音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Chopin ショパンの「子犬のワルツ」は晩年の大傑作■ ~半藤一利さん「歴史は四十年ごとに繰り返す」~

2021-09-05 15:23:04 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Chopin ショパンの「子犬のワルツ」は晩年の大傑作■
   ~半藤一利さん「歴史は四十年ごとに繰り返す」~
              2021.9.5 中村洋子

 

 

 

 


★オリンピックとコロナの暑い8月も、過ぎ去り、

長月9月も、もう第2週です。

早生の稲穂は、たわわに穂を垂れ、青柿は実り、

ススキは黄金色になる前の、青みがかった穂と茎が

初秋の風にたなびいています。


ヤマボウシの紅色の実は、口に含みますと、

南の国の濃厚な果実ドリアンにも似た、香りと甘さです。

我が家はテレビを持ちませんので、オリンピックは全く見ず、

仕事と読書と散歩の、一ヶ月でした。

 

 

                           (ヤマボウシの実)



★仕事が忙しいと、つい仕事からの息抜き(逃避?)の

時間が長くなり、益々読書が楽しくなります。

半藤一利さんの本を、読み続けています。

「語り継ぐこの国のかたち」(大和書房)の本の帯には、

「戦争がなかったことになる前に」と、大きな青い文字で

書いてあり、その横に小さく、<解説>を担当した内田樹氏の言葉

「半藤さんの計算が正しければ、次の「敗戦」まであと10年ー」が、

添えられています。


★この意味は、半藤さんの言葉
「人間がかわると、ものの考え方が変わります。国家に目標がなく、
国民に機軸が失われつつある現在のままでは、
また滅びの四十年を迎えることになる。
次の世代のために、それを私は心から憂えます。」


★その真意を、本分から引用しますと、

『歴史の「四十年サイクル」』
そのサイクルには、ある一定の年数があるんです。
四十年ずつで大体日本人は変化を求めたがる。

これは、四十年たつと世代が変わるせいかも
しれません。日露戦争後の四十年の間に世代が交代して、
維新を生き残って明治を作ってきた人たちがいなくなる。

 

★そして明治の栄光だけを担った人たちが、第一線にでてくる。
戦中・戦後苦労して、苦闘して民主国家・平和国家を作って
きた人がほとんど去った後に、経済的な栄光だけ持った人が、
二世三世となって跡を継いで各界のリーダーになったのと
同じです。人間がかわると、ものの考え方も変わります。

 

★この理論でいくと次の転機は2032年ですが、国家に目標がなく、
国民に機軸が失われつつある現在のままでは、また滅びの
四十年を迎えることになる。
次の世代のために、それを私は心から憂えます。



「過ちがくりかえされる構造」という章の冒頭では、

こうも書いていらっしゃいます。

「起きると困るようなことは、起きないということにする」
というような、非常識な意識。それと同時に、
失敗を素直に認めず、その失敗から何も教訓を学ばない
という態度。そうした傾向がどうも日本人のなかにあります。

 

 



 


★やれやれ図星ですね。

半藤さんの”歴史の「四十年サイクル」”説は、音楽の世界にも

当てはまるような気がします。

今から40年前は1980年代、その40年前は1940年代。

第二次世界大戦は、1939年から1945年までの戦争。

ですから、1940年代は前半は戦中、後半は戦後。


Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

(1886-1954)、

Pablo Casals パブロ・カザルス(1876-1973)、

Edwin Fischer エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、

Yehudi Menuhin ユーディ・メニューイン(1916-1999)・・・・

人類の宝ともいえる音楽家がひしめいていた時代です。

Sergiu Celibidache セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)は、

1945年に、ベルリンで本格的な指揮活動を開始しています。


★彼らに共通していることは、大作曲家の作品を、

生まず弛まず、研究して学び、勉強しつつ、

それを湧きあがる情熱で、演奏したことです。


★その40年後の1980年代は、大半の大音楽家は世を

去りましたが、彼らのお弟子さん、後継者、彼らの演奏で

育てられた音楽家と聴衆は、まだまだ健在でした。

ちょうど日本の戦後と同じく、戦争体験者が社会の大本を、

まだ支えていたので、道を大きく外れることへのブレーキが

効いていたのです。


★そして、今日はどうでしょう?

大作曲家の作品を敬い、虚心に学ぶことを軽視した、

サーカスのような演奏が、跳梁跋扈してはいないでしょうか?

半藤さんの、本の帯の言葉の顰(ひそみ)に倣えば、

≪クラシック音楽がなかったことになる前に≫、

何とかしなければ!

それとも≪人間がかわると、ものの考え方が変わります≫ので、

音楽は、表面(おもてづら)だけが刺激的で、空中ブランコのように、

興奮して楽しむことができれば、それでよいのでしょうか?

