Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

雷雨のあとの祭り

2024-07-02 | マスメディア批評
ベルリナーフィルハーモニカーの上海公演が終わった。フィルハーモニカー自体は様々な編成で中共公演を引き続きするようだ。予想通りに盗録が自録と称して先ず最初の二回の公演のものがアップされている。

それ以外にも地元のTV局が公演のリポートとして、ユジャワンが演奏する場面などの映像の多くのセクエンツがアップされている。但し正式のマイクロフォンとの組み合わせはなさそうだ。

中露では何でもありなので予想された事であるが、こうした遵法精神の欠如は中華人だけでなく極東に共通したもので、罰則さえ受けなければお構いなしが通る世界である。如何せん極刑が必要とされると、それらの社会が考える所以だ。

初めからこういうことになることは分かっていたのだから正式な録音なり録画をさせればよかったのではないか。まだ最後の二晩のプログラムの隠し録音は出ていない。

ざっと流すと立派な演奏をしていて、ベルリンでの野外での演奏とは格段異なる精密な演奏が為されている。それはワンのプロコフィエフでもそうであり、ドイツ風と上海で批判のあったラヴェルも素晴らしい音響で、これだけの演奏はブーレーズ指揮でも到底無かったものである。そこにはフランス風の奏法とかの徹底以上にやはり異なるものがある。やはり先入観で聴いている玄人も多いのだと改めて確認する。

その中共サイトで探していたら、てっきり先ず最初に出てくると思っていたロシアのサイトよりも早く、プラハでの音楽祭開幕「我が祖国」の実況中継オンデマンドンのコピーが二種類見つかった。音質も悪いので映像での確認ぐらいにしか使えないが、先ずはダウンロードして保存した。そのようにネットで無料で入手不可能なデジタルデータなどは皆無である。

メディアデータに限らずソフトウエア―なども殆どは無料でダウンロード可能なので、ウインドーズ以来今迄有料で購入したソフトウエアーは三種類ぐらいしかない。勿論メディアデータを有料でダウンロードしたことなどは皆無である。絶対どこかに転がっているからだ。必要ならば検索すれば出てくる。その様な実際から一時ドイツでも海賊党という政党が国政選挙に出た背景があった。上の「我が祖国」においてもウニテルが共同制作とあるようなので絶対そういうものには一銭たりとも支払わないという腹が座る。メディア産業が壊滅した背景がそこにある。

先週の夕立あたりから夏の一休みとなっている。三日も続かなかったような夏日だったが、それでもここ迄気温が落ちると体調を崩しやすい。

急激に気温が下がって、眼が塞がって中々開かない。開いても閉じそうになる。なによりも昨秋の疲れからか右肩が痛い。数年前に痛めたのは左肩だと思うが、こうして冷えてくると右肩も痛む。軽く走って来て再び様子を見るしかない。



参照:
すっきり焚いて金鳥 2024-07-01 | 生活
上海公演での指揮者評価 2024-06-29 | 音
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すっきり焚いて金鳥

2024-07-01 | 生活
夕立勝ちになったりした。湿気が高くなると、直ぐに蚊が最上階にも上がって来た。攻撃されて、蚊取り線香を焚いた。居間を燻してから寝室でも焚いた。前夜にも飛んでいたのだが殆ど刺されなかった。そして今晩も就寝前に窓を開け放って焚いておく。

実際には最高気温摂氏30度を超える様は夏日は数日も続かなかった。週始めからは雨勝ちで20度にも至らず最低気温は一桁にはならないが涼しくなる。週末に25度に至る程度である。ボールダリングには向かないが、長袖を着れるようになる。

チャットパートナーに書いた。少なくとも具体的なサジェスチョンしようと思っていたことだ。一週間も迷っていた。既に言及した様に、それならとなるとこちらもそれなりの覚悟が必要だったからだ。もう一つは要らぬことをと思われて反発されるのも嫌だったからだ。しかし今までのアドヴァイスは彼女自身が自己消化していて、最終的には真意は理解されていたと思う。ここはリスクを圧してもやはり直ぐに書いておかないといけないと思ったのは、こちらの真意が伝わらないとこれまた自分自身が後悔すると考えたからだ。既読になっていないことにも一寸安心している。想定した様に自己消化して自発的な反応が戻ってくることを期待している。

週末に机の横の衛星スピーカーを見ると穴が塞がっていた。なぜ今まで気が付かなかったのか、何時からなのか定かではないが、いつか家蜂のようなものが飛んでいたのを思い出す。大分以前のことだと思うが、今回初めて前面のスピーカーも外して掃除した。中には蜂の子がいたかもしれないが、あまりにも小さくてよく分からなかった。細く深いネジ穴なので、綿棒を突っ込むぐらいでは掃除出来なかった。今回初めて分解したのだが、毎年の様にそこで子作りをしたのかもしれない。水だけでは蛹臭さが取れなかった。結局薬品と綿棒で清掃しなければいけなかった。そこまですると後に親らしきが飛んできていたが、直ぐに飛び去ったかに思えた。そして今見るとまた一つの穴が塞がっていた。改めて水洗いして掃除すると蛹のようなものが取れた。週末に取れていなかったものだろう。恐ろしい。

掃除してから音出しをすると、ネジを締め直したこともあるのだろうが、透明度が戻って来た。長らくおかしなダムピングが掛っていたのは想像に難くない。1月の生中継でのラディオ放送によるシェーンベルクの室内交響曲一番も良かったのだが、安売りで購入したマルリス・ペーターセンの五枚組CDの四枚目リュッケルトリーダーから「リーブストストウムシェーンハイト」とか、彼女の美しいソプラノが冴える。声が最後に輝く時に録音しておきたかったのだろうと思った。

