音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■

2020-07-07 20:43:13 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■
              2020.7.7 中村洋子





 

★梅雨の大雨が、各地で猛威を振るっています。

梅雨が明けると、また、酷暑でしょうか。


≪郭公(ほととぎす)一声夏を さだめけり≫ 蓼太

大島蓼太(1718-1787)は、江戸中期の俳人。

宝暦(1751-1764)、明和(1764-1772)、安永(1772-1781)期に

活躍、江戸俳壇の堕落を批判し、芭蕉(1644-1694)への回帰

唱えました。


★ほとんど同じ頃、与謝蕪村(1716-1783)も、こちらは上方で、

芭蕉復興の先頭に立ちます。

さしずめ「バッハに帰れ!」といったところでしょう。


★前回ブログで、芭蕉≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫

紹介しました。

追想を呼び起こす声としての「ほととぎす(時鳥)」の歌は、

遥か遡って、古今和歌集の素性法師(そせいほうし 840-没年不詳

909年には存命中)の

≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公(ほととぎす) 声ばかりこそ

昔なりけれ≫ 「古い都は時が経ち、変わってしまっても、

郭公(ほととぎす)は、昔と変わらず啼いていることだ」が有名です。


芭蕉は当然、この素性法師の句を念頭に置いていたことでしょう。

古き都が「奈良」なのか、その他の地であるかは不明ですが、

素性法師にとっての「新しい都」は、「京都」でしょう。

 

 

 


芭蕉は、17世紀の京にいながら、ほととぎすの声に

誘発され、遥か昔10世紀頃の古き京を懐かしんでいるのです。

素性法師の「古き都」から、「かつての新しい都としての京都」

そして、「芭蕉の生きた時代の京都」へと、時が一瞬に流れます。

芭蕉はここで、時の連鎖を創作した、と感じます。


「和泉式部日記」にも、この素性法師の句を踏まえた、

当意即妙なお話が展開されています。

和泉式部(978頃 - 没年不詳)が、1008年に書いたとされる日記。

式部が、恋人だった亡き為尊親王(冷泉天皇第三皇子)の追憶に

ひたっている時、為尊親王の同母弟・敦道親王から、

香り高い「橘の花」が届きます。

 

★式部は、現代版 “薔薇の花束” である橘の花に応え、

≪薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ

声やしたると 聞こえさせたり≫

(花橘の香りで亡き為尊親王を思うより、郭公の声を聞いて

親王を偲びたいものです。声だけは昔のまま、

あの懐かしい声を聞きたい、聞きたい・・・)「歌」

敦道親王に返します。


★式部の歌は、古今和歌集の有名な句

≪五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする≫よみ人しらず

を、踏まえています。

式部のあの人の残り香よりあの人の生の声聞きたいという、

情熱の「返歌」が馴れ初めとなり、その後の敦道親王との

熱愛へと発展していきます。

 

★ここでも、素性法師の≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公 

声ばかりこそ 昔なりけれ≫が、共通の下敷きとなっています。

ちなみに、古今和歌集で≪五月待つ花橘の香をかげば・・≫の、

次の句は≪いつの間に 五月来ぬらむ あしひきの郭公

今ぞ鳴くなる≫よみ人しらず、です。

 

 

 


★お話を戻しますと、蓼太や素性法師の「郭公」は「かっこう」で

なく、「ほととぎす」と読みます。

ほととぎすを、和英辞典で調べてみますと、「(a little) cuckoo」

となっています。


「ほととぎす」とまぎらわしいカッコウは、クラシックの名曲にも、

時々、登場します。


★雨に降り込まれて一日家にいる日は、 Maurice Ravel

モーリス・ラヴェル(1875-1937)のピアノ連弾曲

「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」を聴いたり、

弾いたりしたくなります。

「Ma Mère l'Oye 5 pièces enfatines 子供のための5つの小品

は、1908年7月~1910年10月にかけて作曲されました。

Ravel 33~35歳にかけての作品です。


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」とは、マザーグースの

ことです。

第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la Belle au bois
                        dormant)

第2曲 親指小僧(Petit Poucet)


第3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, Impératrice des
                        Pagodes)

第4曲 美女と野獣の対話(Les Entretiens de la Belle et de la Bête)

