■限りない優しさがにじみ出る、シェルヘン指揮 「 フーガの技法 」 ■
2013.8.8 中村洋子
★Bach の 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ
平均律クラヴィーア曲集 第2巻 」 を、探求しますには、
「 Die Kunst der Fuge フーガの技法 BWV 1080 」 の勉強が、
欠かせません。
★私は毎日、 Hermann Scherchen ヘルマン・シェルヘン 指揮の、
CD を、聴いています。
この CDは、 [ ARPCD 0251-2 ]
ARCHIPEL DESERT ISLAND COLLECTION
Instrumentation : Roger Vuataz
Zürich 21. 11. 1949
★第2次世界大戦から、およそ4年ほど後の録音です。
あのむごい戦争を体験した人にしか、
表現できないのではないかしら、と思うほど深い演奏です。
人間の奥深い感情、 根源的な温かみ、限りない優しさ。
それが、全曲を通して、にじみ出ています。
★ 「 Die Kunst der Fuge フーガの技法 」 は、無機質だ、
学究的で、干からびたような演奏が多い、と思われている方が、
きっと、多いことでしょう。
しかし、そうではないのです。
Bach の音楽は、限りなく、甘く切ないのです。
無機質な演奏は、奏者の質の問題なのです。
この夏、特にお薦めの CDです。
★この Scherchen シェルヘン 指揮の Die Kunst der Fuge は、
昔の録音で、音質がそれほど良くはなかったのですが、
それを、 remastering リマスタリングして、立派な音質に再生し、
もう一度、 「 世に問う 」 という仕事をした、
ドイツのレコード製作者の姿勢にも、拍手を送ります。
この remastering で、 Scherchen の名演が、
新しい生命を、得ました。
★とはいえ、最近の録音では、 TON KOOPMAN と TINI MATHOT
による、 Harpsichords の CDも、お薦めしたい 1枚です。
[ WPCS 21129 ]
★この Die Kunst der Fuge フーガの技法 については、
8月 30日に、KAWAI 表参道で開催します
「 第 4回 平均律クラヴィーア曲集 第2巻 アナリーゼ講座 」 でも、
お話いたします。
★当ブログでご紹介してきました Valery Afanassiev
ヴァレリー・アファナシエフ (1947~ ) の 「 ピアニストのノート 」
には、大変に貴重な警世の句に満ちておりますので、
もう少し、ご紹介いたします。
★ポスターに 「 X とその友人たち 」 の文字が躍る。
しばしば、20人もの友人や親類縁者がステージに並ぶ。
ロマのキャンプが、ザルツブルクから日本にまで移動してゆく。略。
ああ、これ本物のロマのキャンプではないのだ、本物のロマのキャンプでは、
ヴァイオリン弾きやダンサーの才能は桁外れなのだから。
ロマの音楽ではなく、モーツァルト 、ベートーヴェン、ブラームス の音楽が、
耳障りな音でかき鳴らされる。
ところが、聴衆は、嗜虐趣味の持ち主というわけでもなかろうに、この音楽への虐めに沸き返る。
★女友達が、世界中で知られている著名なマネージャーと話す機会があった。
アーティストを選ぶ際の基準、を彼女に話して聞かせた。
「 音楽的才能ですって?誰がそんなことを気にします。
ともかくセクシーでなくちゃ 」
★何人かのスーパースターの顰に倣って、むしろコンサートをキャンセルしなければならない。
キャンセルするのは、病気だからではない。自分の価値を吊り上げるのだ。
例によって、演奏は問題だらけだが。
意図的にキャンセルすることで、“あの演奏家の実演は、なかなか聴けない”、
という“宣伝”になるのでしょう。
★大音楽家として認めてもらうためには、何をすればよいのだろう?
