デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



経歴20年のベテラン船長=「一般市民」と偽り脱出-イ容疑者(時事ドットコム)

J・コンラッド『ロード・ジム』をなんとか読み終えたのは約3ヶ月前だったが、この小説のようなできごとはしばしば起こるものであって、今回の珍島沖で起きた客船沈没事故の顛末も小説を思い起こさせるものであるように思っている。
小説の主人公ジムは多くの大人たちが望みたくなるような理想の青年像を具現化したような経歴の持ち主でかつ良い意味でのロマンチストであるが、その彼はいざという時に海に"飛び降りた(飛び込んだ)"ことで、生涯の仕事であったはずの船乗りとしては致命的な汚点が刻み込まれてしまったことに対し苦悶を続けるが、今回のような実際に起こった事故はもし記事のとおりならやりきれないものがあるように思った。事故によって死者も出てしまっていることだし…。
ただ、、、小説の語り手のマーロウは作中のジムに厚意を寄せたのであって、ジムを雇っていた薄情な船長に対する同情の記述は見られない。マーロウの目からすれば、作中の船長は関心を寄せる対象どころか眼中に入らない人物なんだろうか。コンラッドにこう尋ねたとしたら、どのような返答があるのだろう…。

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バス停なんだが(笑)

ちょっと油断すれば通り過ぎてしまいそうになるバス停だった。でも、人がバスを待っているし、バスも頻繁にやってくるので見つけられないことは無かった。


明日、乗る予定の49番だ



バスを待つ時間、流しているタクシーもよく目の前を通り過ぎていった。


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数ヶ月前、塩野七生著『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(新潮社)を読もうと思ったことがあった。しかし、いつの間にやらそのことを忘れていて、ひょんなことからこの本を手にすることができたので読み始める。
『十字軍物語』のなかのフリードリッヒ二世の記述と重複するところもあるだろうから、きっと思いの外、読書ペースは上がるかもしれない。

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加藤徹 著『京劇―「政治の国」の俳優群像 』 (中公叢書)、加藤徹 著『梅蘭芳―世界を虜にした男―』 (ビジネス社)読了。
中国の京劇とその俳優の生涯をとおして、その魅力と中国の姿を浮き彫りにした二冊。舞台劇に関わる人々というのは外交的営業的な性格および生活スタイルにならざるを得ないところもあるから、京劇を知れば中国のことがわかるとは飛躍的な表現かなと思いはした。しかし、思いのほか歴史の長くない京劇がいかにも昔から中国にあるアイデンティティーを投影していること、中国を統治した人々や革命に関わった人が京劇を愛し、また宣伝に使っていた歴史を知ることができ、その詳しい内容はすこぶる興味深かった。
おもしろいことに京劇制作に関わった統治者たちのエピソードは旧約聖書に出てきそうなものもあったり、中国以外の演劇好きの女帝が同じようなことをしているなぁと思わせるようなものもあったり、いい意味でどこかで読んだり見たり習ったりしたような内容が多くて、読んでいて思わず笑みを浮かべてしまうこともあった。
京劇と日本との関わりは思いのほか深く、とくに梅蘭芳の存在感は大きい。他国との国交を樹立させるには民間交流、なかでも芸術文化の輸出は大きな武器になる。実力があり人とのつきあいの立ち振る舞い方が洗練された芸能人・名俳優が事実上の外交官となって活躍するさまには脱帽するしかないが、舞台に立つにも殺される可能性が低くなく、交通網が発達しておらず乗り物の危険度も高く国際情勢も一歩間違えば民間機であろうが問答無用で即撃墜されそうな時代に、よく世界中を公演してまわったものだと思う。
あと、私の何の根拠も無いところからの勘だが、梅蘭芳と周恩来は生涯が多忙であっただけでなく二人は生きる哲学というか信念や性格が似ているように思った。

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NSA活動暴露にピュリツァー賞=米・英紙、電子盗聴の実態伝える(時事通信) - goo ニュース

