■6番 preludeは、実は4声対位法、fugueは半音階に複雑精緻な和音■
~第 4回「平均律2巻・アナリーゼ講座」 第 6番 d-Moll 前奏曲とフーガ~
2013.8.29 中村洋子
★明日は、KAWAI表参道での、
第 4回 「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻・アナリーゼ講座 」
第 6番 d-Moll BWV875 prelude & fugue です。
★この講座の為に、第 6番の CDを聴きました。
Ton Koopman トン・コープマン(1944-)の演奏は、素晴らしいものです。
海外版の CDは、解説を見識ある方が書いていますので、それなりに、
読み応えのある内容になっていますが、今回、聴きましたのは、
日本版の CDでしたので、解説が、相変わらず陳腐です。
★『 第 6番 ニ短調プレリュード: トッカータ的な 2声のインヴェンション・・ 』
とあります。当ブログで再三、 「 インヴェンション 」 との比較が、
二重の意味でおかしい、という事をご説明しています。
孫引きを繰り返しますと、どの解説にも同じ解説が顔を出し、
あたかもそれが、定説で真理であるかのようになってしまいますのは、
本当に困ったことです。
★日本で昔から、有名な平均律の分厚い解説本には、
このプレリュードを、『 平均律 1巻によく見られる練習曲風な生い立ち 』 と、
解説しています。
Bach の作品を、読み込む力がございませんと、
外見は、ほとんど二声で作曲されているように見えるため、
二声のインヴェンションのように、見えるのかもしれません。
しかし、この曲は ≪ 四声部の countepoint 対位法 ≫ ですし、
もっと注意深く、観察しますと、
≪ 5声 ≫ 、 ≪ 6声 ≫ で演奏しなければ、
その真価は、発揮できません。
★明日は、 “ 一見、二声 ” の、単純にも見えるこのプレリュードで、
バッハの意図した 「 声部 」 、 「 音色 」 、 「 骨格 」 とは、
どんなものであったかを、お話します。
★そのためには、 prelude にしましても、
fugue にしましても、
和声を理解することが、最優先の課題となります。
★平均律クラヴィーア曲集の解説で、
「 主題 」 や 「 主要 Motiv ( 動機 )」 を 取り出し、それを、
図式化し、並べて陳列しましても、それは、
オペラの登場人物の出番を、列記するだけと同じようなことであり、
それで、そのオペラが分かったことにはならないのと、同じです。
★平均律は、まず、「 和声の理解 」 が重要です。
それができますと、この 6番 prelude & fugue の巨大な世界が、
浮かび上がってきます。
★プレリュードの 「 London Manuscript ロンドン自筆譜 」 を、
詳細に見ますと、
当初、10、11小節目は ≪ g-Moll ≫ で、書かれていました。
旧 10、11小節の後は、すぐ、現行の 18小節目へと、つながっていました。
しかし、この旧 10、11小節は、竹矢来のように、斜線がたくさん引かれ、
消してあります。
★そして、 9小節目と 10小節めを区切る小節線の真上に ≪ F≫、
その真下にも、 ≪F≫ と力強く書き込んでいます。
さらに、楽譜最下段の下の余白部分に、また ≪F≫ ≪F≫ と大きく記し、
現行の、 10小節から 17小節までを、新たに挿入しています。
何故これほどまでに、バッハは ≪ F-Dur ≫ にしたかったのでしょうか?
短いとはいえ、 推敲前の ≪ g-Moll ≫ の 2小節も、
大変、美しいものです。
★6番 fugue フーガは、その半音階につけられた和声の複雑精緻さに、
感嘆します。
Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー (1813~1883) の半音階が、
単純にみえてしまいそうです。
Wagner が、あれだけ熱狂的に迎えられ、いまでも続いていますのも、
彼の和声がとても分かりやすく、受け入れられやすいからである、
とも思えるのです。
★明日の講座では、Bach が手直しした部分を、
どうしても ≪ F-Dur ≫ にしたかった理由や、
Bach の ≪ 半音階和声 ≫ のどこが、どれほど凄いのかも、
ご説明します。
★このように分析をしていきますと、
第 6番 prelude を ≪ 練習曲風≫ というのは、
本当に、恥ずかしいことです。
どうぞ、そのような分厚い解説書をお持ちでしたら、
くれぐれも、お気をつけてください。
何かおかしいな、と思う直感を大切にしてください。
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