シャワーのホースを取り替えた。そこには接続のパッキングが付いていなかったので、古いものを流用して使った。ホースの構造自体は今迄のものとは異なって完璧で、見た目も美しく五年保証である。なぜ今のものはあんなに悪かったのか。透明の被膜の下の汚れが直ぐに目につくようになっていた。恐らくそれゆえに全体のシャワーセットが安かったのだろう。しかしこうして廉価でいいものに交換すると、満足のいくシャワーセットとなった。水の勢いで出る感じが、抵抗が弱いのかとてもよくなった。気持ちいい。



参照:
チャーター飛行の話題 2024-06-27 | 雑感
特異日「七人の眠る兄弟の日」 2017-06-28 | アウトドーア・環境
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索引2024年06月

2024-06-30 | Weblog-Index


知的に働くよしよしな制御 2024-06-30 | 文化一般
上海公演での指揮者評価 2024-06-29 | 音
我について来る認識 2024-06-28 | アウトドーア・環境
チャーター飛行の話題 2024-06-27 | 雑感
新たな視座が拓かれるか 2024-06-26 | 料理
ボックスボイテルの夕食 2024-06-25 | ワイン
官能次第の相性 2024-06-24 | 女
夏至の週末のお愉しみ 2024-06-23 | 料理
夏至を越えての一雨 2024-06-22 | 暦
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
エマニュエル夫人の家 2024-06-20 | アウトドーア・環境
飽和するぬるま湯環境 2024-06-19 | 音
髭剃り完備で一安心 2024-06-18 | 雑感
「ヴェニスに死す」の導入 2024-06-17 | 歴史・時事
フランス食生活の易さ 2024-06-16 | ワイン
無人の国境から瑞西往復 2024-06-15 | 雑感
確立された芸術活動 2024-06-14 | 女
今後へ問いかけインタヴュー 2024-06-13 | マスメディア批評
ゆっくり休めた宿 2024-06-12 | 雑感
永遠朝七時の目覚まし 2024-06-11 | 女
全く動じない森の住人 2024-06-10 | 料理
ストーンズで変わる人生 2024-06-09 | 文化一般
年間20ユーロの倹約 2024-06-08 | 文化一般
詰将棋のような遊び 2024-06-07 | アウトドーア・環境
今秋のミラノ旅行準備 2024-06-06 | 雑感
洪水の床屋話し 2024-06-05 | アウトドーア・環境
ルネッサンスの倫敦交響曲 2024-06-04 | マスメディア批評
今後のシュミレーション 2024-06-03 | 試飲百景
猿のように習って 2024-06-02 | 文化一般
売り出しに並んだ用 2024-06-01 | 生活


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知的に働くよしよしな制御

2024-06-30 | 文化一般
日本からのお土産のスパークリングワインが面白かった。山形の高畠ワイナリーという所からのシャルドネのもので、ブルートとなっていて、実際に全く悪くはなかった。炭酸を注入しているだけにしては泡の肌理も細かった。小瓶で一杯づつしか飲んでいないので、その実力とまでは評せないが決して悪いものではなかった。

そういえばそれを持ってきた人が宿で開ける時にコルクを飛ばしていた。その無様さを今は笑うのだが、嘗て引っ越しの壁塗りの手伝いに出かけて打ち上げのゼクトを開ける時にコルクを天井にぶつけて白い粉が上から落ちてきたことがあった。余り人を笑えない。

しかしそういう人が仕事で天秤などを使っていることが信じられなくて訊ねると、デジタル式だという。なるほど身体が不自由でもどのような仕事にでもつけるようになることはとてもいいことだ。

それはいいとして、履いているズボンの後ろが破れていて、下着も半ケツとなっているとなると、これはもうまた異なる次元である。

金曜日の中継は流していただけであるが予想よりも良かった。理由は、ポストモダーン的な中にも知的な制御が効いていた指揮であり、少なくともサロネン指揮等では到底聴けない音楽の引用が作曲家の創作意志としてしっかり聴こえたことである。

ティーレ氏の批評に示唆されるこの作品に作曲家リゲティ個人のアウシュヴィッツとの繋がりやなど本来置かれていた環境が今回の制作に見え隠れしたということにも通じる。その隠してある演出意図がその音楽的な扱いに表現されていたとして間違いないであろう。

最終的には中継映像などを観てみないと結論は出せないのだが、各紙の批評などを読んで、そして録音したものを改めて聴くとその音楽的な狙いがはっきり分析される筈だ。

上の批評ではケントナガノの指揮は他の作品に比べれば、アンサムブルをさせながらの水先案内人としてとても上手に機能していたと成功を語っている。前々音楽監督であったので地元評論家にとってはいいところもわるいところも隈なく知っている筈だ。

木曜日の筋肉の張りは肩周辺に少し残った。それでも大したことはなかった。逆に若干腹などに張りがあるのは嬉しい。先にも言及したが、発汗の感じが変わってきたのと、熱が溜まらなくなっているのと、呼吸を上げずに運動が出来るようになってきたのとの全て関連しているようだ。

発汗に関しては数年前からも夏場には早朝に発汗しておいて、午後を涼しくという配慮はしていた。それでも現在のように汗管が素直に通るような感じは今迄なかったのである。水道管と同じで、管がいつでも通るようにしておけば大きな峠を越えることなく発汗する。同様なことは運動負荷を上げてある水準まで行かないと反交感神経が働かないとか、所謂ホルモンの出方が変わった感じがするのである。子供のころから最も運動に抵抗を感じていた発熱も全く同じ現象であって、運動負荷を落としても運動が出来るというのがとても喜ばしい。やはりゆっくりでも急登を走る習慣つけたのが、少々早く平らな道を走ることよりも皮下脂肪も下げてスタミナをつけるようにしたのだろうか?