 

 

                              (胡桃の実)

 


★大作曲家Claude Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918)は、1915年に、ショパンの『ワルツ集全14曲』の

校訂版を出版しました。

序文で、こう書いています。


『ショパンの音楽は、世界で最も優れた音楽のひとつです。
1915年にこのように私が断言することは、ただ単なる賛辞では
なく、ショパン音楽のもつ重要性や現代音楽への影響力を
無視することはできないからです。』(中村洋子訳)

ドビュッシーがこの序文を書いた1915年の、80年前

(40年×2)は、1835年、ちょうど Chopin ショパンが、

盛んに、作曲をしていた頃です。


★ドビュッシーは、序文でこうも書いています。

『Chopinの楽譜に、何故Chopinが自身で書き込んだ表示
(エスプレッション記号など)が少ないか、
さらに、恣意的な表示が(勝手に)たくさん書き加えられているか、
その理由は、次のようなことでしょう。

 彼の人生は、あまりに短く(39歳で没)、時間に余裕がなかった、
そして、おそらく彼は、口頭での教えの力を信頼していたから
でしょう。彼には多くの弟子がおり、多分、彼が実際に教えた数
以上の"弟子"がいたことでしょう』(中村洋子訳)


Debussy ドビュッシーは、1915年当事でさえ、

どんなにショパンの音楽が捻じ曲げられていたかを、

鋭く指摘しています。

それから100年以上たった現代は、どうでしょうか?

大切なことは、いつでも名曲の源流に立ち返り、

≪自筆譜≫を勉強し、歴史の垢をこそげ落とすことですね。

サーカスの大技が入り込む余地は、ありません。

それでは少し、ショパンのワルツについてみてみましょう。


★たとえば「Valse Op.64 No.1~3」(ワルツ3曲作品64)が、

作曲されたのは1846~1847年です。

現在はそれから175年(40年×4+15年)経ちました。

「Valse Op.64 No.1 Des-Dur 変ニ長調」は、

『子犬のワルツ』いうニックネームが、つけられています。

 

 



 


「Valse Op.64 No.2 cis-Moll 嬰ハ短調」

 


 


「Valse Op.64 No.3 As-Dur 変イ長調」

 


 


この3曲、特に1番、2番は現代ピアノの発表会の常連です。

「名曲は子供たちにこそ弾かれるべきである」と、

私は思いますので、それは大変結構なことなのですが、

普通考えられているほど、この3曲は生易しい曲ではありません。


175年間に付いた垢を、こそげ落としますと、

1849年に没したショパン晩年の「大傑作」が姿を現します。

空恐ろしい曲、とも私には感じられます。

 

 

 

 


1番、2番の調性の配置は、*Prélude* Des-Dur Op.28 No.15

(「雨だれ」のニックネームのある)プレリュードと、

同じ調性配置です。

ベートーヴェンの月光ソナタにも通じる調性です。

これにつきましては私の著書『クラシックの真実は大作曲家の

「自筆譜」にあり』28~29ページの『「雨だれ」の調性設計は

「月光ソナタ」と同じ』をお読み下さい。
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955


★そして、この1~3番までの3曲のワルツは、ただ無関係に並べられて

いるのではなく、お互いに惑星のように引力で引きつけられ、

干渉し、作用し、奥深い世界を構築している見事な曲集なのです。

3曲で1曲を成していると言えます。


1番の冒頭右手の、アクセントの付いた四分音符

「as¹(1点変イ音)」に続く 「g¹(1点ト音)」は、

耳にしっかり焼きつくような印象的な音です。

 

 

 


2番を見ますと、冒頭「gis¹(1点嬰ト音)」は、

ソプラノ声部ですが、そのままタイで結ばれ、アルト声部 に変容し、

2小節目で「fisis¹ (1点重嬰ヘ音)」に進行します。

この2つの音、「gis¹」と「fisis¹」は異名同音で、

読み替えると、「as¹」と「g¹」になります。

motif(動機)「as¹-g¹」の共有です。

 

 

 

 

3番はどうでしょう。


1小節目上声(右手)「c²-g¹-as¹-f¹-es¹」の2番目、3番目の音

「g¹- as¹」は上記のmotif「as¹-g¹」の逆行です。

もう一つの考え方としては、1番(子犬のワルツ)の

1小節目2拍目「g¹- as¹」そのままの対応ともいえます。

 


 

 

3曲の冒頭1小節を見ただけでも、共通のmotifを展開する

ことにより、「Valse Op.64」は統一された一つの曲である

ことがわかります。

半藤さんの「歴史の四十年サイクル」から、

お話が、ショパンにまで及びました。

クラシック音楽という人類の宝である芸術が、

≪滅びの四十年を迎えること≫にならないよう、

私たちは、励まなければなりませんね。

 

 

                              (葛の花)

 

※copyright © Yoko Nakamura    
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