何なんですかNHKは昨日といい今日といい、近鉄ウィークですか? とか意味不明に呟きつつ拝見しました。もちろんあくまで盛田その人の話なのであって、別に近鉄色が強い構成ではなかったんですけど(笑)。
まあ当然それを期待していたわけではないので、それはそれで全然構わなかったわけで。どっちかというと引退後は「横浜(大洋)の盛田」のイメージの方が強いし。いやそれもこの際どっちでもいい話なんだけど。
バブル世代そのものの横浜(大洋)時代を経て、何の因果か大阪までやってきて間もなくの盛田を襲った病魔。一時は「死ぬ薬を」とまで口にしたことがあったという闘病とリハビリ。他人には窺い知ることのできない、筆舌に尽くしがたいであろう心身の苦痛と苦悩を越えて踏んだマウンドを、あの時確か盛田は「投げただけ」と自ら評したように思います。
そしてその言葉を自身で証明するかのような見事なカムバックがありました。あの時盛田がいなければ、きっと近鉄は優勝していなかったでしょう。盛田-岡本-大塚の黄金リレー。今でも思い出しますよ、無死満塁で出てきてたった2球でスリーアウト獲った時のこと!
ただ今回、本当の話はここからだったのでした。
2005年、脳腫瘍再発。前回同様10時間にわたる手術で患部摘出。
さらに2007年、再々発。三たびの手術。
医師には、この病気は一生付き合っていかなければならないものであることを伝えられています。そして「まず50歳まで頑張ってみましょう」というような話もされているそうです。
幸い、今のところ異常はみられないようで何よりなのですがその反面、痙攣を抑制する薬を毎日3回欠かさず服用もしています。それは裏を返せば、そうでなければいつ何が起こるかわからないということでもある。
現在では3ヶ月に1回検診を受けているそうです。本当は半年に1回でいい検査だそうなのですが、自身の状態を常に把握しておくためにこのサイクルを盛田自身が希望しているとのこと。
病気があって、そしてカムバックしたから、今こうしてそれなりに仕事をさせてもらっている自分があるということを本人は自覚していて、そのことを「複雑(な気持ち)」とも言っていたし、でも「病気をしたことが良かったわけではないけど、平凡な人生よりは(いい、なのか面白い、なのかちょっと忘れてしまいましたが)」とも言っていて。
盛田が言わんとしていることはわかるような気がしました。客観的に見た時に、あのカムバックが評価に加味されていることもゼロだとは言い切れない。そして、こうして病気に向き合っているからこそ得られた心の強さ(って言葉は陳腐なんだけど)みたいなものも、感じてはいるんだろうなと。でもいつなんどき、また体が動かなくなるかもしれない、そんな思いを持ち続けながら今も日々を過ごしているのに、「病気のおかげ」なんて簡単に言えるわけがない。
実は弟さん(当時5歳)を小児ガンで亡くしている盛田。写真は今でも持ち歩いていて、奇しくも2回目以降の手術を受けて現在も通院しているのは弟さんが亡くなった病院なのだそうです。
気持ちの問題からか、親御さんは他の病院を勧めることもあったそうですが、盛田自身は「弟を亡くした場所で、自分がリベンジする」という気持ちでいたと言います。
いろんな葛藤があるのだろうと思います。
でも、だから肝の据わり方は半端じゃない。時に歯に衣着せぬその解説が小気味良いのは、それがこちらに伝わってくるからかもしれません。
「人生50年」と聞いてまず思い浮かぶのはやはり、信長が好んだという「敦盛」の一節。
人間五十年。
でも盛田幸妃の人生は、夢でも幻でもない。病との闘いは他の誰のものでもなく、彼自身の現実です。
幼いころから「他の船に絶対負けるな」と教えられ、「絶対に負けないこと」を身上としてきた彼はまさに、「人生のマウンド」に今この時も立ち続けている。願わくば、どうか最後までその生を全うできる力の尽きぬことを。
余談ですが、解説の時は気づかなかったけど普通に話してる時の盛田は、少~しだけど浜言葉が残ってるんですね。なんとなく微笑ましかったです。←何故?