参照:
複雑系の大波をサーフィン 2024-05-31 | 生活
ブーレーズの死へグルーヴ 2024-04-18 | 音
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上海公演での指揮者評価

2024-06-29 | 
今晩はミュンヘンからの生中継だ。新制作リゲティ作「ルグランマカーブル」のラディオ放送である。ケントナガノが指揮して演出ヴァリコフスキーなのでそれほど質の低い新制作とはならないだろう。しかし初日に私は出かけていない。それが全てを語っているだろう。

要するに今晩の公演で期待されるものがそれほど高くはないとなる。同作品は現支配人のドルニーの先生のモルティエ―支配人時代に作曲者臨席の下で上演されて、作曲家がかんかんになっていたのを具に見た。問題点は指揮者のエサペッカサロネンにもあったのだが、それよりははるかに上手にやると思う。

しかし、現在のあの座付き管弦楽団の最上質の音楽をそこから引き出せるかどうかはとても疑問に思っている。コロナ期間中にオールスターガラ公演でナガノもペトレンコが形作った楽団を指揮したのを聴いていて、その出来ることは分かっているからだ。

決して悪い結果にはならないとしても、態々ミュンヘンまで出向くだけの価値がないという判断である。勿論先ずは放送を聴いてそれなりの成果を吟味したいとは思う。

ベルリナーフィルハーモニカーの上海公演第二回目のペトレンコ指揮演奏会評が出ている。ペンパイ新聞のネット版のようだが、書き手は张可驹という人でとても良い。昨秋の日本での公演でここまで書けた人は新聞以外でもあったろうか?文字数もドイツの高級紙に劣らず、ジャーナルとしての詳細だけでなく、指揮者ペトレンコの中共デビューの意味をもしっかりと行間に書き込んである。

ブラームス「悲劇的序曲」に始まり、タンホイザー、そして「英雄の生涯」のプログラムで、ペトレンコがこの歴史的な楽団と道を歩むことになったその意味が改めて語られている。その意味を目の辺りにしてショックだったと書いている。それはDCHにて知っているつもりだったものが、やはりライヴでは違ったというものだ。

そしてその歴史を重ねるということが決して守りでなく攻めだとしている。それはその聴衆にその時代に反応しての演奏活動であるということを明言している。特にそれがあまり演奏されなかったレパートリーであるよりも核のレパートリーを演奏するときにより、新たなペトレンコ時代を評価している。

その美学的な方向性が、フルトヴェングラーやカラヤンの時代への憧憬に捧げられることはなく、ペトレンコにおいては指揮者が楽団との協力者であるということだとして、つまり指揮者の意味が変わってきていることを断言している。そしてその指揮に委ねる楽団の相違がオンタイムで表され他のがその日の演奏だとしている。

まるで、私がエンゲルにおける指揮者の機能が全く異なってきていることを書き手が読んでいたかのように、ペトレンコの指揮者の立場はプロデューサーの様であるとしている。(続く)



参照:
别特连科与柏林爱乐:王牌之演,以攻为守, 张可驹, 澎湃新闻 vom 28.6.2024
我について来る認識 2024-06-28 | アウトドーア・環境
チャーター飛行の話題 2024-06-27 | 雑感
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我について来る認識

2024-06-28 | アウトドーア・環境
暑くなりそうだった。前晩に走っておいたので、買い物の前に少し身体を動かしたかった。パンもないので朝から、前晩から準備をしておいた三種の出汁で味噌汁を作り、納豆や塩海苔や梅干しで米一合を食した。その元気で10時前に出かけた。燃料も入れないと標高440mの峠まで上がれない。比較的安く10リットルだけ給油して、10時30分過ぎに森に入る。いつもの近道は棘に覆われて苦労して、掃除の為のブラシを引っかけて失った。

なんとかハイキング道に出て、向こう側の谷に下りていく。10時40分には始められた。完璧ではなかったが、先日からの掌が吸い付く感じは続いていて、とても手に荷重が出来るようになっている。チュークも変えていないので、どこが変わったのかは分からない。この間に握力がつくようなトレーニングもしていない。あり得るのはランニングで手の振りがよくなった分、肩から指先まで神経が通るようになっているのかもしれない。

それに気をよくして二つ目に力のいる課題を試したが、どうも上手く行かなかった。腹筋が上手く使えなかったかもしれない。しかし何よりも感じるのは気温が摂氏28度を超えているような状況でも息が上がらなくなっている。最近は気温が高くてもゆっくり走れるような癖がついているので、もしかするとスタミナはついてきているのかもしれない。

何を隠そう買い物に着込んでいくのが面倒で、ボールダーの帰りに済ましてこようという魂胆だったが、アマゾンの配達までに帰宅できてよかった。森の中の滞在時間は一時間もなかったのだが、それなりの価値があった。来週にも出かけられるといい。

発汗も前夜に続いてしたのだが、やはり嘗てのような熱はけが悪い感じが弱くなってきている。加齢の影響で代謝作用が弱ってきているのかなという懸念もあるのだが、勿論走る速度も上げればそれだけ厳しくなる。但しクライミングやボールダリングは一部は耐久力、一部では瞬発力の両面のバランスが必要なので、発汗して息が荒くなり過ぎると直ぐに限界が迫ってくる。それを押さえながらのメリハリを効かせれるようになって気がするが、余りにも楽天的な思い込みだろうか。

体重もコントロールされている認識があって、少なくともその点では決して悪くない筈だ。最も懸念されているのが筋力の低下なのだが、少なくとも脂肪は落ちてきていて、対体重でのバランスが取れていればよいということになる。シャワーで適当にクールダウンはしたのだが、まだお昼時ということで余り冷やさなかった。