場違いなピアニシモについては、すでに述べた。
だが、しばしば、曲が終わった後で、しばらく身動きしないだけでも十分だ。
リストの 「 ピアノソナタ ロ短調 」と、チャイコフスキーの 「 悲愴 」 は、この手のごまかしにはうってうけの曲だ。
これは、演奏終了後、指揮者やピアニストが最後の音を弾き終えたままの姿勢で、固まってしまったようなポーズをとることを指しています。近年、たびたび目撃する光景です。その音楽の内容とは、全く無関係な演出、パフォーマンスです。 Afanassiev は、これを指しているのでしょう。
★ダメな指揮者が指揮台を降りようとしない。
聴衆の方は拍手できない。略。
トスカニーニは、演奏が終わるとさっさと指揮台を降りた。
音楽愛好家の耳にその交響曲がーー彼が指揮した曲全体がーー刻み込まれ、
何日も何週間も彼らがそれを反芻し続けるであろうことを知っていたのだ。
今日では、コンサートが終わってしまえば、記憶の中でその音が鳴り響き続けることはない。
しかし、指揮台にくぎ付けになっていた指揮者のことは忘れない。
★ある指揮者が、誰でも知っている超有名はさるテノール歌手に関して 「 われわれの音楽的聴覚を30年間にわたって台なしにしてきた 」 と言った。略。
音楽の病には潜伏期間がない。音楽を冒涜する者の奏でる音楽を聴けば聴くだけ、ますますウイルスに感染する。
最も深刻な病とは、自分がそれに罹っていることに気づいていない病なのだ。
★音楽愛好家の大方の意見とは逆に、それが音楽の名に値する高みにあるのであれば、私は CDにも DVDにも反対ではない。
私にとって、 CDや VDVは 「 古臭い音の缶詰 」 ではない。
過去の偉大なアーティストたちは、現在、ステージ上で演奏し、いかなる艱難辛苦にも耐えうる健康を享受している連中よりも、はるかに活き活きとしているのだから。
★今から半世紀以上も前に録画されたトスカニーニのコンサートの映像を観て、私は多くのことを学んだ。
偉大な芸術家は、時の隔たりをなくしてしまう。
「 現在 」 の奴隷になっている、粗悪な料理ばかりを出している安食堂の店主たちについては、このように言うことはできない。
彼らは、時間の流れが止まらないことを知っていて、いま生きているということだけが、取り柄の食物を、絶え間なく、私たちの喉に詰め込もうとしている。
というのも、自分の家でだけでなく、コンサートホールでも自分たちの演奏を聴かせたいというのが、彼らのお望みだからなのだ。
だが、トスカニーニのビデオはもう、品切れになってしまった。
★ 「 あとがき 」 での質問:なぜあなたは、若いピアニストに 「 平均律クラヴィーア曲集 」 とベートーヴェンのすべてのソナタを遅くなり過ぎないうちに、勉強するように、勧められているのでしょうか?
答え:今日では、バッハやベートーヴェンによって教育されていない生徒たちを相手に、教師が好き勝手なことをしています。
その生徒の先生だけが、そして、
若手ピアニストたちのビデオだけが、生徒らに影響を与えるのです。
私はこんな状況が1千年も続くのではないかと恐れています。
★月刊の クラシック音楽情報誌を、見ていましたら、
見開き2ページカラー写真による、派手な演奏会の宣伝が、
掲載されていました。
★ 「 必聴&必見! 驚異の超絶技巧デュオ 」
リムスキー・コルサコフの 「 熊蜂の飛行 」 を、
これまでのギネス認定の早弾き記録 “ 1分 5秒 ” を塗り替える神技、
非公式ながら “ 53秒台 ” を記録したとか・・・。
★音楽ではなく、 「 曲芸 」 や 「 大道芸 」 が、
大手を振って、日本のクラシック音楽市場に、登場していたのです。
Scherchen シェルヘン の 「 Die Kunst der Fuge
フーガの技法 」 の世界との距離は、いかほどでしょうか。
「 行きつくところまで、行きついた 」 という感慨を抱きました。
「 現実 」 が、Afanassiev の危惧を既に、通り越しているのです。
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