デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



年末のPCのトラブルで書き損ねていた記事だ。ざっと、昨年読んだ主な本をふりかえろう。読書ネタは、一昨年よりさらに更新が疎かになってしまった(笑)

『ジャンヌ』(ジョルジュ・サンド)
ドストエフスキーが「限りなく無垢で美しい理想」とかいった作品。純心で無垢なジャンヌの生き方は、当時なら理想のひとつの型として大いに人々の意識に影響を与えたことだろうが、正直私にはピンとこなかった。

『グレート・ギャツビー』(フィツジェラルド)
映画にもなっているが、残念ながら小説を読んでいるととても眠たくなったという記憶しかない。また読み返すかも。

『人間の絆』(S・モーム)
作者のS・モームはこの小説を「自分のために書いた」そうだが、人間の前半生の魂の軌跡をここまで克明に小説に昇華でき、数多くの読者の共感を引っ張り出せる力を持った作品は稀有だと思う。
運命共同体というのは実は呪わしくほとんどがストレスであること、自分の自由意志こそ実は最もアテにならず迷妄であること、自身のつまらない誇りが人生の邪魔をすること、こういったことが主人公フィリップの前半生を通して語られているのだが、大人子供に関係なく人生の参考になるのではと思う。

『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ)
スターリンの大テロルが吹き荒れていたころにブルガーコフが密かに書き続けていた作品。風刺作家ブルガーコフの真骨頂が発揮されているように思う。悪魔のヴォラントは何を風刺しているのかといえば、たぶん当時のソ連の体制なのだろうが、ヴォラントのセリフのなかには作者の本音がチラリと見え隠れするところが面白かった。

『最初の人間』(カミュ)
カミュは自動車事故で亡くなったが、彼がそのときに持っていたカバンの中に入っていた原稿が『最初の人間』である。
もちろん未完の作品なので読んでいて分からないところもたくさんあったが、とにかくカミュは自分の生い立ちとアルジェリアの移民の歴史について、真っ向から向かい合おうとしていたことが分かる。

『ヴェネツィアの宿』(須賀敦子)
イタリア文学者でエッセイストの須賀敦子のエッセイ。自身が苦労をしたことを、あたかもさらりと自然体の文章で表現してしまうところに、いつもこの人の心の大きさを感じる。心温まるエッセイだった。

『ヴェネツィアの歴史』(永井三明)
世界の中でもっとも長く続いた共和国であるヴェネツィア共和国の歴史を客観的に淡々と説明した良書。ときにやたらと派手に書かれるイタリア諸侯の歴史だが、この本はヒロイックに書かれていないし、詳細なデータでもって国の興りや衰退のしかたまで説明してあるので、読んでいて非常に有意義な時間をすごせた。

『コンシュエロ』(ジョルジュ・サンド)
サンドの長編の中で最高傑作との評がある作品。主人公は歌姫コンシュエロで、ハイドンやマリア・テレジアも登場する。
サンドは、社会的慣習から精神的に自立し、禁欲的に周囲に奉仕しつつ、強くたくましく生き抜く女性像を追求し続けたんだなぁ、といったことが分かる小説。感銘は受けたが、作者の主張がつまり過ぎているのが、若干気になった。理想をつらぬく話は、長すぎると、小説としてはあまりおもしろくない。

『ガリバー旅行記』(スウィフト)

『ガラス玉演戯』(ヘッセ)
硬い殻に包まれているものの、中身はとても美味しいといえるような作品。精神的世界の理想を俗世にいかにして働きかけるか、そして対立する世界の融合をどのようにして試みるか、多くの苦悩を経てたどり着いたような感のある偉大な作品ともいえよう。
この作品についてはいろいろな切り口から語れることと思うが、私個人は、人間はどのように死んだかではなく、いかに生きたかが大切なんだと、この作品から教わったように思う。

  ***

越年読書。
『未成年』(ドストエフスキー)
いつもながら笑いながら読める。

『冷血』(カポーティ)
読んでるさなかに、『未成年』を読み出してしまったので、いつ読了できるか分からない(笑)。

今年もぼちぼち本を読めればと思う。

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