Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ブラームスのセレナーデ

2024-03-15 | 
ブラームスのセレナーデ二番イ長調、子供の時から交響曲的な作品だという認識はあった。今回初めて詳しく見て行くと、思っていたよりも面白い。なによりも最近の演奏では、例えばコロナ期間中に無観客で放送されたBR交響楽団をサイモン・ラトルが振ったものでもその音楽の構造がよく見える。二管づつの管楽器にバスの弦楽が支える形になっているのだが、パッサカリアになったりで、この作曲家のαからΩとなるような作風だと気が付いた。

半世紀前の演奏は、何もNHKで当時の大木や藁科などの音楽評論家が特に選択したという訳でもないだろうが、ブラームスの情緒的な側面が強調された和声の響きしか分からないような演奏が持て囃されていた。

勿論ブラームスがクラシックのセレナードの原点に戻って創作したという認識は解説されたとしてもそれがどのような音楽的なエポックで以って新たな芸術への意志によって創造されたかまでは音響的に認識されなかった。

具体的には、浪漫派とされる五里霧中なものから後期浪漫派とされる形式化がなされる過程での古典回帰の所謂新古典主義とされる運動のエポックである。有名な梅毒に侵されたシューマンの浪漫から奥さんのクララのピアノ演奏がそうであったとされる古典的な均整美への憧憬でもある。

そうした音の重なり合いの妙は半世紀前にはまだまだあまり顧みられなかった傾向がある。この件は実はブラームスの交響曲四番における所謂シュタインバッハ版などの比較的小編成の交響楽団による瀟洒な演奏から巨大な大管弦楽団へと演奏形態が肥大化していった社会的背景があって、それがまた戦後の磁気録音のLPからステレオへと複製芸術の技術的な発展とも関係があって、カラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカーのブラームスの音響として完成していた。

今月には二回その交響曲四番を聴くことになるのだが、日本でも11月にペトレンコ指揮で録画されたものがもう一度再放送されるようで、そこからの更なる演奏として期待されるところである。

今回上の録画を改めて聴いてみて、コロナ期間中の特別な背景もあってかとてもよく準備されていたようで、素晴らしい音程で声部が重ねられたりしていて聴きごたえがある。なによりも、ブラームスのその筆捌きはやはり惚れ惚れするものである。ブラームスというとどうしても晩年の髭の加齢臭の漂うような写真が有名であるが、その若い姿はやはり魅力的であったろうと思わせる。

もう少しお勉強が出来れば、昨年からの流れで、この作曲家の全体像が今月で何とか描けるようになるのではないかと思っている。今回は弦楽六重奏一番変ロ長調も演奏されるのだが、そこでも本来の弦楽奏法なども少しは思い描いてみたいと思っている。なにかいい録音はないかネットを探してみたい。先ずはこれまたコロナ期間中のエルフィーでのベルチャ四重奏団を核にしたヴィデオを流してみる。



参照:
歌曲の会で初めて聴く 2024-03-14 | 生活
演奏実践の歴史的認識 2024-02-18 | マスメディア批評

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