デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




火床にて町の灯が徐々に点いていく様子は何度も見ているはずなのだが、ついつい画像に残してしまいたくなる。











夕陽の沈む位置が南西になっているなぁ



この時が18:00前


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早めに登れても当たり前のように夕景が見れるようになった。もうしばらくしたら早い時間に登り始めようが登りの時点でライトを点灯しなければならないかもしれない。

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バチカンがシスティーナ礼拝堂の来場者数を制限へ、フレスコ画保護で(ロイター)

うーん、保護といわれれば仕方がないのかもしれないが、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」やジョットの壁画のあるスクロヴェーニ礼拝堂のように、事前予約が必要となるシステムになるとしたら面倒だろうなぁ…。「最後の晩餐」もスクロヴェーニ礼拝堂も鑑賞に時間制限があるのだが、システィーナ礼拝堂で時間制限を設けられるようになるとすれば観光客には酷であると思う。

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玄室の幅は約3.7m



(玄室の)高さは4.8m



(玄室の)長さは7.8m

古墳の内部に石棺や壁画などがありはしないかと期待していたのだが、なかったので少し残念に思った。

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パール・S・バック『大地』読了。

ずばり、大河小説の名作である。
作者の経歴でも察することができるが、彼女は相当、中国のことに通暁していたことは分かる。また作品で描かれている時代を生で見つめてきた人が書いた作品であることも分かる。
『大地』はそれ自身のオリジナリティを持つ叙事詩といえるし、ありとあらゆる小説の主だったあらすじを思い出せるような面を持っているようにも思う。とくに印象に残ったのは、それは古典として評価される要素、つまりはどこかで聞いたことのある話や日常で得れたり嫌でも付き纏う人生の経験則みたいなものが、王家の人々の生き方に写し出されているところである。おそらく作品から読者が感じるものを一言で言い表すとしたら、それは「血」であろう。この家族という木の根にしかと流れている血がもたらす運命の写実的かつ綿密に迫力のある表現を用いて、ここまで描ききっている作品は1931年以前の作品では個人的には覚えがない。
私の読んだ『大地』は新潮文庫の全4巻の分だが、その作品解説には1960年代後半の中国の研究者が人民軍を擁護する見地から、『大地』に「人民軍の功績」について書かれていないことを批判した「研究」の例が紹介されているが、改革開放後の現代中国では『大地』がいかに読まれ、どう解釈されるのか興味を覚える。"外国人"の方が中国の混迷期をいかにも中国っぽく描いているじゃないか、と思う人が案外少なくないのではないだろうか。

途中経過1
途中経過2
途中経過3

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石舞台古墳という名称がなければ
ただの人工的な石窟と思われるかもしれない(笑)









本格的な発掘調査が行われたのは
昭和8年と10年のことだという。


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石舞台古墳は中に入れる






天井まで大人の女性の身長2.5人分ぐらいだろうか


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石舞台古墳

奈良公園や法隆寺には行ったことあるものの、それ以外の有名な史跡や遺跡には行ったことがなかった。
しかし、石舞台古墳にはずっと憧れていて、いつかは足を運んでみたいと思っていた。





古墳の大きさについては横に写る子どもと
比較してみれば大体想像がつくように思う


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私の知る限り、幻の滝から頂上へ登れるルートは二つある。一つは火床に向かって途中から登りに入る少なくない人が知っているコース。もう一つが火床に向かう方と逆のルートで、道は分かるもののあまり人に知られていないちょっと険しいコース。後者のほうは一度教えてもらってからというもの、いつかは一人で行きたいものだと思っていたので、道が分からなければ戻って下山すればいいと決め、記憶力のテストを兼ねて頂上まで登ってみた。
頂上には剣玉の技を練習している人がいて、少し触らせていただいた。懐かしかった。

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渡し船の船着場は木造で川岸から水上にせり出すような形であった。
ご覧のとおり、人が多く利用する船着場には食堂や土産物店がある。


ただ立ち止まるにも下船した人が後ろからくるので
ついつい前の人に続いて歩いてしまうのであった。


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