音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■若きCelibidache チェリビダッケの「Brahms交響曲第4番」名演を聴く■

2020-06-20 22:33:36 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■若きCelibidache チェリビダッケの「Brahms交響曲第4番」名演を聴く■
             2020.6.20  中村洋子
 

 

 


★時鳥(ホトトギス)の鳴き声を聴きに、

知人の山の家に行ってきました。

時鳥は、5月頃に南から日本に渡ってきます。

8、9月にはまた南に帰ってしまいますので、夏の使者ですね。

山では鶯のよく通る鳴き声もずっと聴こえ、春と夏の入り混じった

爽やかな梅雨の晴れ間でした。

6月21日は、もう「夏至」です。


★≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫ 芭蕉

京にいても時鳥の声を聴けば、回想の中の京が懐かしい、と

芭蕉は詠みました。


★前回のブログで書きました五木寛之さんの

『回想というのはむしろ積極的な行為だろう。古い記憶の海に沈潜する
のではない。なにかをそこに発見しようとする行為だからだ。広く、
深い記憶の集積のなかから、いま現在とつながる回路を手探りする。
「記憶の
旅」が回想の本質だ』

の意味を、
五七五の十二文字に凝縮したのが、

芭蕉のこの句ともいえましょう。


★旅に生き、旅に病んでなお、夢は枯れ野をかけ廻った芭蕉の

「京なつかしや」の回想を呼び覚ましたのは、

時鳥の鳴き声でした。

“特許・許可局”と聞こえる人も、いるそうです。

 

 

そういえば、正岡子規(1867-1902)の「子規」も

ほととぎすのことでした。


≪鳴いて血を吐く子規(ほととぎす)≫

子規の創刊した俳句雑誌の名前も「ホトトギス」でした。

≪六月を奇麗な風の吹くことよ≫ 子規

百年たっても子規の六月には、奇麗な風が吹いています。

 

 


★さて、いつもご紹介します本やCD、楽譜は、絶版や在庫切れが

多く、皆さまに申し訳なく思っていたのですが、

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

交響曲第4番の、素晴らしいCDが、再発売されました。

私の最もお気に入りCDの一つでもあります。


《The Art of “Young”Celibidache チェリビダッケ、

若き日の名演(最新マスタリング)ベルリンフィルハーモニー

管弦楽団/ 指揮:セルジュ・チェリビダッケ Beethoven

「レオノーレ」序曲第3番

Brahms「交響曲第4番」 収録》 TALT-067 

https://www.kinginternational.co.jp/genre/talt-067/


★このCD(1945年11月18日演奏)は、長らく入手困難でした。

チェリビダッケのBrahms交響曲第4番は、1945年11月21日

/Haus des Rundfunks 演奏のCDもありますが、

ご紹介する1945年11月18日演奏のCDは、ベルリンの米軍放送局

での録音です(Recording 18 November,1945/Berlin Radio in

the American Sector)。

 

★当時は既に、その後の「ベルリンの壁」を象徴するかのように、

ベルリンフィルは、一つのプログラムをベルリンの東区域と西区域で

演奏していたようです。

私は、11月18日演奏の方を好みます。


★さて1945年は、第二次世界大戦が終結した年です。

 Celibidache チェリビダッケ は、1912年6月28日ルーマニア生まれ

(当時のルーマニア暦では7月11日)、1996年8月14日没ですから、

33歳の演奏です。

33歳と言いましても、それまでオーケストラを指揮して順当に、

経験を積み重ねてきたわけでは、ありません。

 

 

 


★彼は1936~45年までの間、ベルリン音大と

フリードリヒ・ヴィルヘルム大学で、長い学生生活を送り、

作曲、指揮、対位法、音楽理論、哲学、音楽学を学びました。

1944年秋、ベルリン音大の室内オーケストラで、

Bachの Brandenburg ブランデンブルク協奏曲全6曲を指揮して

評判になったにすぎません、出発点はやはりBachでした。

学生時代、いくつかの作品を作曲したり、

構想したりしていたようです。


Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

(1886-1954)も、自身を「作曲家」と認識しており、

作品を残しています。

第一級の演奏家が作曲家であるのは当然でしょう。

 

★さて、Furtwängler フルトヴェングラーが1945年1月23日、

ベルリンフィルの戦前最後の指揮をした後、同フィルの指揮者は

空席に。

1945年5月8日にドイツが降伏。

ベルリンフィルの戦後初のコンサートは5月26日、

Leo Borchard レオ・ボルヒャルト(1899– 1945)の指揮により

行われました。


★しかし、この Borchard ボルヒャルトは、同年8月23日、

車で帰宅途中、アメリカ占領軍兵士による「誤射」で、

「事故死」してしまいます。

 

 

 


オーストリアの大作曲家 Anton Webern アントン・ヴェーベルン

(1883 -1945)も、散歩中にアメリカ占領軍兵士による「誤射」で、

1945年9月15日に、亡くなっています。

Borchard ボルヒャルトの死から1ヵ月も経っていません。

当時は目立たなかったとはいえ、現在の目からみますと、

Webernヴェーベルンは、至高の存在であったとしかいいようがない

大作曲家でした。


★Webernヴェーベルンといい、将来を嘱望されベルリンフィルを

背負って立とうとしていた Borchard ボルヒャルトの「誤射死」は、

単なる偶然が重なった悲劇だったのでしょうか?


