個人たらしめるのならば、個を示す究極のあり方であるのであろう魂もまた、言葉で成り立つ。人間の裡に潜む多種多様な「言葉」を同じ方向に向けさせることができるとしたら、個は消滅する。そうすれば魂すら、個を示すものではなくなる。すべての人間が、彼以外の人間と同じ魂を持つのなら。
 「人間という種が全て、上書きによる屍者となった場合に何が問題となるのか」。ミァハを、ジョン・ポールを、円城氏が思い浮かべたかどうかはわからない。しかしそれでも、ザ・ワンのその言葉はやはり、伊藤計劃が紡いだ物語を想起させずにはおかないのである。<わたしは誰だ>という、ワトソンの問いとともに。

 そしてなんといっても最後の最後、フライデーのモノローグである。まさに「息が止まるような感動」というか……あれは円城氏の、あるいは私のような伊藤計劃作品愛読者の、彼への想いを代弁しているように思えてならなかった。そして、そう思わせる円城氏の技倆の素晴らしさに感服するほかなかった。
 書き手と読み手がフライデーなら、物語の導き手はワトソンだ。その傍らにあって記した物語に息づくワトソンの魂に、フライデーが伝える言葉はひとつだけ。

 「異なる言葉の地平」にあるワトソンが、彼の残した物語が世にもたらしたものを知ってくれたらいいと思う。彼の言葉が語り継がれ、姿を変え、次の世に生き続けていくさまを伝えられたらと思う。そう願うフライデーであり続ける限り、フライデーの記したワトソンはこの世にあり続けるはずである。
 実際、読み終えてから「あとがきに代えて」を見つけて、感じたことを裏付けしてもらったような気になれたのがまた妙に嬉しくって(笑)。それと、円城氏のインタビューも。あっさりしてるように見えてちゃんと繋がってる作家同士、って感じで良かった。ちょっとほのぼのした。

 まあ、読むこっちのちょっと思い入れが強すぎて、なんだかもう読んだだけですごい達成感でいっぱいになっちゃってるのが我ながらアレなんだけど(笑)。とにかく早く文庫にならないかなぁ。そしたらちゃんと買って手許に置いときます。本棚のキャパが少ないのでハードカバーをほいほい買えないんだよー(笑)