デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



J.M.W.ターナー「夜に石炭を運び込む男たち」(1835)、ワシントンDCナショナル・ギャラリー蔵

ターナー展に「ウォータールー橋上流のテムズ川」(1830-35頃)(テート美術館)という作品が来ていたのだが、「ウォータールー橋上流のテムズ川」を見た時、あっ、この作品はアメリカにある「夜に石炭を運び込む男たち」ぽいな、と思った。ちなみに「夜に石炭を運び込む男たち」に描かれている川はイギリス北部のタイン川である。
展にはクロード・ロランの構図とよく似ている作品もいくつか来ていて、「夜に石炭を運び込む男たち」も「ウォータールー橋上流のテムズ川」もクロードの絵に見られる構図を意識しているといったことにも触れたいが、私はターナー(もしくは絵の注文主の示唆かもしれない)が時代を写し撮るような主題を扱った作品をいくつか残していることに注目したい。
絵の右側に描かれているのは"工業地帯"であり、作品が石炭を運ぶ人たちおよび工業地帯と関わりの深い船のある月夜の風景といってしまえばそれまでだが、この作品のすごいところは工業地帯から出る煤煙まで描かれているところである。18世紀半ばから始まった産業革命は19世紀へとつづいていくが、その功罪、ここではとくに大気汚染の予兆といったことが読み取れるところが注目に値する。この光景には、いわば旅情を漂わせるようなロマンはないが、国が産業革命で勢いづくにあたりその革命を成している構造の屋台骨の存在を解き明かしてくれている点で、非常に価値のある光景といっていいだろう。
私がこの絵を初めて見たとき、19世紀の現実的な主題について画集の解説の文章では知っていたが、文と作品から発せられるイメージとはなかなか結びつかなかったことを覚えている。今になって、ようやく少しは理解できるものがあるなぁと、ターナー展で「ウォータールー橋上流のテムズ川」を見、「夜に石炭を運び込む男たち」のことを思い出して感じた。

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