 
第5曲 妖精の園(Le Jardin féerique)

「子供のため」とされていますが、よしんばRavelがそう思っていた

としても、これは勿論、大人のための傑作です。

 

 

第2曲目の親指小僧(Petit Poucet)は、Charles Perrault 

シャルル・ペローのお話。

曲の冒頭に掲げられた文章です。
『彼は帰り道は簡単に見つけられると考えました。いま来た道にパンを
ばら撒いてきたからです。しかし、彼はとても驚きました。パン屑の
ひとかけらも見つからなかったからです。鳥たちがた来て、
食べてしまったからです』(中村訳)


★曲は、1小節目「4分の2拍子」 2小節目「4分の3拍子」で、

ここは、「SECONDA 第2ピアノ」(連弾で音域の低い方を

受け持つ」のみの演奏で、「PRIMA 第1ピアノ」は休止しています。

 

 

★3小節目は「4分の4拍子」、4小節目が「4分の5拍子」と、

段々と拍子の数が増えていきます。

 

 


4小節目の途中から、「PRIMA 第1ピアノ」が満を持して登場。

Ravelは、この「PRIMA 第1ピアノ」に「pp un peu en dehors 

et bien expressif ~pp  少し際立たせて そして とても 

表情豊かに」と、指示しています。

 

 


★森の中の小道は消えてしまいました。

森はどんどん深くなっていきます、それを4分の2、4分の3、4分の4、

4分の5拍子と、どんどん増えていく拍子により緊迫感を

つのらせます。


「SECONDA 第2ピアノ」は、上声(右手)と下声(左手)が、

終始「3度の音程」を形成しています。

トコトコ歩いていく小さな少年(親指小僧)の、

両の足の歩みにも思えます。

 

 


★このように森と少年の情景を設定した後は、曲頭のような

極端な拍子の変化は少なく、50小節目までは、

10、20、24、26、36、48小節のみ「4分の3」拍子で、

それ以外は「4分の2」拍子で安定しています。


★そして51小節目から、いよいよ森の鳥たちの登場です。

この小鳥たちが少年の撒いたパン屑を、食べてしまったのでしょうね。

まず、51、52小節の「SECONDA」を見てみましょう。



 


★この曲の主調「c-Moll」のドッペルドミナントの和音の根音

「d音」を保続音として、その上に、4、5小節で「PRIMA」が

担当した主題が、今度は「SECONDA」によって奏でられます。

 

 

★この「SECONDA」の上方に、「PRIMA」が二種類の

鳥の声を聴かせます。

 

 

「PRIMA」の52小節目は“cuckoo、 cuckoo”と

鳴いていますから、カッコウですね。

カッコウは「ホトトギス科」の鳥です。


★では51小節目の鳥は、何鳥でしょうか。

私には、警戒の声を上げて「チッチッ」と鳴いている

ヨーロッパコマドリ(Robin)にも、聴こえますし、

ミソサザイか、スズメでもよいかもしれませんね。

Robinですと、マザーグースにも登場しますし、ピッタリかも。

 

                  クガイソウ


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」はその後、1911年に、

バレエ音楽としてオーケストレーションされています。

オーケストラでは、52小節目のカッコウ―君は、フルートが担当。

ロビン君は、少し鳴き声を変えて、独奏Violinがハーモニックス

による高い音のグリッサンドで、深い森に鳴く小鳥を表現します。


51~58小節の間ずっと続く「c-Moll」のドッペルドミナントは、

59小節目で、「c-Moll」のドミナントに進行し、

 

 


最終小節79小節目で、ピカルディの3度(短調の主和音の第3音を

半音上行させて長三和音とし、終止和音とする)、

ピカルディの「Ⅰ」の和音で、明るさを取り戻し曲を閉じます。

少年は森の出口を見つけたのですね。


★この連弾曲の楽譜は、Edition Peters Urtext

ペータース原典版が、ベストでしょう。

https://www.academia-music.com/products/detail/132207

Roger Nichols ロジャー・ニコルスの校訂はしっかりしていますし、

特別付録として、第1曲目「眠れる森の美女のパヴァ―ヌ」の自筆譜が

全曲掲載されています。

Ravelの付けたフィンガリングは、曲の構成をも示唆し

素晴らしいものです。

 

