デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今日、読み終えた本について書く。それにしても、我ながらなんというタイトルか(笑)。他にも「バルベーローのイエス」「ラビとしてのイエス」他いろいろ思いついたが、もっともこれが適しているだろう。

私にはドストエフスキーの小説に、かなりはまっていた時期があったが、はまり込み様によっては、聖書の内容を通して深読みをしようとする人もいるだろう。何を隠そう、私もそのパターンに陥った一人だ。
聖書についていろいろと読んでいるうちに、聖書の世界もなぜか面白くなってくる。とかく、絵画とか彫刻とかを素人目で見ているうちに、聖書の内容は西洋美術にとって切っても切り離せないものだと分かると、なおさらだ。
えっちらおっちら読書を続けているうちに、歴史の資料が新たな視点から改めて研究されたことで、これまで汚名を着せられていた、蘇我入鹿や道鏡や田沼意次の汚名を返上するような説を述べている本を読んだりTV特集を見るようになった。そしてそのころ、いちユダヤ人イエスを考古学的に検証する番組を見た。それが12月下旬に紹介した番組である。番組が放送されたとき(たぶん2001年だった)、私はすかさず見た。ドストエフスキー作品で著されているイエス・キリスト像の影響に加え、この番組のおかげで、私のキリスト教観が根本から変わるような気がした。

さて、今日、読み終えた本は『原典ユダの福音書』(日経ナショナルジオグラフィック社)という本だ。ちなみにこのユダは、新約聖書でイエスをその接吻でもって裏切ったとされる、あのイスカリオテのユダのことである。
国際欄のニュースに強い関心をお持ちの方のなかには、イスカリオテのユダだけが、イエスの弟子の中で師の教義を正確に理解し、イエスの意思に副(かな)う行動を起こした真の英雄であるという内容が『ユダの福音書』に書かれていること、それを理解するには思弁がある程度必要なことをご存知の方も少なくないだろう。
『ユダの福音書』のなりたちと、その時代背景について少し書こう。
紀元4世紀ごろ、初期キリスト教にもさまざまな教会(派)があった。現在親しまれている、イエスの教義の原典であると主張した伝統的な聖典によって構成された「新約聖書」が成立する前は、後に「正統」とされる聖典を信ずる派も含め、たくさんの派が自分たちの信ずる各々の聖典をもとにして、神学論争を繰り広げた。そのような論争(信者の数などの勢力争いも含む)があったということは、それに勝った派もあれば負けた派もあるということである。『ユダの福音書』は負けた派のうちの一つの聖典であった。現在の新約聖書が正典とされると、まもなくして負けた派の教義は異端とされた。『ユダの福音書』は、"はじかれた聖典"なのである。
異端とされた、負けた側の聖典を写して残そうとする努力は払われなかったに近いだろうといわれている。それらの聖典は、廃棄されたり放置されたまま自然に朽ちたり、行方不明になったりした。
20世紀に入り、コプト語で書かれた『ユダの福音書』の写本が、偶然エジプトの洞窟で発見された。研究者に解読されるまで20数年間、数奇な運命をたどり、かなり酷く劣化していた写本は年月をかけて修復・解読・翻訳され、近年上椊された。
私は、『原典ユダの福音書』を読み終えたカタルシスの勢いに任せるまま、初期キリスト教のある時点から正統とされ現在に至っている聖典と、異端とされた聖典を比べて、どちらが優れているかなどと、暴論を展開するつもりは毛頭ない。
しかし、伝統的な新約聖書のなかで「裏切り者」「悪魔に憑かれた」とまで烙印を押されたイスカリオテのユダが、同じその新約聖書のなかですら、イエスが彼を破門せず、彼はイエスの弟子たちの中で終始最も信頼を寄せられている弟子の一人である事実の理由を説明する上で、一つの見逃せないキーとして『ユダの福音書』を位置づけるだけでも、この聖典が日の目を見た価値があるように思うのである。
ところで、この記事のタイトルである「よく笑う人イエス」とは、『ユダの福音書』でイエスが弟子たちに語る際に笑ったという記述に基づくものだ。なぜイエスは弟子たちに対して笑ったのか。それは本を読んでのお楽しみ?である。旧約聖書・新約聖書の世界は、私も含め親しむというにはちょっと遠いかもしれないけれども、『ユダの福音書』に描かれるユーモアを含んだラビ(教師)としてのイエスの姿を、現代の読者はにっこりしながら読むことができる気がするのである。

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