音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■シューマン・「ヴァイオリンコンチェルト」の初演が抱える問題■

2009-09-21 23:58:59 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■シューマン・「ヴァイオリンコンチェルト」の初演が抱える問題■
                          09.9.21 中村洋子


★シューマン Schumann(1810~1856)の晩年について、

昨日のお話の、続きです。

シューマンは、1853年5月、22歳だったヨゼフ・ヨアヒム

Joseph Joachim(1831~1907)のヴァイオリン演奏に感動し、

彼のために、9月21日~10月3日まで、わずか13日間で、

「ヴァイオリン・コンチェルト」を、書き上げました。

20歳のブラームス Brahms (1833~1897)が、シューマンを訪問したのが、

9月30日ですから、ちょうど、「ヴァイオリン・コンチェルト」を,

書いている最中でした。


★ヨアヒムは、このコンチェルトを、大変に喜びましたが、

不思議なことに、シューマンの要望にもかかわらず、

それを演奏することは、ありませんでした。

さらに、『出版も、演奏もするべきではない』と、

ヨアヒムとクララ・シューマン、さらにブラームスも加えた3人で、

申し合わせ、“封印”してしまいました。

このコンチェルトに、作品番号が付されていないのは、

それが理由、とみられます。


★「封印」の理由は、定かではありません。

この曲が、陽の目を見たのは、84年後、ナチの興隆期の1937年。

11月26日、ベルリンのシャルロッテン・オペラハウスで、

Georg Kulenkampff ゲオルグ・クーレンカンプのヴァイオリン、

カール・ベーム指揮のベルリンフィルで、初演されました。

ヒットラーも臨席した、ナチのプロパガンダとしての演奏会であり、

放送で、世界中に流されました。


★この初演に至るまでは、さまざまな政治的駆け引きや、

暗闘があったようです。

当時、ナチにより、ユダヤ人作曲家の曲は、どんな名曲でも、

演奏は、不可能になっていました。

例えば、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトなども、不可。

そういう状況下で、このシューマンのコンチェルトが、

1937年に、“再発見”されたようです。

シューマンは、ユダヤ系ではなかったからでしょう。


★この楽譜は『シューマンの死後、100年間は出版してはならない』

という、「但し書き」付きで、ヨアヒムの息子のヨハネスに、託され、

ベルリンの 「Prussian State Library」 に、保管されていました。


★ヨアヒム・ファミリーのなかには、この曲を聴きたいという人も、

早くから存在し、その一員で、イギリスを舞台に活躍していた、

ジェリー・ダレイニー Jelly d'Aranyi という、

女性ヴァイオリニストが、初演を、熱望していました。

また、若き日のユーディ・メニューイン Yehudi Menuhin (1916~1999)も、

その楽譜のコピーを入手し、同様に、初演に意欲を燃やしていました。


★しかし、ナチは、ユダヤ系の上記二人のヴァイオリニストには、

初演を許さず、ドイツ人・クーレンカンプが、初演の栄誉に浴しました。

しかし、これは、シューマンのオリジナル譜面ではなく、

かなり、手直しされた楽譜によって、演奏されました。

パウル・ヒンデミット Paul Hindemith (1895~1963)が、手を加え、

さらに、クーレンカンプ自身も、同様に手を加え、

オリジナルとは、かなり異なった内容になっていたようです。


★クーレンカンプは、友人のヴァイオリニスト、カール・フレッシュ

 Carl Flesch(1873~1944)への手紙で、『私は、ヴァイオリンパートを

直した。ヒンデミットがやったように。直したところは、両方とも似ている

ので、両方を少しずつ演奏した。私の意見では、手直ししないままの

オリジナル楽譜は、弾けない。

シューマンは、何度もヨアヒムに演奏するよう、頼んだそうだが、

オリジナルのままに、初演されなくて、シューマンはなんと、

ハッピーであったことだろう』と、書いています。


★(以上の経過や引用などは、主に、Great Violinists・Menuhin 

NAXOS Historical ADD 8.110966 の英文解説(Tully Potter)に、

拠っています。このNAXOSの解説は、日本CDの薄っぺらな解説と異なり、

大変に充実した内容で、素晴らしいものが多い、といえます。)