エンゲル指揮で大成功裏に終わりメディア化されたニールセン作曲「マスケラーダ」が英国のメディア紹介雑誌グラモフォンで7月の特選盤になっている。制作の主旨やデンマークから外国に紹介するだけのその制作意図にかんして叙述してある。歌手陣やその演出そしてその劇進行の大きな効果に言及していても指揮者のエンゲルには触れていない。如何にもであるが、エンゲルの指揮が如何にその劇場効果の中で嵌まっているかということであって、玄人でないと分かり難いところもある一方、本番では最終的に圧倒的な支持を受け続けている。要するに玄人でも判断できないような新たな次元の芸術活動に踏み込んでいるということに尽きる。こうした時代を拓く活動を友人がやってくれているのは取り分け嬉しい。時代は我々について来る。



参照:
詰将棋のような遊び 2024-06-07 | アウトドーア・環境
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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チャーター飛行の話題

2024-06-27 | 雑感
ベルリナーフィルハーモニカーのツアーブログが更新されている。初日のレセプションや室内楽風景、出待ちの様子などが写っている。街の写真は思ったより瞠目すべき光景ではない。

それはフィルハーモニカーにとっても初中共のペトレンコにとっても似たようなものだろう。シベリア育ちの人にとっては国境近くの中共とは違う文化を感じるかもしれないが。

中共の報道で興味深かったのは、ベルリンから上海へのチャーター便に関してである。ボーイング777のようで、フランクフルトから飛んでいる東方航空の機材をを四月から申請して出発二日前にベルリンへと移動させて、今回の運行に当ったようだ。

十時間の飛行をあって、なるほどロシア上空の最短コースを飛ばしていることが分かる。通常はルフトハンザを使うところであるが、今回は上海側のオファーがあってかこうした判断をしたのだろう。楽器の通関なども特例処置が取られている可能性が強く、それだけでなくコントラバスなどを客席に積み込んでシートべルトを付けるなどの楽団にとっては安全な処置がとられている — どうも写真はチェロの輸送用の箱だったようだ。

兎も角、限られた五日間の間に出来る限りの催し物を行って、上海で何かを残すということだろう。

ここ三晩ほど、パジャマを夏用に替えた。少し天窓を開けて就寝するほどの天候になって来た。昼間も薄着になったので、身体の神経が痺れている。力が入り難い。冷房病でなりやすいあれだ。運動もノルマは果たしているのだが、まだ身体が真夏向きになっていない。

先日ワイン醸造所のガーデンで飲んだビールが面白かった。ワイン処ダイデスハイムのビールで、造っているのがブロイライではなくて、ビーアグートと名乗っていることから世界最初のビーアグートだというのである。ビールの醸造所とワインのそれとの差でしかないが、法的にも何らかの制約があったのだろうか。

先日客人がハンドシャワーで使ったことでシャワーの頭との接続ホースに穴が開いた。元々被膜が破れそうだったので構造上の問題もあったが、2016年5月以降使えていた。ほぼ十年であるから文句は言えないが、それ以前の固いホースは四半世紀は使えていた。

穴が開いて水が飛び散るので応急処置にテープをぐるぐる巻きにした。使えるがどこかで漏って来るので、兎に角純正品を探した。幸いなことにアマゾンで43%引きの17ユーロで出ていたので発注した。どうも同じシステムのようだが5年間保証である。

被膜を破れないように注意すれば保証期間よりも長持ちするのであろうが、それ以上はあまり期待できない。同様に日本から運んできて貰ったパナソニックの髭剃りも入念に沿っていると、少なくとも最初のフル充電では一週間使えなかった。二週間使う人は髭が薄いのか、余程か細い髭なのだろう。



参照:
12件随行大提琴“安坐”客舱 东航包机承运柏林爱乐乐团抵沪, 中国民航网, 25.6.2024
新たな視座が拓かれるか 2024-06-26 | 料理
ボックスボイテルの夕食 2024-06-25 | ワイン
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新たな視座が拓かれるか

2024-06-26 | 料理
ダルマイヤーでいつものフィレを購入した。今回は初めてそこにベリーソースをつけてくれた。それだけで急に高級料理になった。それを二種類購入していたテリーヌの一つのバムビのそれにもかけた。それに合わせてゲヴュルツトラミナーをゾンマーハウゼンで選んでいたのだ。

嘗てはドイツのトラミナーは甘口のレイチ風味が強いだけのリキュール酒のようなものだった。しかし流石にそのような市場が無くなったので最近は時々真面なトラミナーに出合えるようになった。

トラミナーというとその名の通りの南ティロルの街での特産で、その標高2000メートルに至る尾根筋の冷たい空気が夜中の入りて来て清涼感のある果実の熟成を可能にしている。彼のイタリアでもあの谷でしか収穫できないような素晴らしい作物がある。

勿論それに匹敵するようなワインは収穫されないが、場合によっては一寸清涼感のある酸味の効いたそれに出合えるというのだ。その点で今回都合二本だけ購入したそれは食事によっては合わせれる。現時点で昨年購入したものと二本だけが地下の蔵で眠っている。フォアグラにでも開けるか。

上海では音楽祭が始まったようで、室内楽編成などでの催し物が既に開かれたようだ。しかし、ペトレンコのデビューとなる演奏会は26日に週末のヴァルトビューネでのプログラムで開かれる。

27日はブラームス「悲劇的序曲」にタンホイザーからの前奏曲など、後半で「英雄の生涯」が演奏される。ペトレンコは再び29日から登場するが、その間もフィルハーモニカーが多彩な音楽を演奏する。

先日のパートナーの書き込みのその感じが若干気になった。一寸投げやりな感じがあって、もう少し楽天的な感じがあってもいいと思った。彼女があんなことをしていたその心情的な背景がやはり見え隠れする。金はある程度手にした筈であり、それが必要な経費からの目標額を大きく超える訳でもないとなれば、それ程楽天的ではないのかもしれない。

彼女がどのように思うのかは知れないが、自分に投資しろと書いてみたい。物申す限りはそれぐらいの援助をするということでもあり、こちらもそれだけの覚悟はいる。中々的確な助言は難しいのだが、少なくとも自分自身の経験は語れるのではなかろうか。

人のいうことを簡単に聞き入れるような人間ではないことはよく分かっているので、なにも反発されるようなことは書かない。謂わばお奨めのようなものだけど、それをどのように感じるか。そうした助言などが彼女の環境で得られていると確信するならば何も口を出さない。しかしそうでないならば新たな視座が開けることにはならないのか?