まあ当然それを期待していたわけではないので、それはそれで全然構わなかったわけで。どっちかというと引退後は「横浜(大洋)の盛田」のイメージの方が強いし。いやそれもこの際どっちでもいい話なんだけど。
バブル世代そのものの横浜(大洋)時代を経て、何の因果か大阪までやってきて間もなくの盛田を襲った病魔。一時は「死ぬ薬を」とまで口にしたことがあったという闘病とリハビリ。他人には窺い知ることのできない、筆舌に尽くしがたいであろう心身の苦痛と苦悩を越えて踏んだマウンドを、あの時確か盛田は「投げただけ」と自ら評したように思います。
そしてその言葉を自身で証明するかのような見事なカムバックがありました。あの時盛田がいなければ、きっと近鉄は優勝していなかったでしょう。盛田-岡本-大塚の黄金リレー。今でも思い出しますよ、無死満塁で出てきてたった2球でスリーアウト獲った時のこと!
ただ今回、本当の話はここからだったのでした。
2005年、脳腫瘍再発。前回同様10時間にわたる手術で患部摘出。
さらに2007年、再々発。三たびの手術。
医師には、この病気は一生付き合っていかなければならないものであることを伝えられています。そして「まず50歳まで頑張ってみましょう」というような話もされているそうです。
幸い、今のところ異常はみられないようで何よりなのですがその反面、痙攣を抑制する薬を毎日3回欠かさず服用もしています。それは裏を返せば、そうでなければいつ何が起こるかわからないということでもある。
現在では3ヶ月に1回検診を受けているそうです。本当は半年に1回でいい検査だそうなのですが、自身の状態を常に把握しておくためにこのサイクルを盛田自身が希望しているとのこと。
病気があって、そしてカムバックしたから、今こうしてそれなりに仕事をさせてもらっている自分があるということを本人は自覚していて、そのことを「複雑(な気持ち)」とも言っていたし、でも「病気をしたことが良かったわけではないけど、平凡な人生よりは(いい、なのか面白い、なのかちょっと忘れてしまいましたが)」とも言っていて。
盛田が言わんとしていることはわかるような気がしました。客観的に見た時に、あのカムバックが評価に加味されていることもゼロだとは言い切れない。そして、こうして病気に向き合っているからこそ得られた心の強さ(って言葉は陳腐なんだけど)みたいなものも、感じてはいるんだろうなと。でもいつなんどき、また体が動かなくなるかもしれない、そんな思いを持ち続けながら今も日々を過ごしているのに、「病気のおかげ」なんて簡単に言えるわけがない。
実は弟さん(当時5歳)を小児ガンで亡くしている盛田。写真は今でも持ち歩いていて、奇しくも2回目以降の手術を受けて現在も通院しているのは弟さんが亡くなった病院なのだそうです。
気持ちの問題からか、親御さんは他の病院を勧めることもあったそうですが、盛田自身は「弟を亡くした場所で、自分がリベンジする」という気持ちでいたと言います。
いろんな葛藤があるのだろうと思います。
でも、だから肝の据わり方は半端じゃない。時に歯に衣着せぬその解説が小気味良いのは、それがこちらに伝わってくるからかもしれません。
「人生50年」と聞いてまず思い浮かぶのはやはり、信長が好んだという「敦盛」の一節。
人間五十年。
でも盛田幸妃の人生は、夢でも幻でもない。病との闘いは他の誰のものでもなく、彼自身の現実です。
幼いころから「他の船に絶対負けるな」と教えられ、「絶対に負けないこと」を身上としてきた彼はまさに、「人生のマウンド」に今この時も立ち続けている。願わくば、どうか最後までその生を全うできる力の尽きぬことを。
余談ですが、解説の時は気づかなかったけど普通に話してる時の盛田は、少~しだけど浜言葉が残ってるんですね。なんとなく微笑ましかったです。←何故?
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