Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

セカンドでも駄目?

2024-07-05 | 生活
天候の変化で体調が優れない。優れないと中々ベットから起きれない。前日に運動できなかったのも天候もあるが体調も優れなかったからだ。最近はそのような日は眼がしょぼしょぼして眼も醒めにくい。頭も冴えない。追々仕事も捗らない。肩も凝ってくる。

日本からお土産で貰った納豆は期限切れ一週間ほどで食べ終えた。問題はないとは思ったが、黴でも生えてくるといけないと思った。三種類の豆の大きさがあったが、やはりあまり小さなものは食べ甲斐もなく、かえって食べにくかった。大き目の方がやはり扱いやすい。

また宇治の新茶も開けた。やはり新茶の葉緑素の清涼感はダージリンよりも遥かに勝る。夏の新茶とはこれまたなんと贅沢なものだろう。後者に関してはファーストでなくてもセカンドでもいいという結論だ。焙じているので、葉緑素の爽やかさとはまた異なるからだ。しかし意外にセカンドのオファーは少なく、どうしてもミックスの素材になって仕舞うのだろうか。

ワインにおいても似たようなことはあって、グランクリュの先落としはセカンドとして売られる場合もあるのだが、多くはプリュミエ―クリュを大切に売らないといけない場合が多くて、どうしてもヴィラージュやその下のワインに混ぜられることが多い。2017年ヴァッヘンハイマーは出来上がり過ぎていて、先日の試飲でエティケットに傷を入れてある非売品を一本貰った。

するとなると多くの場合は醸造所で耳寄りな話しを聞いて判断することになる。ワイン街道ではグランクリュのそれの特徴を特に葡萄の木がまだ若いなどで充分な果実熟成とならない時にはヴィラージュに入れられることが多い。そこに目をつけるためには、何処の区域が新しくされたかなどの現地情報を自分自身で掴んでおく必要がある。

古い木には特に根が伸びて土壌のミネラルを強く反映するなどのそれなりの利点もあるのだが、収穫量が落ちるだけでなくて、十分に熟成する果実となり難いなどの問題もあるようだ。だから、区画ごとに新たにそれににあったクローンを植えて、クリュの実力に則った葡萄作りがなされる。潜在能力のない古木を大事にしていても始まらないからだ。

6月のヴァルトビューネの実況中継録画もDCHにアップロードされたようだ。それ以前にベルリンでの「我が祖国」もアーカイヴ化されているので、双方ともハイレゾで聴けるようになった。復活祭で貰って来たただ券をまだ使っていないので、次のただ券が配券される前に使おうと思う。事実上8月末の夏のツアーに向けての準備となる。

車の塗装の手を入れたところがまた剥げてきたので、まだ暫く乗るために余りにも目立たない様に少し手を入れておこうと思った。残っている材料を調べると、少なくとも下塗りの素材は混ぜれば使えそうだ。色と光沢液は乾いてしまっているので使えない。

それでも先ず錆部分を時間を掛けてサウンドペーパーで落として、表面を綺麗にしてから、下塗りまでしておこうと思う。下塗りの為の刷毛も新品の様にあって全く問題がない。ベルリンで潰した前は余り直しようがないが、錆の部分だけでもあまり目立たない様にしておくと停車を命じられる危険性も減ると思う。2018年に修理したのが最後のようだ。今回は使えるマスクも余っていて作業しやすい。



参照:
今回の脱落と修理 2018-10-08 | 生活
パーティの王のケーキ 2018-12-23 | 料理
コメント (2)
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