★ニコルスは、校訂版の 《Editional Method and Sources》で、

「Ma Mère l’Oye マ・メール・ロワの自筆譜全18ページは、

残念ながら学習用には使用できないが、『眠れる森の美女の

パヴァ―ヌ』の自筆譜については、この曲を献呈された

故 Jean Godebski ジャン・ゴデブスキ自身が25年前、

親切にも私に送ってくれたため、この校訂版に掲載する

ことができた」と書いています。  (2007年)  

               

★この校訂者 Roger Nichols ロジャー・ニコルスが書いた

「ラヴェル―生涯と作品―」という本は、20年以上前に「泰流社」

という出版社から発刊されました。

かつて、神田の古書市で、山のようにこの本が積み上げられ、

大変安価で売られていたことがありました。

立ち読みした後すぐ家に戻り、リュックを背に再び古書市に

顔を出し、この本をたくさん購入し、友人たちに配った記憶が

あります。

 

★この本は、音楽学者特有の冷たい文章ではなく、

Ravelの暖かい人間性や、その生涯の中で各作品がどのように

生み出されていったかを、資料を丹念に調べ、

的確に評価しています。

読み始め、思わず引き込まれてしまいました。


★Ravelに対しては、“スイスの時計細工師 ” というレッテル

貼られ、空虚で人工的、精緻ではあるものの冷たい音楽、

というような評価が、かなり広がっていました。

私はそうした評価にずっと、違和感を抱いていました。

そうしたRavelへの見方がいかに間違っているか、

この本を読み、得心がいきました。

私自身の評価に自信をもちました。

私の中では、この本は、前々回ブログでご紹介しました

大野晋著「源氏物語」と同じ位置付けです。


★この本のもう一つの魅力は、豊富な写真が掲載されていることです。

幼少期から青年期、交わった歴史的な作曲家、演奏家、芸術家、

例えば、フォーレ、デュカス、ニジンスキー、ストラビンスキー、

コクトー、ジャンヌ・パトリ、マルグリット・ロン、ガーシュイン

など姿、表情がよく分かります。

貴重な写真集ともいえます。

Ravel が第一世界大戦に従軍し、トラック輸送兵をしていた際の

写真もあります。


著者の Roger Nichols は、単に音楽学者である前に

ピアノ演奏もよくし、なにより音楽を愛して止まない人であることが、

https://www.bbc.co.uk/programmes/p01t6l0s の映像からも

分かります。

Roger Nichols (musical scholar)
https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Nichols_(musical_scholar)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Roger David Edward Nichols (born 6 April 1939) is an English music scholar, critic, translator and author. After an early career as a university lecturer he became a full-time freelance writer in 1980. He is particularly known for his works on French music, including books about Claude Debussy, Maurice Ravel and the Parisian musical scene of the years after the First World War. Among his translations is the English version of the standard biography of Gabriel Fauré by Jean-Michel Nectoux. Nichols was decorated by the French authorities in 2006 for his contribution to French musical studies. 

 

 

★泰流社という出版社は、1998年4月に廃業しています。

古書市で購入した本は、1996年4月15日改訂新版第1刷、

黄色の表紙です。

良書、良い楽譜、演奏、みな出逢いです。

その出逢いを生かし、和泉式部のように成就できるかどうかは、

日ごろの勉強によりますね。

 


★今回のブログは、カッコーからホトトギス、そしてラヴェルから

泰流社へとお話が進みました。

ブログを書き終え、これから

Geneviève Joy ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)、

Jacqueline Bonneau ジャクリーヌ・ボノー(ロバン)

(1917-2007)の、お二人による演奏で、「Ma Mère l'Oye」を

聴くことにしましょう。


ジュヌヴィエーヴ・ジョワは、アンリ・デュティユーの妻。

ジャクリーヌ・ボノーは、ジャン・ギャロンに和声を、

ノエル・ギャロンに対位法を学んでいます。

 

★このCDの演奏は、優しく、繊細で知的な名演です。

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■若きCelibidache チェリビダ... | トップ | ■7月28日は、Bach バッハ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

■ 感動のCD、論文、追憶等■」カテゴリの最新記事