(「スニーカーズ」や「エネミー・オブ・アメリカ」などの映画があるので今さら暴露という見出しはどうかと思うが。)いろいろ意見はあろうが、やっぱりメディアとはこうあるべきだという姿勢を示した報道内容が受賞したのはよかったのではないかと思っている。少なくとも御用記事や騒ぐ必要の無いことを大衆の関心ごととして祭りにもっていきたがる最近のメディアとは雲泥の差だと思われる。

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J.M.W.ターナー「夜に石炭を運び込む男たち」(1835)、ワシントンDCナショナル・ギャラリー蔵

ターナー展に「ウォータールー橋上流のテムズ川」(1830-35頃)(テート美術館)という作品が来ていたのだが、「ウォータールー橋上流のテムズ川」を見た時、あっ、この作品はアメリカにある「夜に石炭を運び込む男たち」ぽいな、と思った。ちなみに「夜に石炭を運び込む男たち」に描かれている川はイギリス北部のタイン川である。
展にはクロード・ロランの構図とよく似ている作品もいくつか来ていて、「夜に石炭を運び込む男たち」も「ウォータールー橋上流のテムズ川」もクロードの絵に見られる構図を意識しているといったことにも触れたいが、私はターナー(もしくは絵の注文主の示唆かもしれない)が時代を写し撮るような主題を扱った作品をいくつか残していることに注目したい。
絵の右側に描かれているのは"工業地帯"であり、作品が石炭を運ぶ人たちおよび工業地帯と関わりの深い船のある月夜の風景といってしまえばそれまでだが、この作品のすごいところは工業地帯から出る煤煙まで描かれているところである。18世紀半ばから始まった産業革命は19世紀へとつづいていくが、その功罪、ここではとくに大気汚染の予兆といったことが読み取れるところが注目に値する。この光景には、いわば旅情を漂わせるようなロマンはないが、国が産業革命で勢いづくにあたりその革命を成している構造の屋台骨の存在を解き明かしてくれている点で、非常に価値のある光景といっていいだろう。
私がこの絵を初めて見たとき、19世紀の現実的な主題について画集の解説の文章では知っていたが、文と作品から発せられるイメージとはなかなか結びつかなかったことを覚えている。今になって、ようやく少しは理解できるものがあるなぁと、ターナー展で「ウォータールー橋上流のテムズ川」を見、「夜に石炭を運び込む男たち」のことを思い出して感じた。

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目的のバスに乗るためにきた宿からすぐのサムセン通り。これらの画像を撮った時間は朝7時半より前である。朝早くから、サムセン通りでは食料品や仏事のための花、履物類など生活に密着したものを買うことができた。

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トゥクトゥク

水を買って外に出たらトゥクトゥクが止まっていた。昨晩にもバス停でよく見かけたものだが、朝の太陽の光の下では初めての実物である。きれいに磨かれていてピカリと光っていた。


座席の広さからして数人で乗ってお得という感じか…

旅行ガイドブックにもタイ名物というかタイでの交通手段の一つとして大いに紹介されているし、タイをよく知るに人にはトゥクトゥクのないタイは考えられないという人もいるかもしれない。
しかし私は一人旅だったので、どうしても必要な機会が訪れない限り乗らないと決めていた。翌日、その決意?を意図せずというか結果的に示してしまうような出来事があったのだが、それはまた後日。

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昨夜のコンビニ。水を買った。



(これは帰国後に水道水を入れて撮)

コンビニではいろいろな飲料水が売っていたが、一番よく買っていたのが↑のタイプである。ほかにも喉が渇いたらいろいろなメーカーの分を買って飲んでいた。これ一つで6バーツだったか5バーツだったか、日本円で20円ぐらいである。
季節にもよるが私がバンコクを旅行した時期は乾季だったのでよく喉が渇いた。よってコンビニの水には本当にお世話になった。

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もう風邪は治っているが、運動する時間に恵まれなかった。一週間ぶりぐらいに登ると、とてもキツく感じた。おまけに急激に気温が下がる時間帯であった。また体を壊さないように気をつけねば。

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