■アンナ・マグダレーナ の平均律 第 2巻 6番の写譜は、Bachの意図どおり■
2013.8.25 中村洋子
★ 8月 26日 (月)、 KAWAI 「 横浜みなとみらい 」 で開催します、
第 13回 「 Chopin が見た平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 」 は、
第 1巻 13番 Fis-Dur です。
この 13番から、Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) や、
Chopin ショパン (1810~1849) が学び取ったものは何かを、
13番の詳しいアナリーゼとともに、お話する予定です。
★しかし、Bach のこの 13番にも、 「 源泉 」 があります。
Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678 - 1741) や、
Alessandro Marcello アレッサンドロ・マルチェッロ(1669 - 1747) です。
このイタリアの大家たちのコンチェルトを、
Bach は、独奏鍵盤作品に、編曲しています。
Vivaldi や Marcello のコンチェルトと、 Bach の編曲作品とを、
比較検討することで、 「 源泉であるゆえん 」 が、よく見えてきます。
★Bach が彼らから学んだものが、「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」、
6番 d-Moll に、 豊かな果実として結実しているのです。
30日(金)に KAWAI 表参道で、開催します
第 4回 「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 ・アナリーゼ講座 」 で、
この 6番 d-Moll を、勉強いたします。
★6番 d-Moll の London Manuscript は、
Bach の妻アンナ・マグダレーナ Anna Magdalena Bach
(1701~ 1760) の、写譜です。
Bach 本人の自筆譜は残っていないのが、残念ですが、
Annaの写譜を、詳細に検討しますと、
それは、Bach 本人の意図通りで、大変に信頼がおけるものである、
ことが、よく分かります。
★これが、 Robert Schumann ロベルト・シューマン (1810~1856)
になりますと、少し事情が異なってきます。
Schumann の妻 Klara クララは、立派なピアニストであり、
作曲した曲も残っています。
そのため、 Klara 校訂の Robert Schumann の楽譜には、
校訂者としての Klara の 「 考え 」 が、注入されており、
Schumann の天才的な意図を、 Klara が見抜けず、
凡庸なものに変質させているところが、
かなり、見受けられます。
★Johannes Brahms ブラームス (1833~1897) と、
Klara との、晩年の仲違いも、
ゴシップ好きの人たちが喜びそうな、恋愛感情によるものではなく、
Schumann 作品に対する、校訂の在り方について、
考え方の相違から、起きたものではないかと、
私は、思います。
★ところが、 Anna Magdalena の写譜した 6番 prelude & fugue を、
私が、実際に書き写して、実感しましたのは、
Anna Magdalena は、Bach 本人の作曲意図を、
寸分も歪めてはいないであろう、ということです。
★Anna Magdalena の写譜を、書き写す作業は、
実は、大変な作業でした。
その理由は、ソプラノ記号で書かれた上段と、
バス記号での下段とが、ずれている場所が多いためです。
★例を挙げますと、 prelude 冒頭 1小節目の 2拍目右手 ( ソプラノ ) は、
16分音符 a1 g1 f1 e1 ( ラ ソ ファ ミ ) で、この 「 a1 」 は、
左手の四分音符 「 D ( レ )」 とは、垂直関係、つまり、
「 a1 」 の真下に、 「 D 」 が置かれなければなりません。
★しかし、 Anna の写譜では、 16分音符 二つ目の 「 g1 」 の下に、
「 D 」 があります。
これくらいの相違は、手書譜ではよくあることですが、
Anna の写譜した 6番では、半分近くの小節が、ずれているのです。
★どうして、そんなにずれたのでしょうか?
一般的に、ある曲が完成し、下書きを、効率的に清書する際は、
上の段だけをまず書き、その後、下の段を写すことが多いのです。
作曲家本人が清書する場合は、絶えず 「 和音 」 を意識しますので、
それほど上と下が、ずれることはないでしょう。
★しかし、 Anna は、育児や大家族の世話、家事でとても忙しい中、
その合間に、急いで写譜をしていたのですから、
かなり、上と下が、ずれても仕方がないことだったと、いえます。
★さらに言えば、夫の Bach を尊敬して信頼していたからこそ、
20世紀や 21世紀の編集者のように、
Bach の “ 間違いを直してやろう ” というような、
尊大な意識、いらぬお節介は、
微塵もなかった、といえます。
★「 ずれている 」 から、楽譜として価値が低いのではなく、
「 ずれている 」 ことが、Bach の書いたままを、
ひたすら、写した証しである可能性が強く、
≪ 価値のある楽譜 ≫ と言うことができると、思います。
Schumann と Klara との関係とは、全く、異なるのです。
★これは、私が自分の手で、実際に、
この 6番写譜を、書き写したから
気付いたことであると、感じております。
このようなことも、講座でお話しいたします。
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