★もしWebernヴェーベルンが殺されず、生き延びていたならば

私は、今日の荒涼たる現代音楽の様相は、もう少し違った、

もっと気高い美しさを見せていたのではないかと、時々感じます。


★お話を戻しますと、1945年8月29日 Celibidache

チェリビダッケは、

Rossini ロッシーニ(1792-1868)の「セヴィリアの理髪師」序曲、

Weberヴェーバー(1786-1826)のファゴット協奏曲、

Dvořák ドヴォルザーク(1841-1904)の交響曲「新世界から」を、

ベルリンフィルで指揮し、電撃的なデビューを飾ります。


★この演奏の素晴らしさに、聴衆は驚き、感動し、熱狂したそうです。

Borchard ボルヒャルトの死から1週間もたっていませんでした。

今回ご紹介しますCDは、1945年11月18日演奏ですから、

その3か月弱後です。

Celibidache チェリビダッケが、いかに途方もない天才であるか

分かる演奏です。


★時折、大作曲家の若い頃の作品を「若書き」とする評論家や

学者がいますが、 大作曲家にしろ偉大な演奏家にしろ、

天才は若い頃から天才で、その時々の「様式」が変容するだけです。

Bach、Beethoven、Celibidache チェリビダッケの演奏も然りです。

 

 

 


★私は、ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

「交響曲第4番」の自筆譜を見ながら、このCDを聴き込んでいます。

見事な演奏です。


★前回ブログでも触れましたが、作曲家の自筆譜に書かれた

「符尾」の方向(上向き、下向き)は、ブルドーザーで均された

かのように、同一方向に規則的に記譜されている現代の

「実用譜」とは、大違いです。

例えば、この「交響曲第4番」でも、その素晴らしい例があります。


★第1楽章(全440小節)の提示部は、冒頭から136小節目の

四分音符3個分まで。

展開部は、136小節目の最後の四分音符1個分を「アウフタクト」

とする137小節目から、258小節目四分音符3個分まで。

それ以降は、再現部となる均整のとれたソナタ形式です。


★第1主題は、冒頭から19小節目1拍目までです。

Brahmsは、1~8小節までを一つの段に書いています。

ご参考までに、第1violinのパートを「自筆譜」スコアから、

書き写してみます、皆さまがよくご存じの旋律です。

 

 


★続く2ページ目はどうなっているのでしょうか。

9~16小節の8小節分が、一つの段に書かれています。

 

 

3ページ目も、8小節分が書かれています。

第1主題が終わる19小節目1拍目までを、少し大きめに

書き写してみます。

 

 


★Brahmsのスコアは、まずは黒インキで書かれ、

17小節目には、「crescendo」と「diminuendo」が、

鉛筆で追加された後、「diminuendo」のみ斜線で

削除されています。

 

 

 

 

★この17~19小節目冒頭は、今日一般の実用譜では以下のようです。






両者を比べて、皆さまはどう感じられますか。


Brahmsが、鉛筆で17小節目後半の「diminuendo」を

削除しましたので、17小節目の「フォルテ」は、

18小節目1拍目まで、継続します。

そして、19小節目冒頭が「p」ですので、

18小節目2拍目から、急激な「diminuendo」が必要となります。

自筆譜に大きく描かれた「diminuendo」記号が、それをよく

物語っています。


★そして、急激で大胆な「diminuendo」を実現する為には、

18小節目2拍目を、まるで息そのものを飲み込むかのように、

声をひそめなければなりません。


 


★ここで気が付きますのは、18小節目2拍目の「符尾」が、

「下向き」になっていることです。

現代の実用譜は、「上向き」に統一して記譜されています。


実用譜のように、符尾が上向きですと、18小節目2拍目は、

「diminuendo」をきっかけに、何か新しいものが始まるように

みえます。

しかし、筆譜をつぶさに見ますと、Brahmsは、

17小節目の「h¹」から旋律線を継続させつつ、

急激な「diminuendo」を要求しているようにとれます。


★演奏する場合、現代実用譜風の解釈より、自筆譜に基づく

解釈のほうが、遥かに奥深くみえます。

 

 


★冒頭の、深い溜息のように始まる第1主題は、

5小節目から大河の趣帯びてきますが、その第1主題を、

どう収めるか、 

Celibidache チェリビダッケの18~20小節目は、息をのむように

美しいです。

 

 

 


★さて、この第1主題の再現部は、どのように記譜されている

のでしょうか。

該当箇所は、271小節目からです。

再現部ですので、簡略化されて書かれていますので、

鉛筆書きも多いのですが、提示部との最も大きな相違は、

272小節目後半の「g¹ fis¹」の符尾までもが「下向き」に

なっていることです。



 

 

★明らかに、271小節目の「h¹」が、272小節終わりまで、

一本の線で、提示部の時より長い息で下行していくのが

分かります。

その部分に、青い線を引きましたので、比較してみて下さい。

 

 


★私が見ています「自筆譜」のファクシミリは、1885年10月25日の

マイニンゲンでの初演の際にも、使われたらしく、

ページの左右両端には、たくさんの譜めくり跡の汚れも残っています。

“Brahmsの指紋”ですね。

 

★いまから75年前の古い録音であろうとも、Celibidache の名演は、

私にとりましてはBrahmsを知るための最大の道しるべとなります。

皆さまにも是非、お薦めしたいと思います。

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
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