★NAXOS の解説で、Tully Potter は、この手紙について、

「arrogant」(傲慢)と、書いています。

また、直された楽譜について、「mangled version , with cuts in the

orchestral tuttis,」と書いています。

つまり、「ズタズタにされている」、と指摘しています。


★クーレンカンプの初演後、メニューインは、同年12月23日、

ニューヨークで、ウラジミール・ゴルシュマン指揮の、

セントルイス交響楽団で、アメリカ初演を果たします。

これは、シューマンの「オリジナル楽譜」どおりの演奏でした。


★翌1938年2月、メニューインは、ジョン・バルビローリ指揮の、

ニューヨークフィルで、このコンチェルトを録音し、

それが、上記 NAXOS Historicalシリーズの一つ

「 Menuhin  SCHUMANN DVORAK 」として、出ています。

「メニューインが戦前に残した録音のなかで、最高のものである」と、

Tully Potterは、記しています。


★私も、まことに素晴らしい演奏であると思いますし、さらに、

クーレンカンプが、なぜ「手直ししないままのオリジナル楽譜は、

弾けない」と言ったのか、全くのところ、さっぱり分かりません。



★この「クーレンカンプの手直し」は、いろいろと考えさせられます。

このシューマンのコンチェルトに限らず、作曲家と演奏家との

関係を考えるうえで、永遠の相克とでもいうべき、

厄介な問題、かもしれません。


★演奏家、一般化すれば、誰にも自己顕示があります。

まして、その時代のドイツを代表する大家、マエストロの

クーレンカンプとしては、自分がいままで刻苦勉強し、

到達した自己の音楽観が、当然、牢固として、築かれています。

そこに、いままで誰も演奏したことのない曲、“天才シューマン”が、

約1世紀前に作った曲が、出現し、初演することになります。

“天才”の作品は、往々にして、音楽的常識とはかけ離れていますし、

さらに、20世紀前半のある種、大袈裟な演奏様式と、シューマンの

ある種、簡素で、潔癖な音楽とは、相当異なっています。

オリジナル楽譜どおりでは、「分からない」、「面白くない」、「変だ」と、

クーレンカンプが感じる場所が、多分、たくさんあったはずです。

そこで、どうするか?


★誰もいままで聴いたことがない曲である以上、人間の心理として、

自分にとって「よく分からない」ところなどを、特に、

自分が納得する形に手直しして、より“完璧な”、

素晴らしい作品にしたい、してあげたい、

という、心理が働くのは当然かもしれません。

それは、自己顕示に裏打ちされたものかもしれませんが、

純粋に“よりよくなる”と信じ、善意によるものかもしれません。


★しかし、残念ながら、その手直しは、あくまで、20世紀前半の、

クーレンカンプの音楽観に基づいた、彼の音楽であり、

シューマンが意図した音楽とは、かけ離れたものに、

ならざるを、得ません。

単純にいえば、クーレンカンプの理解力が、足りなかっただけの

ことかもしれません。

それを、「傲慢に」あるいは、「善意から」、直したのでしょう。


★このことは、シューマンの妻、クララ Clara(1819~1896)についても、

実は全く、同じことがいえます。

シューマンの死後、夫のピアノ曲を、クララが校訂した際、

フレージングやアーティキュレーションなどを、実に実に、

常套的に、直し、改竄して出版してしまいます。

そのオリジナルなフレージングやアーティキュレーションにこそ、

夫の天才が、発揮された肝心なところなのです。


★クララは、当時、大変に有名で、素晴らしいピアニストでしたが、

しかし、彼女の夫の作品への理解が、夫の天才の、大きな領域にまでは、

達することはできなかった、という証拠ではないかと、思われます。

それゆえ、オリジナルなままでは、どうしても自分に納得がいかず、

常識的な形に直し、つまり、自分で納得のいく楽譜にした、

ということなのでしょう。

オリジナル楽譜では、複雑で統一のとれていないように見える

表現の多様性を、“常識の目”で見て、画一的な表記に、

きれいに整え、“カンナを掛け”、書き直してしまったのです。


★クララは、晩年のシューマンの様式を、「心の病による創作力の低下」

としか、見ることが出来ず、若い頃の作品と比べて、

低く評価していた、と思えます。

作曲家の、「晩年の様式」というのは、ベートーヴェンにしても、

フォーレにしても、厳然として存在し、それは、若いころの作品様式と、

優劣をつけるべきものでも、ありません。

シューマンの晩年の様式は、彼が追求した作曲技法の到達点とも、

いえると、思います。、

こうしたことを、ベッチャー先生とお話していましたら、

先生も、同感で、「晩年のシューマンはどれも素晴らしく、

Clara is wrong」とおっしゃっていました。


★現在も、シューマンのピアノ作品の普及版楽譜は、

クララ校訂版を基にしたものが、依然として広く、出回っていますので、

慎重に楽譜を選び、いわゆる「Urtext」(原典版)とも、

必ず、比較することが重要です。


                  (紫式部の実)
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