経験がないというのはそうした視座が開けないということに尽きる。結構無垢に才能のある人なので、一寸した切っ掛けがあると彼女の世界が広がるのではないかと思っている。あんなことをしてもなんだかんだと保守的な世界観から抜けられていないのではなかろうかと疑うのである。



参照:
赤か白か、有りの侭 2023-05-21 | 試飲百景
ボックスボイテルの夕食 2024-06-25 | ワイン
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ボックスボイテルの夕食

2024-06-25 | ワイン
漸く夏らしくなってきた。降雨確率も10%ほどなので洗濯日和である。冬の間には洗濯出来なかった防寒用のナイトローブや部屋着用ジーンズなどを一気にと思われる。通常週一回の洗濯を二日続けて三回は回すのではなかろうか。

エコモードでは一サイクルが3時間半ほど掛かるので、夏至過ぎとはいっても、朝から二回を天日で綺麗に乾かすのはそれ程容易ではない。

週末にアスパラガスの残りをべーコンと一緒に炒めた。燻製臭が2021年のジルファーナ―の香ばしさにあっていた。所詮深みはないのだがちょこちょこと食事に合わせるには遜色はなかった。ボックスボイテルを三本しか購入しなかったが、ここ数週間で飲み干すにはそれで十分だった。つまりそれ以上あっても飽きるだけである。やはり経年変化を楽しみながらのまとめ買い可能な白ワインはリースリングしかないという結論を確認するのみである。

土曜日にオープンエアーで行ったプログラムを持ってのベルリナーフィルハーモニカー上海公演は翌日にソリストのユジャワンと共に飛行機に乗って出かけた。そして上海にその御一行は着いた。

到着の様子が中共の報道ヴィデオとして出ている。ワンとフィルハーモニカーの中共での公演は珍しくなくとも、今回はキリル・ペトレンコの中共デビューであり、現在のフィルハーモニカーの実力が昨秋の日本公演に続いて披露されることになる。

流石にペトレンコの日本デビューの時の精鋭の指揮者という表現はなく大師となっているのは当然として、その中共内で何回も演奏されたラトル時代のそれとは全く異なる新しいブラームス交響曲四番の演奏に注目が集まっている。

その他、フィルハーモニカーが室内楽編成でより幅広い層へと訴えかけるワークショップのようなものも僅か五日間の日程のなかで企画されていて、コロナ期間中に流れた上海でのレジデントという形が継承されている。それ以外にも一部チェロ楽団などは北京にも回るようでそれなりのツアーとなっている。

今回なんらかの実況中継録音などが為されるのかどうかは分からないが、少なくとも中共のメディアによって必要最小限の報道としてその様子がジャーナルされることには間違いがない。

北京出身のユジャワンも中共では満州人の共産党協力者らんらんなどとは異なり全くそうした位置づけにはいないので、それ程大きな扱いはされなかったのだが、今回はそれなりに注目されているのは間違いがない。

ベルリンでの演奏はコロナ期間中のトリフォノフのプロコフィエフ演奏と比較してやはり弱かったが、アンコールを含めて上手にやっていた。ベルリナーフィルハーモニカーの演奏はペトレンコ指揮でアンコールのベルリナ―ルフトが取り分け見事な演奏になっていた。



参照:
よかった宿での食事 2018-10-06 | 料理
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
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官能次第の相性

2024-06-24 | 
ドキドキした。血圧が上がった。久しぶりにチャットパートナーに書いたら、秒速で既読になって、返事が来た。お昼前のことだった。先週の試飲の写真に一寸説明を加えて書いて、「君の官能感性がワインを語る助けになったのだが」と、改めて口説いたのだった。実際に彼女に何かを求めるとしたらそういう感性の反応である。

そもそも未経験な彼女がセックスチャットなどをやるには、そうした性的な官能への興味無しにはあり得ないのであり、擽られ反応の熾烈さはそうした感帯の敏感さとして存在するからこその背景があった。

要するにそこが彼女のツボだと今も考えていて、短い映像からも最初から彼女のタレントとして大評価している点でもあるのだ。感性の敏感さはなにも性感帯のみではない。そしてそれをどのように表現するかに尽きる。

返事は、「尋ねてくれてありがとう、今は仕事もなく何も…」と書いてある。勿論こちらはセメスターが終わる時期でそれを見込んで書き込んだのだが、余り具体的な答え方ではなく、どのようにでも取れる。そうなると先ずは即答で、「君の為になんでもする用意は出来ているよ。」と決意のほどを示しておいた。

とは言いながら、結局はこちらからお誘いをしなければいけないのだろう。一番早いのは彼女の住んでいる街を訪ねるということかもしれないのだが、そのような時間的な余裕があるのかどうか。飛べば2時間ほどで往復220ユーロ、安い飛行機で80ユーロぐらいらしい。お土産とかを考えると、航空機運賃の差額140ユーロ程のことよりもとなる。物価が安いところに飛ぶのだから滞在費等は問題がないわけだ。少なくともなにはともあれそれだけの心の準備はしておかないといけないだろう。

