デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



作品を年代順に追って見るなどということはできなかったので、次はいきなりドイツ・ロマン派のカスパル・ダーヴィド・フリードリヒ(1774-1840)の作品を探した。


フリードリヒ「カラスの木」(1822年頃)




上の2作品がフリードリヒの作品だが、題名がフランス語で書いてあってよく分からない。でもこの木や夕暮れ、船着場に出る雲がかかった月の描かれ方はフリードリヒの特長が本当によく出ていた。

「メディシスの間」以外にも、ルーベンスの作品は本当にたくさんあり、特に「エレーヌ・フールマンの肖像」(2m近くある!)が素晴らしかった。


「エレーヌ・フールマンの肖像」1630年代

ルーベンスは最初の妻イサベラ・ブラントが世を去ってから更に仕事の虫になったが、1630年に16歳のエレーヌ・フールマンと再婚した。ルーベンスは亡くなるまで彼女と幸福に生活したが、絵にもそれが窺えると思う。それにしても、エレーヌは黒い服を着ているのに、なんと彩りが豊かなんだろう!

偉大な画家は後世に多大な影響を与えるものだが、それは後の画家にとって苦悩の始まりかもしれない。自分の描く作品に先人の影響が強すぎると、結局は歴史に埋もれてしまう運命をたどることが多い。
下の作品を描いたアントニー・ヴァン・ダイクもルーベンスから多大な影響を受けた(実際ルーベンスの工房にいて助手をしていた)一人だが、のちに英国国王チャールズ1世の首席宮廷画家となった彼の肖像画はルーベンスの動的な描き方とはちょっと違い、静謐さというか穏やかで落ち着いた演出がなされていると思う。そしてモデルの心理や性格を直観力で描き出す抜群のセンスはヴァン・ダイクならではのものだ。





代表作の一つ「狩場のチャールズ1世の肖像」

上の絵は後のイギリスの肖像画に影響を与えた。レノルズやゲインズボロみたい、と言われたらそんな気がする。
ところでチャールズ1世はこの肖像画のモデルになっているころ絶頂期だったが、のちに徹底した専制政治を行った。それが貴族や市民に清教徒革命へと突っ走らせる原因となった。チャールズ1世は処刑され、この絵は後にフランス国王ルイ16世に買い取られたのだが、ルイ16世もフランス革命で断頭台で処刑されてしまう。
そう考えると、これはいわく付の絵ともいえる。ヴァン・ダイクは王の憂いだ表情にその運命の暗示を感じ取っていた??


「ジェームズ・ステュアートの肖像」

ジェームズ・ステュアートはチャールズ1世の親戚で仲のいい友人。こんなに傍に寄れたのは、親交が厚かったことを意味しているのかも。

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