1000km程の距離なので、真ん中で出会えるようになるならば全く問題はないのだが、先ずはそうはいかないだろう。その前に個人的なヴィデオチャットでも知り合わないといけないと思うのだが、なんとも変わった関係でもある。お互いにどこ迄信頼できるかどうかだけでしかない。

マイン河沿いのゾンマーハウゼンのヴァインビュティックでの食事はよかった。外食でのアスパラガスに肉団子を付け合わせたものだ。アスパラガスも冷やしてサラダ風にしてあったと記憶するが、コリコリとソースにも合って良かった。なによりもジルファーナ―を楽しめた。

天気の良い時に街の壁を見ながらテラスで食べれたのが一番だった。中々料理とワインの相性にも力を入れているようなキッチンでその点もワイン処として合格であった。

何ごとも最終的には官能次第ではないか。どのように感じるのか感じないのか、それに尽きるような気がする。所謂それが相性というやつである。



参照:
夏至の週末のお愉しみ 2024-06-23 | 料理
夏至を越えての一雨 2024-06-22 | 暦
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夏至の週末のお愉しみ

2024-06-23 | 料理
今晩はベルリンからの生中継である。フィルハーモニカーのシーズン最終公演で、新シーズン初めは8月の終わりである。ブルックナー交響曲五番とスメタナ「我が祖国」の二曲なので時間を掛けてのお勉強が可能となる。どこまで深くやるべきか。

次の旅行はその夏のツアーでのルツェルンである。よって、シャツも洗濯に出そうと思ったら、7月8日までお休みだった。新品の汚れた白シャツなので早めにどのようにしようかと迷う。

マイン河沿いで購入したジルファーナ―の為にアスパラガスの屑を購入した。先ずやりたかったのはアスパラガスサラダである。その為に賞味期間切れになるサーモンの燻製も購入しておいた。決して安くはなかったのだが、サラダの付け合わせに簡単に食せる。

サラダの方はバター炒めそしてレモン汁とワインで火にかけて、本来ならばサワークリームなのだがクラフトのマヨネーズで合えただけである。歯脆くて思ったよりも美味であった。

このワインはまだ暫く熟成させないと駄目であるが、やはりこうした食事には全く悪くない。これがリースリングとなると魚の臭みなどが目立ちやすくなる。週末には残りのアスパラガスを使って、もう一つの出来上がって仕舞っているグリューナ―ジルファーナ―に合わせて食してみたい。

リースリングが食事に合わせ難いことを考えれば、丁度オーストリアのグリュナーフェルティナーがシュニッツェルに合うように、ジルファーナ―の使い勝手はある。しかし、所詮は個性が弱いのでただの晩酌の退屈なワインにもなって仕舞う。

今回の旅行では新しい靴を履き続けた。それ程快適で問題はなかったのだが、歩く時に踝に当って痛かったので、底敷を購入することにした。つまりシークレットシューズで底上げする靴になる。楔形に0.5㎜から30㎜程迄様々である。素材も色々あるようで、スキーブーツのそれぐらいしか知らなかったので、驚きである。

踵に当らないようにするのが目的なので、0.5㎜では効かない。1.5㎜でも余り前の方に当るようになるのでなければそれでも良いと思う。靴の踵と合わせてあまりにも不自然に膝から下が伸びるようになるとこれまた都合が悪い。まだ次に本格的に使用するまでは時間があるので初めてのシークレットシューズをしっかり拵えたい。

金曜日のお昼のガーデンではアスパラガスは時期遅くかでなかったのだが、鱒を食した。こちらもフォレレミューラリンで久しぶりに食したので大変満足した。そこのフォルスト産のワインはまずまずで決して悪くはないのだが、料理を引き立てるほどの味覚の感覚を刺激するほどの繊細さがないのは仕方がない。いいワインの土地や食事処では食事も優れているというのはこうした因果関係が存在している。

ここは何よりも気持ちの良い中庭でゆっくり食せるのがなによりもの特徴なのでそれ以上に求めることはないのかもしれない。いつの間にかクレディットカードも使えるように高級化してきて、裏側でワインバーも戸外でやるようになっている。



参照:
夏至を越えての一雨 2024-06-22 | 暦
久しぶりの喰った鱒料理 2009-09-22 | 料理
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夏至を越えての一雨

2024-06-22 | 
本年は夜中に雨が降った。しかし野外で最後まで気持ちよく飲めていたのはよかった。午後4時頃から試飲もしていたので、久しぶりにアルコール量も上がった。その試飲もとても成果が上がった。現在の醸造主任になってから最高の出来だった。何年かの年度が良かったのではなく、その技がものになってきたからだ。

比較で音楽監督ペトレンコを引き合いに出すと、「三部作」あたりから自由自在に成って来たその感じに強い。つまり狙っている通りの成果を出して来ているということで、とても信頼できるようになってきた。今後の購買も若干力点を入れれるようになると思う。

グーツリースリングからグランクリュまで選択で比較試飲したのだが、今迄は一度も成功していなかったレゼルヴにおける四年間の酵母への接触での酵母臭零の出来合いは見事というしかなかった。2023年産レッヒべッへルと2018年ゴールトベッヒャルの比較は瞠目で、その瓶熟成の色に拘わらずの新鮮さは驚きだった。後者の土壌からこれだけ出来上がったリースリングを為したことだけでその醸造の腕を賞賛せざるを得ない。

なぜならば何本かギフト用に購入してまさかここ迄出来上がってしまうワインとは思わなかったからである。

味筋としてはダイデスハイムのヴィラージュの良さは、プリミエクリュ化を準備ししているヘアゴットザッカーやモイスヘーレそしてカルクオフェンの地所からのそれが、特に最後の火付け石のスパイシーさはヴェトナム料理や場合によれば豆板醤にも合いそうで、そのような料理で楽しみたい人には御誂え向けだった。そしてヴィラージュ本来の品がエレガント。

テラスでの試飲は暑くもなく、一方にオペラ劇場を望みながら英国庭園が目前に広がる風景は気持ちよかった。ドイツのグライボーン音楽祭を目指したのだが、やはりしっかりした芸術監督がいなかったのが成功にならなかったのだろう。

そしてフォルストのヴィラージュも2023年産で各地で話題になった還元臭もとても上手な処理となっていた。要するに亜硫酸臭には全く結びつかずに、決して否定的な要素とはなっていなかった。しかしながらそれによって濃くのあるリースリングとして飲んで仕舞うと、通常の瓶熟成を待たないことになる。

どのワインをどのように開けていくかの判断は全く個人的な需要に準拠するので、最もその素養のポテンシャルを活かした飲み方にしたいものである。

ワインを収めてから引き続き食事に向かった。いつものガーデンレストランは閉まっていたので、近くのダイデスハイムの農協の貸しているレストランで食した。現在のキッチンは初めてかもしれないが、思ったよりも遥かに良かった。久しぶりにこれだけ美味いビーフを杏子茸ソースで食した。30ユーロ程の価格で腹いっぱいになって、カベルネソーヴィニオンも飲めた。なるほど腹にガスがたまって厳しかったかもしれないが、原因はヴュルツブルクから帰宅後にコーヒーの為に生ミルクを入れられなかったことが胃腸を弱らしていたのだろう。


その後各国の元首がヘルムートコールににって招かれたダイデスハイマーホーフのテラスでビール一杯だけでも夏至が暮れていくのを楽しんだ。



参照:
フランケン葡萄処漫遊記 2024-06-21 | 試飲百景
栄養満点のフルーツパン 2023-12-27 | 暦
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フランケン葡萄処漫遊記

2024-06-21 | 試飲百景
ヴュルツブルク訪問の目的の一つにワインの試飲もあった。四半世紀前に出かけた時は可也上流のフォルカッハとかで物色した覚えがあて、そこのマドンナ像の絵葉書が今も手元にある。その後所謂フランケンヴァインに関しては、リースリングのメッカに住んでいるものとしてはその土壌の石灰質からして評価するのは難しくなって、試飲しに行くだけの価値は見いだせなかった。

要するにすっきり辛口とか言われるそれは、直ぐに黄色くなってしまうような質の悪い表層的な辛口リースリングでしかないとなる。本格的なリースリングは雑食砂岩のエッジの効いた辛口でしかない。

そのような中でもミュンヘンのダルマイヤーなどでのシルファーナーの食事への合い易さなどから見直していた。そこで今回は、時間のある日曜日に開いているVDP加盟醸造所からシュロース・ゾンマーハウゼンに出かけた。オーナーがワイン街道ノイシュタットのミュラーカトワール醸造所の前名親方シュヴァルツの下で修行したということである程度の傾向を掴んで出かけた。

辛口のジルファーナ―とリースリングを一通り試した。やはりお得意はジルファーナ―であって、流石に2021年のヴィラージュワインとなるとスモーキーであってとても価値があると同時に、流石ステンレス熟成名人のそれを習って清潔度と純度からの新鮮度がよいかった。しかし、比較で出されたブラウワージルファーナ―の濃くと旨味は通常のグリューナーと変わらないピュア―さに加えて深みとなっているのだ。二年程は寝かせるワインだというのも直ぐに分かった。

そもそも通常のそれが中世からマインから遠くないカステルという街で栽培されてから、フランケン地方でも広がったようだが、戦後にそこのゾンマーハウゼンで色づいた葡萄を選別して新たなクローンとして栽培が始まった様である。だから本格的にも1985年以来の品種となって、今にあるので初めて出逢っても不思議ではなかった。

その他プルミエクリュのアルテレーベンとか、グランクリュと試したのだが、本数を重ねて楽しめそうなのは上のヴィラージュの二種類しかなかった。つまり、自宅で開けて二本三本目と楽しめるワインというのはそれなりの深みがないといけないということだ。そういうワインはフランケンではそんなにないのである。

結局通常の三本でまだ最後のアスパラガスを食して飲み干してしまい。ブラウワーの方の六本は二年ぐらいかけてゆっくりと試しようと思っている。なるほどこの醸造所は既に息子の代なっているようで、木樽による付加価値化を考えているようだ。私が先代にシュヴァルツ親方のそのものだと伝えてくれと語る一方、その熟成に関して質したからなのだが、実際にグランクリュワインが僅か32ユーロしかしないというのは、VDPの組織やそのコンセプトからすると拙い。

はからずしも、またまたVDPの隠密活動みたいになって仕舞った。最後に印籠を示したところだった。お忍びの独ワインの旅となった。ワイン試飲でも音楽の催し物でも同じような塩梅になってきている。



参照:
ぶらさげてなさい、ボックスボイテル 2010-05-25 | ワイン
よかった宿での食事 2018-10-06 | 料理
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エマニュエル夫人の家

2024-06-20 | アウトドーア・環境
来年一月世界初演初日の席を押さえた。残念乍ら最高の席は定期会員に出ていた。仕方がない。リディア・シュタイヤー演出なのでそれなりに舞台も観察したかったが、奈落のエンゲル指揮と両方への視線は欠かせない。またヴェルトミュラーの音楽自体は分かっていて又楽団の程度も分かっている、寧ろ聴衆の反応の方を確かめたい。

ハノーファーの歌劇場で委嘱作「ミュンヘンのイスラエル」で、初日後にはレセプションもあるようだ。直前に狙っていた場所も戻り券として出るかも知れないので、その時は26ユーロを捨てればよい。劇場に地下駐車場もあるようで、宿も郊外なので面倒な市街地に入る必要もなく、宿からは空いているアウトバーンを通る予定なので大きな問題はない筈だ。厳寒期でも四輪駆動車は心強い。

宿代も50ユーロで、往復1000kmも走らないので燃料も60リットル使用で110ユーロ程となるか。当日発の一泊なので、疲れないように走ることが可能かどうかの試金石となる。

日本から目薬を持って来て貰った。市販品の眼がしょぼしょぼに効くものである。箱を空けると眼の奥の眼精疲労には錠剤と書いてある。錠剤は売り難いので敢えてそうした商売にをしているのだろう。

点眼液にしても二液で両眼に四液を使った。それ以上は使う気がない。就寝前に点したので、なんとなく効いている感じはする。しかしどうもやはりPCを使わない旅行中の様なことにはならないようだ。

それにしても世の中には大馬鹿がいる。自分自身も可也の馬鹿をやっていると思うのだが上には上がいる。話しでは日本の人で、車を停めてブレーキが掛かっていなかったので坂を転がり初めて追いかけても追いつかずに大破させたというのがあった。なるほど坂の多い神戸などでは、二輪車でもギアーが入っていないと転倒する。今回の旅行では日本からの大きなコマのついたトランクを坂の下まで転がしていた馬鹿がいた。下の通りに車が横切ったが大事にならなかった。右手に小さなトランクを持って追いかけられない。そんな間抜けを初めて見た。上には上がいる。

更に間抜けなことに洗った食器等を立てておく籠に、ナイフやフォークを縦において籠から下に落としているのを見ると、これでは幾何への思考以前の問題だと気が付いた。もう一つその職業柄如何にしようもない不器用さを認めたが何が何だか馬鹿らしくて忘れた。自分自身も起用さの無い人間であるが、流石に注意することである程度の事故は避けられる。

宿泊したアパートメントの隣には珍しくプールがあった。南仏では普通であって、泊まったアパートメントでも使えた。しかしバイエルンでは珍しいだろう。それでも窓から見えたのは泊っているところの子供娘やらが一緒に水着で入っていただけだ。流石に昔のように子供も裸で入らなくなったが、水着の綺麗なお姉さんでもないとただ喧しいだけである。

装置などを見ると、ヒートポムプセットが完備しているようで、ただ単にプールが欲しかったのではないと認識した。



参照:
止めている薬用石鹸 2024-05-22 | 雑感
ブーレーズの死へグルーヴ 2024-04-18 | 音
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飽和するぬるま湯環境

2024-06-19 | 
今回の旅行の目的はヘルクレスザールでのBR交響楽団であった。今迄何回も機会を狙っていたが中々都合が合わなかった。日本で取り分け人気のある同放送交響楽団は何度も聴いているが満足した演奏会は殆どない。精々コリンデーヴィス指揮の演奏会ぐらいだったか。それにしてもプログラムすらあまり記憶にないぐらいでその演奏の質が知れていいたことになる。

そして創立以来のこの楽団を育んだホールでの演奏を初めて聴いてとても多くのことが分かった。それだけでも大きな価値があった。新ホールが云々されている今日その意味をもう一度考えてみたい。

先ずホールの響きは抜群だ。しかし同時に直ぐに音が飽和しまうことが分かった。要するにサチッてしまうのである。ピアノソロぐらいなら何とかなってもバロック編成までで、大き目のピアノ協奏曲ではもう使えない。要するに放送交響楽団では使い物にならない。

そういう所で名演奏の歴史を重ねてくるとどのようになるか。それがこの交響楽団の独自のアンサムブルである。何故前任の故ヤンソンスが楽団にも聴衆にも人気があったのかの背景事情もそこにあったのだろう。

似た例では合衆国のビッグファイヴの一つクリーヴランドの楽団が指揮者セルによって育てられて唯一無二のアンサムブルを形成している背景事情に取り分け似ている。あそこのホールも直ぐにサチッてしまうようだ。だから所謂ハモることで音が飽和して仕舞って大きな編成の演奏が出来なかった。それを如何に可能にするかでその伝説のアンサムブルが可能となっていた。セル指揮のそれは今でも日本で一種のカルトとなっていて、その音楽が尊ばれているのである。

同様な現象がこのレジデンス内のホールで演奏してきた放送交響楽団にあって、そして同じように日本の音楽愛好者から専門家までが共通して評価する音楽となったのである。そこの残響の在り方は量感も時間も充分であるが美しく濁りはない。舞台上での跳ね返りのように客席では聴こえないという事象もあるようなのだが、そうした条件が音を乗せていくようなアンサムブルとなっていて、がっちりと拮抗させるような合奏とは全くなっていないのは歴史的である。

そういう合わせ方はまさしく同じレジデンス内の歌劇場で為されるべきもので、管弦楽では精々全古典派迄の音楽でしか当て嵌まらないのである。歌劇においては飽く迄も声に合わせることが最優先なのだが、管弦楽ではそれによって何かを表現しなければ全く意味がないのである。そうなるとその表現力では限界がある。

そして親方日の丸的な楽団運営で、事務方も現場もぬるま湯感が甚だしく、世代交代も順々にしか進まない。今や劇場座付き楽団でもそのようなことでは全くなくて、世界一を守る為には可也の意欲が見られる。明らかに放送交響楽団という存在が時代遅れの回顧的なものになりつつある好例である。そのような楽団には新しい音楽すら演奏は不可能だ。



参照:
ブラームスのセレナーデ 2024-03-15 | 音
陽が射すうちに一仕事 2023-10-20 | 暦
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